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アフガン航空相撲

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出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』 民明書房『"アフガン航空相撲"はみんな生きている』
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ひよこ陛下
ひよの山関
秀逸な記事

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この記事は秀逸な記事だよ。書いた本人とひよこ陛下ひよの山関が言うんだから間違いない。より素晴らしい記事にできるってんなら、してみやがってください。お願いしましたよ。


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このアフガン航空相撲は顕著な普遍的価値を有し、我々人類の尊守すべき伝統であると同時に実用性且つ効用性に優れたスポーツであり、我々アンサイクロペディアンオリンピック種目登録を含め、世界にその価値観を広めていきます。
アフガン航空相撲は、地球の生成と人類歴史によって生み出され、過去から引き継がれた貴重なたからものです。それは国際協力を通じた保護のもと、国境を越え今日に生きる世界のすべての人びとが共有し、次の世代に受け継いでいくべきものです。さあ、本記事をご覧になっているあなた、我々の崇高な目的に協力をお願いします。
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アフガン航空相撲 について、ドク
航空力士の体は、普通の人間とは根本的に構造が違う。 超人的な肉体を作り上げる過程自体が、アフガンの偉大な文化なのだ。
アフガン航空相撲 について、民明書房「アフガン航空力士伝ー中東の英雄たち」 
彼らはまず山へ登る。 美しき国土を守るために。各々が山へ登り、空へ舞うための上昇気流を探す。強い者ほど高く、危険な山を選ぶ。そのほうがより強い上昇気流を得ることができるのを経験上知っているのだ。最近では山頂から1000m下の谷底へ落ち、上昇気流で4000mの高さへ舞った者もいるという。より高い山へ登り、より高い空から国土を監視し、国を守ることこそ、彼らの名誉なのだ。事故が全くないわけではない。不幸にも上昇気流を掴むことができず墜落死する者も少なくない。だが彼らはそれでも山へ向かう。死は彼らにとっても恐ろしいものだ。だが、彼らにとって「臆病風に吹かれ空を飛ばない」と言われることのほうが何よりも屈辱なのだ。
アフガン航空相撲 について、 NHKスペシャル「彼らは何故空を舞うのか」 

アフガン航空相撲(アフガンこうくうずもう、Afghan Aviation sumo wrestling、مصارعة الطيرانية الأفغانية)とはアフガニスタンの伝統的格闘技であり、同国の国技である。

20世紀のアフガニスタンの混乱により継承者の不足、過去の資料の喪失等により伝説となっている。現在は国家をあげて再興をはかっている。

アフガン航空相撲

歴史[編集]

ドースト・モハメド・ハーン

発祥と由来[編集]

11世紀ゴール朝の頃、時の国王トースト・ドメスト・ハーン(時代や名前は違うかもしれんが、そんなことは気にしない)の命により、アフガニスタン各地より集められた武術、格闘技に精通した者を中心に編成された近衛兵の間で「ニホンのSumouというスポーツは、地面に着いたら負け。」と勘違いして行った相撲が起源と言われている

航空力士と言う名の由来は空中戦を特色とすることからである。詳しくは後述する概要を参照されたし。

イスラームとの関わり[編集]

敬虔なイスラム教徒の武術である航空相撲であるが、聖典クルァーンには航空相撲に関する記述は一切ない。 また、イスラーム発祥前の無明(ジャーヒリーヤ)時代にも空を飛ぶ武術の伝承はあるが、その多くが悪魔の業としての記述であり、一部の学派を除けば航空相撲とは認めていない。

アフガンのキニスンナ派が支持する伝承集サヒーフ・アル=スモートリーには、預言者ムッハーンマドが飛天の加護を得てメッカの多神教軍を撃破したとの記述が見られる。 現在アフガン政府はこの伝承を航空相撲の起源と主張しており、これに従えば発祥はゴール朝より更に400年前のウメエヤ朝初期にまで遡る。 しかし、その中間に位置するアフガン・イスラム政権のアッバース朝において史書に一切の記述がなく、逆に預言者が飛行を魔術とみなして批判したという伝承があることから、西洋諸国からは「スモートリーは後世の創作である」との批判が絶えない。 現実的には本稿で述べる通り、11世紀以降の発祥とするのが妥当であろう。

