アイデンティティ
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ゲシュタルト崩壊の危険性
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アイデンティティ(英:identity)は、現代人に最も欠如している観念である。いわば自分が自分であることであり、自分らしさ、個性を認めることでもある。自我同一性、自己同一性とも言う。また、初見では意味を理解しにくい語の一つでもある。それはアイデンティティがアイデンティティであるからである。
概要[編集]
来歴[編集]
アイデンティティという概念は古代ギリシアの時代に誕生していたが、もっぱら哲学でのみ使われた。しかし20世紀の心理学者エリク・ホーンブルガー・エリクソンがより広義的な意味で使用し始めたのをきっかけに急速に普及した。彼はアイデンティティという概念を敷衍して、哲学だけでなく、現代に通ずる様々な分野の独自性を指す言葉として昇華したのである。
概念[編集]
アイデンティティという概念は、冒頭でも紹介した通り自分が自分であることだ。例えば、アイデンティティを確立した人は自分が自分であることを知っており、かつ自分の個性を自身の独自性だと認めており、自分のアイデンティティを説明できるのだ。対してアイデンティティを喪失してしまった(これをアイデンティティクライシスという)人は、自分が自分である意味を喪失しており、アイデンティティが何たるかはもちろん、自分の個性を自分以外の人間に認めており、自分の独自性を認識できないでいる。これは人間として大変な危機であり、ともすると存在意義を見失い、鬱に陥る可能性すらある。なお、現代人は没個性的なネット社会で匿名化しているため、アイデンティティを喪失している人が多い。
現代語として[編集]
今や知識人がよく使うワードの筆頭に挙げられるまでになったアイデンティティという単語は、それ自体が知識人のアイデンティティとなりつつある。アイデンティティという単語を使える人こそ知識人であり、要するにアイデンティティをアイデンティティによって確立しているのである。また、アイデンティティが難語であるのはアイデンティティが理解し難い単語であるからで、アイデンティティそのものがアイデンティティを喪失すれば、アイデンティティは難語ではなくなり、一般人にも理解できるようになる。しかしアイデンティティがアイデンティティを喪失すれば知識人のアイデンティティが喪失するため、一般人との区別ができなくなり、結局一般人というアイデンティティも喪失してしまうのである。
アンサイクロペディアのアイデンティティ[編集]
アンサイクロペディアは嘘とデタラメに塗れたサイトである。これがアンサイクロペディアのアイデンティティであり、もしアンサイクロペディアが嘘を吐かなくなった時には、アンサイクロペディアはアンサイクロペディアではなくなる。しかしこの記事には嘘は一つもないので、この記事はアンサイクロペディアのそれではない。だが、左上のロゴにアンサイクロペディアと確かに書いてあり、これはれっきとした嘘である。よってこの記事はアンサイクロペディアのそれであり、アイデンティティを確立していると言える。また、上の記述は明らかに矛盾しているが、ここはアンサイクロペディアなのでアイデンティティの概念を持ち込むと全く問題無いことが分かる。これこそがアンサイクロペディアの独自性であり、アンサイクロペディアがアンサイクロペディアである理由なのだ。
自己言及性[編集]
この記事は自己言及記事であるが、それはこの記事がこの記事であるからで、アイデンティティがアイデンティティたる所以でもある。その他の自己言及記事も、自己言及という独自性を認めている。しかし自己言及記事は複数あるので、それは独自性を喪失し、したがってアイデンティティをも喪失している。だがここはアンサイクロペディアなので、アイデンティティの概念を持ち込むと全く問題無い。
アイデンティティー[編集]
アイデンティティーがアイデンティティーであるのは、それがそうであるからで、アイデンティティーには独自性がある。しかしアイデンティティーはアイデンティティであり、アイデンティティはアイデンティティーであるからして、アイデンティティーはアイデンティティーを喪失し、アイデンティティはアイデンティティを喪失してしまうのである。自己同一性もまた、自我同一性によって自己同一性の喪失を招くのである。
最後に[編集]
この記事の意味を理解できなかった人は、おそらくアイデンティティを喪失しているのだろう。早急にアイデンティティを確立し、アイデンティティの意味を理解することを強くお勧めする。だがアイデンティティの意味を理解するにはまずアイデンティティを確立する必要があるため、そちらが先決である。上の記述は明らかに矛盾しているが、ここはアンサイクロペディアなので、アイデンティティの概念を持ち込むと全く問題無い。