アラブ首長国連邦

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「 Nobody Remembers No.2!」
アラブ首長国連邦 について、ドバイのムハンマド首長

アラブ首長国連邦(UAE、あらぶしゅちょうこくれんぽう)とは、アラビア半島の幻想郷国家である。永遠の二番手たるドバイが「どーばい」と売出し中。なお、正式名称はアブラ首長国連邦である。これはこの砂のかたまりを曲がりなりにも国家として成立させた偉大なる油田様に敬意を表したためである。アラブ首長国連邦という表記も存在するが、もちろん誤記である

UAE青年の描いた7首長国の結合イメージ

国勢[編集]

アラブ首相国連邦(UAE)とは、暑苦しいアラビア砂漠の北方に並ぶ7つの首長国の連合国家である。知名度では、いかにもバブルとてつもなく豪華な建築物が並ぶドバイが他を圧倒している。ドバイの「ムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム殿下は今日も「Nobody remembers No.2!一番だけに価値がある!」と叫んでいる。それを受けて一部報道機関は「UAEの首都はドバイ」と報じた。

しかし、UAEにおけるドバイは実のところアブダビ首長国のナンバー・ツーに過ぎない。1971年の独立以来、アブダビの首長がUAEの元首を、ドバイの首長がナンバー・ツーの首相役を務めることになっている。アラビア半島の勢力関係においても、サウジの影に隠れてナンバー・ツーだ。半島名産の石油を産出しているのもアブダビであり、金融面ではアブダビ投資庁というソヴリン・ファンドが他を圧倒している。ドバイのバブル性に気付いた投資家たちがドバイにグッドバイすると、ドバイはアブダビのハリーファ・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン殿下に跪いて経済支援を請うたものだ。それでもドバイのムハンマド殿下は金融危機の暑さが喉元を過ぎたとみえ、再度同じような経済開発を進めている。殿下の周囲はザ・ワールドで時が止まっているのだろうか? ムハンマド首長(おお、この名前も預言者の前では一番とは…)は、実際にはUAEのナンバー・ツーだが、それでもドバイはアブダビ以上の高い知名度を誇っている。他の首長国に向けて、「Nobody remembers シャルジャアジュマーンウンム・ル・カイワインラアス・ル・ハイマ、and フジャイラ!」と宣言しても、それは外国人にとって決して不自然なことではない。

移民[編集]

UAEの総人口は600万人である。人口面でも石油に沸くアブダビの方がナンバー・ワンでドバイはナンバー・ツーである。だが、それは表面上のことに過ぎない。その内8割程度がインドなどからの移民労働者なのだから。インドとパキスタンの移民総計の方が純UAE人よりも多いのだ。

僕たちは毎日彼女からお口あーんしてもらえるんだ(UAE児童)

アラブ首長国連邦は富裕国のため、自国内で働かなくても移民が勝手にやってきてくれる。しかし、「移民が職を奪っている!」という排外的な叫びはあまり聞かれない。排外に走ったら、「働いたら負けかな」というUAE青年の切なる願いが機能しなくなり、中東幻想郷が壊れてしまうことを良く知っているからだ。彼らは例え中産階級でも、フィリピンインドからやってきた家政婦さんに毎日衣食住をお世話してもらって大きくなる。働くのが移民ばかりなので、アラビア語でなく英語の方が職場での実質的な公用語となっても、青年たちは大学レベルの教養を女学生の「俺の嫁」に任せて遊んでいる。

アブダビやドバイなどでは、イスラム圏にも関わらず、ヒジャーブを付けてない女を多くみかけることができる。しかし、これは多くの場合異教徒の移民であって、大体UAE人ではない。戒律の厳しいサウジなどからやってきたムスリムは、この姿をみた後家に帰ってその姿を独りで大いに堪能する。その魅力はあのタリバンをも呑み込んだ。

歴史[編集]

このような国のため、UAE固有の文化というものは十分発達していない。イスラム以前のメソポタミアの時代からハフィートとかウンム・アン・ナールマガンという古代文明があったようだが、「うーむ、あんなろう」状態のため、研究はほとんど進んでいない。

イスラム史においても、UAEの地を都とした強い王朝は一つもなかった。しかし、交易上は重要な位置にあるため、大航海時代以降は次第に西洋諸国の影響下に置かれるようになった。1700年ごろバニ・ヤース族のナヒヤーン家がアブダビで支配を確立し、1833年には同じくバニ・ヤース族マクトゥーム家がアブダビを出てドバイに国を興した。つまり、歴史面でもドバイはナンバー…(以下略)。

19世紀のペルシア湾は「海賊海岸」と呼ばれるほど海賊が横行していた。そこで大英帝国のビクトリア女王は船隊を派遣して海賊王になり、海岸を休戦海岸と改称して統治した。これについて、当事者たるカワーシム海賊団の末裔たちは「いや、あれはワンピース的な海賊だった」と反論している。

その後は砂の粒を数えることが主産業となった。この地域に暮らしていた7人の土豪は砂の数をめぐってしょっちゅう取っ組み合いや殴り合いを行っていたが、ある日土豪の一人が井戸を掘ろうとしてうっかり石油を掘り当ててしまった。この油は高く売れることが分かり、この土豪はほかの6人の土豪の頬を札束でひっぱたいて手下になることを認めさせた。この際、国名が偉大なる油を記念してアブラ首長国連邦と決定された。UAEを構成する7つの首長国が独立を宣言したのは1971年だった。休戦海岸だけに、独立は平穏無事に運んだ。ただ、ドバイは「アブダビがいたら、いつまでもナンバー・ツーにしかなれない」とばかりに分離独立の機会を伺っている。

文化[編集]

イマーラーティらしさの名の下で固有の文化作りも目指されているが、それは難しい。砂漠のベドウィンはUAE固有でない上に、現役ベドウィンは絶滅状態にある。アイヤーラという戦争に勝つための舞踏があるが、これは「休戦海岸」という戦乱の少ない歴史的伝統にそぐわない上に、「どこがUAE固有なのか分からない」という声が多く寄せられている。石油のレンティア収入だけでは文化にはならない。

そのため、文化の大半はドバイを中心にやってくる移民が担っていることになる。アラブの風俗に見えないいかがわしい文物が主流なのである。そこでは競馬ゴルフなどを通してナンバーワン幻想郷を待望するドバイの霊夢(ドバイ・ドリーム)が国の原動力となっている。

関連項目[編集]

Wikipedia
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