なおアフガンで大多数を占めるキニスンナ派ハナタレ学派はこうした批判を一切認めておらず、現地でのスモートリー批判は聖典侮辱罪で鞭打ち、逆さ吊り、浣腸などの罪となる。 このため、同じイスラム圏でも学派の異なる航空力士同士が取り組むことはまずない[要出典]

十字軍と航空相撲[編集]

12世紀には既に航空相撲の主だった技術は完成していたとされ、伝説的な大関(当時の最高位)タニカンやラー・イッディーンの武勇を唄った戯曲は数多い(日本の名力士である谷風や雷電がその四股名をこれらの伝承から取っていることは言うまでもない)。しかし、今日ではこれらの伝承の多くが後世の創作とみられており、必ずしもその信憑性は高くない。

信頼すべき記録としては、イブン・ジュバイルの『旅行記(リフラ)』が挙げられる。その中に、ゴール朝からのメッカ巡礼者たちが「有翼のジン(精霊)ども」を従えていたとの記述があり、これが護衛の力士を精霊になぞらえた表現だとする説が根強い。

西欧側の記録にも興味深い一節があり、第三回十字軍に従軍したフランス兵の陣中記によれば、アッコン戦でサラセン(イスラム教徒)の魔術師が蝙蝠の羽で空を飛び、多くの十字軍将兵の首を刎ねたという。異教徒を悪魔化した与太話に過ぎないとの指摘が一般的であるが、この記述と前述のリフラを併せて「サラーフッディーンの軍勢はメッカ巡礼者からアフガン航空相撲を学んだ」なる俗説があり、今日でもこれを題材とした創作が盛んである。

モンゴル軍襲来時の航空相撲[編集]

13世紀に入り、当時世界を席捲していたチンギス・ハーン率いるモンゴル帝国軍はアフガニスタンをも支配下に入れるため、80万の精鋭を率いアフガニスタンに侵攻してきた。時の国王「アブドラ・ラフマーン・ハーン」はこれを撃退すべく、通常兵力に加え国王警護専門の近衛兵であった航空力士を投入した。当時では戦いは地対地で行うものであり、地対空と言う新しい戦い方にモンゴル軍はなすすべくもなく敗退していった。

後にモンゴルがに変わり、元軍の強化とアフガニスタンに対抗をするために航空相撲を研究し、横綱朝青龍関で有名なモンゴル式相撲を完成させたが、空中戦ができなかったため実戦に使用されなかったということはあまり知られていない。

流派の乱立[編集]

オスマン・トルコが建立した力士像。20世紀末に横綱ドスタム関のテッポウにより完全に崩落した。

チンギス・ハーン率いるモンゴル軍を退けたアフガン航空相撲の名は瞬く間にユーラシア大陸全土に広がり、民間でも航空相撲に対抗し様々な流派の相撲が誕生した。

中でもアフガン首相撲と呼ばれる一派は首技を使用する流派で一時国内で勢力を伸ばしたが、当時最強と呼ばれたアフガン航空相撲一派と雌雄を決する直前にオスマン・トルコ軍と他流試合を行い、最終奥義を極めていなかった首相撲一派は敗北を喫した。 その結果、首相撲一派はその歴史上から完全に姿を消した。

なお、バーミヤン地方の首のない石仏は首相撲一派を倒したオスマン・トルコ軍が勝利の記念に建立したことはあまり知られていない。

また航空相撲派内でも、最も原型に近いグライダー派、伝統を重んじるプロペラ派、現代的な手法を取り入れたジェット派、より過激に高みを目指すロケット派に分派しており、その主流派であるプロペラ派もさらに単葉派と複葉派に分派するなど統一が図られなかったことが後の20世紀における衰退に繫がっていくことになる。

