に爆弾

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に爆弾(にばくだん、ニ式爆弾、弐号爆弾)とは、旧日本軍が極秘裏に開発した兵器。

目次

[編集] 開発の経緯

太平洋戦争の戦況悪化と共に、大日本帝国は正攻法ではアメリカ、イギリスなど列強各国に勝利するのが困難と海軍内部でも考えられるようになった。このため、戦況の逆転には、列強の物量に対抗しうる強力な威力をもつ、新型爆弾の開発が求められた。

日本での新型爆弾開発は1942年より理化学研究所、東京帝国大学などで開始された。その原型である「イ爆弾」は1942年頃に完成したものの、巨大すぎて敵地への攻撃に使用することは絶望的であった。1942年11月20日、試作されたイ爆弾は、搭載されていたドイツ船もろとも横浜港内で爆発し、周辺の船舶や人員に多大な被害を与える大事故となった。起爆タイマーとして内部に搭載されたが暴れたための大惨事であった。戦時下ゆえ、横浜港内爆発事件については、単なるタンク清掃時の引火事故として処理された。

制空権・制海権の喪失と共に、イ爆弾の実戦投入はさらに困難となった。一方で小型化のための努力が続けられ、1943年ごろから、V2号ロケットに搭載可能な「ロ爆弾」(ロはロケットの略)航空機搭載型の「ハ爆弾」(ハはハワイの略)の開発が開始された。

一方で、非正規戦に適合した、威力は若干低いが小型化した「風呂敷包形新型爆弾」の開発も求められた。1944年より正式に開発が開始され「ニ爆弾」と呼称された。こちらは人間が簡単に持ち運ぶことができ、完成すれば敵国中枢部に壊滅的な損害を与えるものと見込まれた。

終戦までに数個のニ爆弾が完成していたが、呉大空襲の際に全てが失われたとされる。

[編集] 終戦直後

終戦後、ニ爆弾は米進駐軍により徹底的に捜索を受け、設計図の一部や機材が米本土に持ち去られた。ニ爆弾の完成品も持ち出されたとの説もあるが定かではない。

米軍は、冷戦時代にニ爆弾をさらに発展させた兵器を開発した。これらは人工の超ウラン元素などを使用したもので、「スーツケース形核兵器」と呼称される。

一方で、ひそかにテロ組織や民間にも「ニ爆弾」の図面が流出しており、現在では頻繁にテロ活動への使用が取り沙汰されている。

[編集] 主なテロ事件

に号爆弾によるバス爆破事件
に号爆弾によるバス爆破事件

米国が戦後開発したタイプのものでは、超高層ビルを1棟丸ごと全壊させるだけの威力があるとされる。

  • 新幹線爆破事件 - 1973年、東海道新幹線「ひかり109号」で、デッキのゴミ箱へ「に爆弾」が仕掛けられたもの。
  • 中国連続爆破事件 - 2008年6月ごろから、路線バスへ「に爆弾」を載せて地方政府機関に突撃する、内モンゴル独立派などによるテロが相次いでいる。「に爆弾」は中国国内にまだ多数が残留しているとされ、中国製のものも含め日本の予算で廃棄処理が進んでいた。

最近は脅迫行為として頻繁に「に号爆弾」「スーパーに号爆弾」の使用をほのめかす電話や掲示板の書き込み、メール等が見付かっており、逮捕者も非常に多い情勢となっている。

[編集] 呼称の由来

名称については終戦直前ゆえ諸説入り混じっている。

  • 上記イ・ロ・ハの次のため、ニと名前がつけられた。
  • 人間(ンゲン)が運ぶため。
  • 成分の一部とされる、ニッケル。ただし、日本軍が開発したものについては、原材料が何であったかは明らかでない。
  • 実現困難な机上の妄想と考えられたため、主に制服組が反感をこめて「ート」からとったもの。

[編集] 外部リンク

[編集] 関連項目

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