つつじヶ丘駅

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つつじヶ丘駅(つつじがおかえき)とは、京王線柴崎駅仙川駅に挟まれた、なぜこんなとこに急行が停まるのかいまいち理解できない田舎の駅である。また、ここでは駅周辺の地名となっているつつじヶ丘についても解説をする。

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沿革[編集]

1913年(大正2年)、金子村(現在の東京都調布市の一部)のヌシと呼ばれる謎の生物、「筒爺(つつじい)」が、自らの利便性を図るため、彼の住処である丘のそばに停留所を設置。当時は甲州街道上にあり、運転手は「こんなとこに駅なんてあったか?」と戸惑いながらも仕方なく電車を停車させていたという。当時は「金子村」という地名から、金子駅と呼ばれていた。

1957年(昭和32年)辺りから、いつの間に「つつじヶ丘」と呼ばれるようになる。自らの名前を冠した駅名にしたかった筒爺の陰謀だという都市伝説も存在するが、それまでは同じ名称であった国鉄八高線金子駅と混同(京王線・八高線の両駅はそれぞれ全く別の場所にある違う駅)している乗客が大多数おり、乗り換えで埼玉県群馬県・果ては満鉄線方面へ行けると信じ込んだ乗客が京王線の金子駅に到着し、事実を知った乗客が怒り狂い、暴徒と化して駅施設や車両に放火する事件が恒例行事になっていたため、頭を抱えていた地元住民も率先し、筒爺の名前にちなんだ「つつじヶ丘」という呼称を徐々に浸透させてゆき、ついに正式名称として採用されるに至ったという説もある。

1992年(平成4年)に、何故か急行列車が停まるようになる。一説によると京王電鉄の社長宅があるため急行停車駅になったとか。

周辺の施設[編集]

利用状況[編集]

私設開設当初は筒爺一人(あるいは一匹若しくは一頭)のみだったが、地元住民も「あら? こんなとこに駅があったのね」と徐々に利用し始め、現在は一日4万人くらい使うという。

なお、朝ラッシュ時の京王線上り急行電車では、つつじヶ丘で急激に人がぎゅうぎゅう詰めになる傾向にある。

つつじヶ丘の飛地[編集]

ある日つつじヶ丘に隕石が落下し、つつじヶ丘の一部が吹っ飛び、北海道や東京都昭島市など、日本各地につつじヶ丘の破片が着地、多数のつつじヶ丘が生まれるきっかけとなった。

桜上水との確執[編集]

つつじヶ丘より新宿駅寄りにある桜上水駅は、つつじヶ丘駅と線形も微妙に似ており、つつじヶ丘駅とライバル関係にある。

桜上水駅には大体8両編成くらいの列車を最大で5本以上止められる留置線があり、対するつつじヶ丘駅は折り返し用の留置線を2本しか備えていないが、同名の地域が国内に多数あり、全国的に知名度が高いことや、桜上水駅のほうが比較的都心に近く、利便性も割と良いなど、互いにいがみ合っている関係である。

だが、つつじヶ丘駅の西方に位置する特急停車駅の調布駅や、同じく特急が停まる、桜上水駅よりも都心寄りに位置する明大前駅からしてみれば、つつじヶ丘駅も桜上水駅も蟻以下の存在である。そんな調布駅や明大前駅も、さすがの新宿駅には頭が上がらないという。

桜上水の陰謀[編集]

深夜の京王線で酔客がつつじヶ丘駅と間違えて、一見よく似ている桜上水駅で下車してしまうことや、つつじヶ丘行きの電車までもが勘違いして桜上水で運行を終了するなど、桜上水の陰謀と思われるトラブルが多数発生している。 また、2008年3月には、つつじヶ丘以西の運行が不能になるよう、米国製1トン爆弾を国領駅付近で炸裂させたが、それでもつつじヶ丘駅までは運行が可能だったため、何がしたかったのか未だに不明である。

Nemurineko.jpg この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。
後は適当に頑張って下さい。(Portal:スタブ)

つつじヶ丘の嫉妬[編集]

近い将来、大規模な地盤沈下により、国領駅から調布駅にかけての区間が地中に埋没する運命にあると予言されているが、丘の上にあるが故に地上に取り残されるつつじヶ丘駅は、国領布田調布の3駅に対してささやかな嫉妬を抱いている。

同じく地上に取り残される柴崎駅は、そんなことは気にも留めていない。

関連項目[編集]

Gomen.jpg この「つつじヶ丘駅」に停車中の電車は、現在運転手がいないため発車できません。運転して下さる乗務員を求めています。 (Portal:スタブ)