20世紀のアフガニスタンの混乱と衰退[編集]

20世紀に入り、それまで繁栄の一途をきわめていたアフガニスタン王国も衰退し、国内も混乱の度を深めていく。

クーデターが勃発し王制から共和制へ移行し、さらに共和制下での内戦の勃発、そしてアフガニスタンも世界の冷戦と宇宙開発の流れに巻き込まれ大国に蹂躙されていく。アポロ計画において軍事上のアフガン航空相撲の有効性を確かめるため、月面で航空相撲大会が秘密裏に実施されたが、軍事上の有効性はないとする国が多かった。ロケット開発の失敗のために大会参加の機会を逃したソ連は、汚名返上のためにアフガン侵攻という暴挙に出る。

他にも社会主義政権下での内戦、そしてその後のタリバン政権の成立などの混乱の中、本来王朝の近衛兵であった航空力士も規模の小さいものになっていくことになる。

そして庶民の娯楽をも「イスラムの教えに反する」として一切の娯楽を規制したタリバン政権下で、航空相撲は戦場以外で飛ぶことを禁じられすっかり地下に潜ることになり、一部の力士は傭兵として世界の紛争地帯に散っていくこととなった。


タリバン政権と北部同盟[編集]

タリバン政権下に反政府勢力として存在していた部族が連合を組んだ。これが北部同盟である。

北部同盟は航空力士の戦闘力の高さを評価し保護していくことになる。

そんな中、近代アフガン航空相撲の最強の力士ドスタムが生まれる。

ドスタムは国内外に散っていた現役力士、そして各地に眠っている航空力士の才能を持つ若者を集め航空相撲を再興する。

そんな中、タリバンの保護下にあった興行団体アルカイダオサマ・ビン・ラディンが、航空相撲と現代建築との異種格闘技戦を画策。2001年9月11日にアフガン航空相撲協会の反主流派のジェット派を取り込み「9.11 アメリカ同時多発場所」を開催した。この際、航空相撲の破壊力を理解していないアメリカの観客が対戦相手であるWTCタワー内などで観戦したため、数千人もの観客が巻き添えとなって死亡し世界を震撼させた。

この事態はアフガン航空相撲が世界中から注目される結果を生み、一時的に航空相撲復権の気運が高まった。しかし、今回の異種格闘技戦を危険視する国際的な論調の高まりは、これを遥かに凌駕するものであった。

たかが相撲レスラーに国家の威信を傷つけられたアメリカは、今回の取組みをあくまで「テロリストによるアメリカ攻撃」と発表し、再び異種格闘技戦が実施されることの無いようアルカイダ殲滅とタリバン崩壊を画策した。しかしながら航空相撲に対抗し得る兵力を持たないアメリカは、渋々航空相撲の別派閥(プロペラ派)である北部同盟に協力を要請、アメリカの支援を受けた北部同盟はヘラート ・ ジャララバード ・ カンダハルを次々と占領し、ついに首都カブールを陥落させた。

この時の戦闘部隊としての航空力士の活躍は凄まじく、バンカーバスター等の技を駆使し各地のタリバン勢力と激しい空中戦を展開。アメリカ空軍は巻き添えを避けるだけで精一杯であった。しかしながら、航空相撲の存在を表沙汰にしたくないアメリカはこれを隠蔽。その活躍が世界に知られることはなかった。


アフガン航空相撲殺される[編集]

戦後の混乱の中、次のようなニュースが配信された。

【カブール15日共同】  メッカ巡礼のためアフガニスタンのカブール国際空港でサウジアラビア行きの航空機到着を待っていた巡礼者らが十四日午後、 予定日を一日以上過ぎても航空機が到着しないことに激高、空港を訪れたアフガン航空相撲力士の大関アブドルラフマンを殴打し、ナイフで刺すなどの暴行を加えた。 アフガン航空相撲協会によると、大関はその後、病院に運ばれたが死亡したという。

