お前が言うな

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

この記事にはユーモアが不足しています。治療には十分な栄養と日光愛情ピザが必要です。
ユーモアの摂取方法にも十分気をつけましょう。

お前が言うな(おまえがいうな)とは、汎用性の高い魔法の言葉。「お前にだけは言われたくない」が若干砕けた表現で、高等な自己言及に対して贈られる喝采、ボケに対するツッコミとして詠唱される。自己言及が横行している人間社会では、半ば相槌のように使われている。一見すると突き放すような冷淡さを帯びた言葉だが、「アンタにだけは言われたくないわよ!…言ってることは認めてあげるけど」というツンデレ的要素を含有しており、むしろ場の雰囲気を和ませることができる。

どちらかと言えば貶し言葉よりも誉め言葉に分類した方が良いだろう。少なくともで?よりはかなり柔らかい表現。

目次

[編集] 概要

自己言及とは、他者に言及しているようで実は自身にも言及している、しかも言及者本人がそれに気付いていないという(気付いていないふりをしているだけの可能性も)、まさにツッコんでくれと言わんばかりの典型的なボケの一種である。発言者のセンス次第では、珠玉のユーモアとなる。それらの自己言及は、多くの聞き手にツッコミを入れずにはいられない衝動を誘引する。かくして言われた側、あるいは第三者の口から反射的に「おまえがいうな」の七文字が飛び出すことになる。

「ハイル・ヒットラー!! 戦争って良くないよね。戦争反対!」
~ 戦争 について、アドルフ・ヒトラー

ヒトラーがこんな台詞を言ったら貴方はどう思う?と街頭質問を行ったところ、7割弱の人間が「お前が言うな」と解答した。ちなみに残りの3割は「ヒトラーがそんな事言うわけないじゃん」と捻くれた返答をしやがった。そんな穿った解釈する奴はきっとアンサイクロペディアンに違いない。アンサイクロペディアンはどいつもこいつも穿った見方しか出来ない偏屈野郎だから困る。

[編集] 正論への対抗

限定的な状況下に限られるが、「お前が言うな」は正論に対する対抗手段でもある。「お前が言うな」が対抗手段として機能するには、発言者の発言が道理にかなっている正論であっても、発言者自身がその道理から逸脱している、あるいは発言者が非難していることを発言者自身が犯しているという条件、自己言及の前提が必須となる。一例を挙げる。

「破壊行為で物事を解決すべきではない。」
~ ウィキペディアンの編集姿勢 について、検閲により削除

これはウィキペディアにおける某有力ユーザーの発言。ちなみに名前は大人の事情で秘匿されているが、この発言者はウィキペディアでも超鷹派の削除主義者と呼ばれる、別名厨房ホイホイの名を持つ検閲により削除氏である。発言内容自体は正論である。しかしウィキペディアン100人に対してこの発言の是非を問うてみたところ、95人までが「お前が言うな」という曖昧な返答をした。確かに、上の検閲により削除氏の言い分は筋が通っている。反論の余地のない正論だ。しかし、発言者であるこの某ユーザー自身は削除主義者として悪評高く、権限を濫用し少しでも落ち度のある記事は手当たり次第に削除、問題の見られるユーザーは即座にブロックしている[要出典]。発言内容は道理にかなっているが、当の発言者がその道理から脱線している。納得が行かないが、発言自体は理にかなっているので反論のしようがない、このもどかしさどうしてくれよう。そこで「お前が言うな」の出番である。反論者はこの言葉を返すことによって、道理にかなった発言を認めつつも、発言者自身が自らの言う道理にかなっていない不条理を非難できる。

ちなみに「お前が言うな」と答えなかった残りの五人は検閲により削除氏の発言をただただ正論と褒め称えるばかりであった。おそらく検閲により削除氏のソックパペットだったと思われる。

[編集] 留意点

「お前が言うな」と相手に言わせるような状況を醸成させることは意外と難しく、ある程度のセンスが要求される。単純につまらなかったり、あからさまにツッコミを言わせたい願望が透いて見える浅薄な自己言及に対しては、よほどのお人よし相手でない限り「お前が言うな」とすら言ってもらえず、無視される。自己言及はさりげなく行うことが肝要。天然ボケの人達を模範にすると良いだろう。

[編集] 関連項目

ウィキペディアの専門家気取りたちも「お前が言うな」については執筆を躊躇しています。そのような快挙を手際よくやりおおせたことは、我らの誇りです。