めだかの学校

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めだかの学校(-がっこう)とは、イギリスイングランド地方の詩である“A Tiddlers School ”を茶木滋(ちゃきしげる)が「めだかの詩」だと勘違いして和訳してしまい、中田喜直が曲をつけた日本の童謡である。1951年3月、NHKのラジオ番組「幼児の時間」のコーナー「歌のおけいこ」で発表された。

歌詞[編集]

原詩の作者は「キーツの晩年の作品」という説や「ノヴァーリスがイングランド旅行中に英語の勉強として書いた」など諸説あるが、未だに「詠み人知らず」ということになっている。

A Tiddlers School

A tiddlers school is in the river.
Look it gently not to make them scared.
See how they're playing all together.

A tiddlers school has lots of members.
Which is which, pupils and teachers.
See their play is filled with vigor.

A tiddlers school is in the pleasure.
They are swimming in the flowing waters.
All are drifting without any pressures.

これを茶木滋は「川の小魚のことを謳った詩」だと完全に誤解してしまった。たしかにtiddlerとは「小魚」という意味ではあるが、もう一つ「ちびっ子」という意味があるのだ。茶木が作詞した「めだかの学校」の有名な歌詞は皆さんご存知であろうが、全文は馴染みないと思われるので、ここに転載しておく。

めだかの学校
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JASRACより著作権侵害の申し立てが有ったため削除されました

注:まあ、ここで歌詞を引用することにイチャモンをつけるほど暇で、臆面もなく他人の利権をしゃぶり尽くし、犬も喰わないぐらいに腐り切った天下り団体は、よもや日本には存在しないとは思うが、上の歌詞が何らかの理由で削除された場合に備えて、「めだかの学校」の歌詞の外部リンクをここに追加しておこう)

茶木の大いなる誤解により、このように楽しい童謡になったわけだが、これは本来「めだかの詩」などではない。新明解新約聖書 第4版(三省堂)にある以下のキリストの言葉を元にした詩なのである。

カムイ伝 第52章 第17節

幼子の学び舎を川面に映し
汝らを包む優しいまなざし
みなみな手を取り戯れ遊べ

幼子の学び舎になお数多し
問う汝は誰ぞ 学徒に教師
満ちたる生命にて戯れ遊べ

幼子の学び舎は喜びも多し
汝らが泳ぐ流れはなお速し
戯れるが如く流水に浮かべ

「幼子」とはもちろん神から見た我々「人間」のことであり、「学び舎」とは「この世」。「問う汝は誰ぞ 学徒に教師」とは「神をおいて他に仕えるものなどいないのに、なぜあなた方は知っているようなフリをするのですか」ということ。「汝らが泳ぐ流れ」とは「人の欲望や業のこと」である。「戯れるが如く流水に浮かべ」とはそういった「エゴや些末な苦しみから解放されて、神にその身を委ねなさい」という意味である。「めだかの学校」の元となった原詩は、本来は、神の視点から世の中を見つめた孤高の詩人の慈愛に満ちた非常に宗教的な詩なのだ。

以上の事実[要出典]を考慮した上で、冒頭の原詩を訳すと、本来は大体次のような意味になる。(素晴らしい詩を訳すのに、筆者に詩心がないのはご容赦いただきたい)

人生という名の学び舎で迷う子羊たちへの讃歌

   〜おぉそれ見よ 主を讃えよ〜

人生とは、川面に映る景色の如き儚い学び舎である。
兄弟よ恐れることはない。汝の心を見つめなさい。
苦悩や欲望があなたの内側で戯れるのを見なさい。

世の中には多くの人々がいるが、みな兄弟なのだ。
誰が間違いで誰が正しいのか、言い争うのを止めなさい。
ただ美しく躍動する世界をみなで見て讃えなさい。

人生という名の学び舎には本当は喜びの方が多いのです。
囚われることなく、常にそれらとともにありなさい。
全ては最初から、ただ漂っているだけなのだから。

もし茶木滋がこれらの事実を知っていてあのような歌詞にしたのだとしたら「めだかの学校」は実はとても奥の深い童謡なのかも知れない。

関連項目[編集]

Wikipedia
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