 事件後、同空港には警官数百人が出動し、厳重な警備態勢を敷いたほか、アフガン航空相撲協会の理事長も務めているカルザイ大統領も訪問先のアフガン東部から急きょカブールに戻り、空港でファヒム国防担当理事らと対応を協議した。

 国民のほとんどを占めるイスラム教徒にとって人生最大のイベントともいえるメッカ巡礼に対し、アフガン航空相撲協会の配慮不足と警備の不手際が露呈した形で、アフガン航空相撲の復興と治安維持を掲げるカルザイ大統領にとっては大きな痛手となりそうだ。

このニュースにより世界各国にアフガン航空相撲の存在が知れ渡ることになる。

なお、翌日の NewsWeek誌によると

アフガニスタン航空相撲力士のアブドルラフマンが死亡したのは、 場所が空港内の天井のあるホールだったことが原因であると思われる。 アフガン航空相撲は、その変幻自在の軌道を生かした立体殺法が持ち味。 しかし、民間人であふれ、しかも高さに制限を受ける場所で奇襲を受けた。 民間人をなぎ倒してでもアフガン竜巻脚をかけるか否か、の一瞬の迷いの隙に 殺された、と見るのが妥当であろう。

ちなみにアブドルラフマンの殺害について国際警察ICPOはアルカイダの依頼を受けたとして日本人武道家江田島平八を国際指名手配した。

【イスラマバード16日】 パキスタンの英字紙ニューズは十六日、アフガニスタン航空相撲力士のアブドルラフマンがカブール空港で殺害された事件に、男塾が関与している可能性があると伝えた。

同紙はアフガン航空相撲理事の話として、殺害事件はアフガン航空相撲を混乱に陥れるための男塾の陰謀であると報道。 理事会のカルザイ理事長により殺害への関与が指摘された情報機関担当のタウヒディ理事や国防理事補ら六人の背後に男塾があるとの見方を示した。

殺害された力士はもともとザヒル・シャー元横綱派で、現在は北部相撲協会ラバニ部屋に所属。 各部屋の寄り合い所帯であるアフガン航空相撲協会内には根深い確執があり、地方に割拠する部屋を巻き込んでの権力闘争が事件を引き起こしたとの指摘もある。

容疑を否認する江田島平八
アルジャジーラの取材で、彼はアラビア語も堪能であることが明らかとなった。
なお、「わしが男塾塾長 江田島平八である!!」と言っている(本当)。

捜査当局の談話

空を自由に舞い、その一撃は岩をも粉砕する。 思慮にも長け、義理人情に厚く、人望もある。そんなアフガン航空力士達をも倒すことができる人物となると、世界中にそうはいまい・・・
彼らに対抗できるのは江田島平八容疑者しかいないと断定した。

これに対しカタールTVアルジャジーラのインタビューに答えた江田島平八氏の談話。

私は文献によりアフガン航空相撲の存在を知って武道家として現地で調査をしていたのは事実だが、殺害には一切関与していない。
群集に紛れての殺害など武人の恥である。

と反論している。

また、この事件については、その他多くの説が発表されている。

  • 真の武人だったため民間人には手をあげず、攻撃を受けながらも民衆の暴動をなだめることに徹し武人として誇り高く散った。
  • アフガン航空相撲力士が殺されたというのは誤報であり、航空相撲力士の内の一人がアフガン航空相撲の奥義の一つである「アフガン航空相撲殺(後述)」をした(=された)。
  • 対立する別流派の抗争による高度な暗殺。
  • ある武闘会で敗北した航空相撲力士に対するアフガン航空相撲界での掟としての死。
  • 実はある奥義を会得する為の修行中であったが、失敗して奥義を自らの体に食らってしまい自滅してしまった。
  • その他

現在のアフガン航空相撲[編集]

