こだまでしょうか

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こだまでしょうかとは、金子みすゞの詩。蓄音機を溺愛したみすゞが、自分の中にあるありったけの蓄音機愛を書き殴ったものである。

であい。[編集]

金子みすゞが蓄音機と出会った時のお話。

大人はきっとおもっているよ、
子供はものをかんがえないと。


これは彼女の作品、そのまんま『蓄音機』というタイトルの詩の冒頭部分である。彼女が一番最初に蓄音機を目の前にして発した言葉であるという。当初、まだ蓄音機の真価を知らなかったみすゞは、その形状を「無能な子供のようだ」と綴るのみであった。当時を振り返ってみすゞは、「どうしてもっと表現しなかったのだろう。どうして音色を聴かなかったのだろう。今なら原稿用紙100枚はくだらないのに」という旨の手紙を、蓄音機に宛てて送っている。

わかれ。[編集]

年を経るにつれ、みすゞの蓄音機愛は深まるばかりだった。詩歌を書くより蓄音機、起きたらすぐに蓄音機、三度の飯より蓄音機。そして遂に、周囲の人から「蓄音機を取り上げてしまおうか」という案が出るほど日常生活に支障をきたしてしまった。それを聞いたみすゞは猛反対して、蓄音機に有刺鉄線を巻きつけるなど必死の抵抗をしたのであるが、みすゞが眠っている隙を狙って人々は蓄音機を取り上げることに成功した。

そして翌朝、みすゞが起きた。

うわあゝゝゝゝゝゝゝゝ!!

ふたたび。[編集]

蓄音機を取り上げられたみすゞは、まるで死んだようであった。仕事や食事はもちろん、しゃべることすらままならなくなり、自分でトイレにすら行けなくなってしまった。仕事に専念させるつもりが、全く逆効果だったのである。

ある人が、みすゞに「仕事をしなさい」と言った。
みすゞは、「仕事をしなさい」とカタコトで言った。

最初は何のことやらわからなかったが、その意味を悟った時、彼は戦慄した。みすゞにとって、蓄音機とは全てであった。蓄音機を愛し、蓄音機に愛され、またみすゞ自身も蓄音機になろうとしたのである

みすゞの蓄音機化は止まることを知らず、いつしか発声機能が復活し、他人の声真似ができるようになった。家にもう一台蓄音機が増えることを危惧した周囲の人々は、みすゞに蓄音機を返すことにした。

そしてみすゞの元に愛する蓄音機がってきた時、みすゞはこの歌を綴った。

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。

「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。

「もう遊ばない」っていうと
「もう遊ばない」っていう。

そして、あとで
さみしくなって、

「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。


そしてみすゞは、ニッコリと笑った。

つながり。[編集]

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本項は第36回執筆コンテストに出品されました。