朝稽古を視察するカルザイ大統領とドスタム親方

前述の殺害事件や、航空相撲の世界的注目、軍事的に見て戦闘力の高さなどを受け、アフガニスタン当局はアフガン航空相撲を国技とすることとした。

現在は元横綱・ドスタム親方の下で、以前の最盛期を取り戻そうと国家をあげて取り組まれている。

また、知名度の向上により、現在はアフガニスタン以外にパキスタントルクメニスタンウズベキスタンタジキスタンイラン中国西部など周辺諸国でも行われている。

日本における航空相撲[編集]

日本の相撲界でもアフガン航空相撲の研究が密かに進んでいた。 しかしながら地上相撲にこだわる一派との航空相撲一派との確執がおさまらず、時の帝は両派を一堂に集め勝負を行わせた。奥義を完成させていなかった日本のアフガン航空相撲一派は 地上相撲一派に完敗し、その歴史から姿を消した。 なお、舞の海が密かに未完成ながらもアフガン航空相撲の修行を積んでいたことはあまり知られていない。

現在では日本航空相撲協会が存在し、富士山12合目に航空相撲合宿所が存在する。また、アングラの闘技場も多く存在するらしく、日本でも荻窪検閲により削除に存在するという情報がある。

ちなみに我が国の国技たる相撲の用語で「ごっつあんです」という言葉があるが、この語源となったのはゴール王朝への忠誠の言葉、ゴール・ツアンティ・イル(ゴール王に栄光を)であるという説が近年学界で注目を集めている。

概要[編集]

アフガン航空相撲の特色として格闘は空中で行うという点がある。

力士の条件[編集]

日本の新弟子検査のようなものは存在しないが、概ね以下のようなことが求められる。

  • 両足を閉じたまま3mジャンプできること
  • 身長190cm、体重100kg以下(あまり重いと飛べないから)
  • 握力200kg 背筋力300kg 砲丸投げ100m以上(できたらオリンピックで間違いなく優勝どころか世界記録を突破する)
  • 100m走12秒以内
  • 高所恐怖症でないこと
  • 敬虔なイスラム教徒であること(必須)

装備[編集]

まわし職人のモハメドおじさん。後継者不足に悩んでいる。

レスラーは蝙蝠の羽(現在は入手が難しいためプラスチックを使うことが多い)を縫って作られた黒い羽を背負い、全身に大量のオリーブオイルを浴びて羽ばたき組み合う。

ルール[編集]

かつてのルールは単純であり、相手の背中の羽を一瞬でも地面につけるか、相手の全身を持ち上げて数歩羽ばたけば勝ちとなった。現在は2004年に導入された新しい競技ルールにポイント制が採用され、競技の安全化が図られている。

[編集]

空中を浮遊するため超人的な腕力が必要とされ、飛行力に頼らない技は独創的なものが多い。 一般的に知名度の高いものとしては

アフガン航空落とし
敵の肉体を天高く放り投げ、秘奥義「アフターバーナー」によって秒速3000mまで加速せしめた上で空中から地面に叩きつけるアフガン航空相撲の基本技の1つ。本来は敵を抱えたまま空中に舞い上がり地面に叩きつけるパワーボムのような技であったと言われるが、この古流には技を外されてしまうと自らが墜落してしまうという危険性が存在していた為、近代航空相撲の父と言われるゴッツ・アンジェルブラ親方の手によって改良が加えられ現在の形となった。ちなみに98年のユーゴ空爆において撃墜された米空軍F-117ステルス攻撃機の残骸に、ミサイルや弾丸による破損ではなく、何者かによる投げ技の痕跡が認められたという話は軍事関係筋では有名である。
テッポウ
丁度今の日本の相撲のテッポウのように両手を激しく突き出し、50mもの高さから攻撃を加えたものである。どのようにして50mも飛ぶかは航空相撲力士の秘中の秘であり、その破壊力は100km先の猛牛の群れを全滅させたとも伝えられている。:
日本の相撲の技「テッポウ」はここから由来されていることはあまり知られていない。
アフガン航空相撲殺
アフガン航空相撲の技でありながら、アフガン航空相撲の存在そのものをも危ぶませる禁じ手中の禁じ手。 第9代航空横綱 チョム・ナム・ジーによって開発された。その威力は山をも砕き、技を繰り出す音は250km先でも聞こえたと言う。 口伝では「空中で相手に掴みかかり、地上に到達するまでのわずかな時間に千発を越える張り手を打ち込む技」とされているが、アフガン航空相撲では機密性を保つために一切の文書・資料を残さないため、その信憑性は疑わしいものであるというのが近年の学会では定説となっている。
なお余談では有るが、日本の相撲を代表する人物「千代の富士」がこの「チョム・ナム・ジー」に憧れて相撲を始めたということは角界関係者の間では公然の事実である。
アフガン竜巻脚
軸足を立てて横回転し、遠心力の乗った蹴り足で旋風を巻き起こす。高位の使い手になればその乱気流が真空の刃となってカマイタチを起こし、海をも割ると伝えられる。対多数で特に有効な技術であり、兵力に勝る元軍を相手に猛威を振るった。しかしあまりの威力のため、人権意識の発達した現代では使いづらいとの指摘が絶えず、この技を得意とするアブドルラフマン関が横死するなどの悲劇を招いている。また、近年の一流力士は気流に左右されない優れた制空技術を持っている者が多く、その存在意義すら疑われつつあるのが現状である。そうした一方で、その見栄えの良さから、創作の世界ではいまだ根強い人気を誇っている。翻案が半ば現地語訳と化した例もあり、日本では「竜巻旋風脚」と言った方が通りが良い。
デーイ・ジカタ
アフガン航空相撲の歴戦の勇者ムハマド・デーイ・ジカタンが考案した技と伝えられる。 これはアフガン特有の土壌から採れる材料から作られた特殊な炸薬を体内に仕込み、空中に飛び上がった際にこの炸薬を体内の「氣」と同時に一気に空気中に放出し空気と攪拌させ最適な混合率になった時点で点火、大爆発を伴う急激な燃焼をおこさせる。 この技によって半径1km以内の者は焼死、もしくは急激な気圧の変化により内臓破裂を引き起こし死に至ったと伝えられる。
しかし、これは技を使用した者の命まで落としかねない諸刃の剣であることと、鍛練を積んだ修行力士の中でもこの技を使える域に達することができるのはごく僅かであり、アフガン航空相撲の歴史の中でも禁じ手中の禁じ手として封印されてきた。 この技は17世紀頃ある蛮族との戦いでも使用されたらしくその名を「南斗人間砲弾」として中国の武術家にも恐れられたと伝えられる。
なお、2001年アメリカ軍がアフガン攻撃の際に「デイジー・カッター」なる爆弾を使用したと報じられたが、これは究極奥義デーイ・ジカタを使用したアフガン航空力士の存在を隠すためのカムフラージュ報道であるという説もあるが詳細は明らかではない。
アフガン人間砲弾
元軍との戦いにおいて勝利したアフガン航空相撲軍は、元軍が使用していた火器に注目した。なかでも宙を飛び敵陣で炸裂する小型ロケット爆弾に感嘆した。「これをわが軍に取り入れれば、より一層軍の強化が進むのではないか」そう思った、時のアフガン皇帝は軍に、航空相撲力士達を中に詰め込み、空中に射出し降下させる「アフガン人間砲弾」を開発させた。 これは驚くほど多大なる戦果を発揮し、アフガンに侵攻しようとするあらゆる国の攻撃を退けた。当時のローマ皇帝に「彼らは自ら爪を出さぬが、決して怒らせてはならない真に恐るべき鷹だ。」とまで言わしめたと伝えられる。
アフガン人間ミサイル
ミサイルの如く相手に突進し、そこから一気に空中へ突き上げ空中でアフガン張り手、アフガン航空落とし等の技を絡める。
アフガン航空地雷震撃
5000mもの高空から落下、着地と同時に四股を踏み、アフガン全土を揺るがす大地震を起こす。
時々起こるこの地方の大地震は表向きはアルプス・ヒマラヤ造山帯の活動と思われているが、実際は航空力士によってこの技が出された影響によるものであることはあまり知られていない。
アフガン地滑り
2000m上空より雨雲を巻き込みながら高速で落下、山腹に蹴りを入れ、巻き込んだ豪雨とともに滑り落ち、大規模な地滑りを引き起こす。しばしば100人以上、時には2000人規模の村全体をも巻き込むことがある大変危険な技である。
バダフシャン州周辺で起こる地滑りは表向きは豪雨によるものと思われているが、実際は航空力士によってこの技が出された影響によるものであることはあまり知られていない。
アフガン鉄砲水
数千m上空より雨雲を巻き込みながら高速で繰り出す突っ張り。凄まじい水流を発し、濁流でその周囲を洗い流す。


本場所一覧[編集]

一年のヒジュラ歴の決まった月に開催される。ヒジュラ歴は季節を反映しないため、「夏場所」みたいな季節の名前が入る通称はない。

2023年現在
開催月 正式名称 開催場所 初日(全て開催月と同月) 概要
サファル月(第2月) サファル月場所 カブール 第1金曜日 イスラム教ではムハッラム月(第1月)に争うことが禁じられているため、代わりに2月に行う。
ラジャブ月(第7月) ラジャブ月場所 カンダハル 第1金曜日
シャアバーン月(第8月) シャアバーン月場所 ヘラート 第3金曜日
ラマダーン月(第9月) ラマダーン月場所 カブール 第3金曜日 ラマダーン月は断食月であるため、多くの力士が空腹に苦しむ。
シャウワール月(第10月) シャウワール月場所 マザーリシャリーフ 第3金曜日

歴代横綱[編集]

第二代横綱バーブラーク・カールマル
第五代横綱アフマド・シャー・マスード
  • 初代 ヌール・ムハンマド・タラキー
  • 二代 バーブラーク・カールマル
  • 三代 ムハンマド・ダーウード
  • 四代 ハーフィズッラー・アミーン
  • 五代 アフマド・シャー・マスード
  • 六代 ブルハーヌッディーン・ラッバーニー
  • 七代 ハジ・モハンマド・チャムカニ
  • 八代 シブガトゥッラー・ムジャッディディー
  • 九代 チョム・ナム・ジー
  • 十代 アブドゥル・ラシッド・ドスタム

ちなみに2023年現在、横綱は空位である。

関連項目[編集]

エドモンド本田
ダルシム

参考文献[編集]

  • 民明書房刊 『フビライ怒りのモンゴル相撲』
  • 民明書房刊 『マイケル・ジョーダンに見る航空相撲の軌跡』
  • 民明書房刊 『中世中近東格闘技大観』
  • 民明書房刊 『怒りのアフガン航空相撲~全相撲みな兄弟~』
  • 民明書房刊 『フビライ怒りのモンゴル相撲 第二版』
  • 民明書房刊 『相撲人生待ったなし!』
  • 民明書房刊 『壮絶!悶絶! 男だらけのアフガン航空相撲』
  • 民明書房刊 『核兵器よりも恐るべきもの~神秘のアフガン航空相撲~』
  • 民明書房刊 『アフガン航空力士伝‐西アジアの英雄たち‐』
  • 民明書房刊 『バスガス爆発』
  • 民明書房刊 『徹底検証・アフガン航空相撲対モンゴル相撲 ~究極の飛翔神技~』
  • 太公望書林刊 『アフガン航空相撲~歴史の光と影~』
  • Jane's Information Group刊 『ジェーン海軍年鑑『飛行兵士の兵力と配備』

外部リンク[編集]

銅
流行記事大賞 銅賞受賞記事

この記事は2007年流行記事大賞にて銅賞を受賞しました。
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