イケア

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しかし、クソっているのではなく醗酵していると主張なさるのであればあなたが熟成させて下さい。もしかしたら美味しくいただける様になるかもしれません。でも、クソですよ。美味しく食べられるかなぁ。byこの記事の作者

イ・ケア(I KEA)は、スウェーデン家具屋生物兵器シュールストレミングの開発元・革命的企業・民間軍事会社である。

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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディアの専門家気取りたちが「イケア」の項目を執筆しています。
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創業者のイングヴェイ・マルムスティーン

目次

[編集] 立ち上げからスウェーデン制圧まで

[編集] 創立

昔々あるところにスウェーデンという福祉国家があったそうだが、そこで17歳だったイングヴェイ・マルムスティーンが結成したデスメタルバンドがイ・ケアの元になっている。クラシックとメタルを融合させた曲が好評であり、また当時は需要があればノンケでも構わない阿部高和のような方針であった。当時のファンの間では彼を「インギ様」と崇拝するのが流行っていたという。 しかし、イングヴェイはライブにゲイしか訪れないのに嫌気が差した上(彼は現在当時演奏していた曲について「あの曲はゲイだよ」と振り返っている)、ジャイアンという強力なライバルに立ち向かうことが出来ずあえなく撃沈。イングヴェイ、失意の元で何を考えたか雑貨屋をオープンし、こちらもノンケでも構わず取り扱う方針であったが、過去の失敗を繰り返さないうちに家具のみを取り扱う方針に切り替える。

[編集] ライバルの登場

順調に業績を伸ばしていったイ・ケアであったが、突如東方アーリア人の国からライバル(ニートリアク・タス大塚"愛"家具)が3つまとめてスウェーデンへ進出(東方アーリア家具連合)、彼らはニートリは都市部、アク・タスは港湾部、大塚"愛"家具は内陸部に攻め込み、競合で将来目の上のたんこぶになるであろうイ・ケアを潰そうと目論んでいた。イングヴェイは数々の経営努力によって対抗するものの、企業体力ではこれら東方アーリア家具連合に分があり、積極的な攻勢により一時イ・ケアは壊滅の危機に瀕する。

[編集] 軍隊所有へ

しかしこうした事態をバネに、自社で独自の軍隊を抱え、侵攻・破壊・占領まで全てまかなう、現在のイ・ケアのスタイルを誕生させた。「力で押さえてくる野郎は力で粉砕する」「お前のものは俺のもの」「ブルース・ディッキンソン(ニートリ社長兼アイアン・メイデンのヴォーカル)はasshole」など、ジャイアニズムの亜流とも言えるこの理論は創業者イングヴェイ・マルムスティーンの口癖であり、それを具現化したのがまさにこのイ・ケア軍である。

[編集] ライバル排除、スウェーデン全土制圧

手始めに東方アーリア家具連合の中でも最大勢力を誇り、最もイ・ケアに対して圧力をかけていたニートリにターゲットを絞り、ゲリラ活動を行うなどしてニートリ各店への家具の配送を滞らせたり、彼らの工場を襲撃するなどしてニートリの体力を削っていった。そして明くる年、産業スパイ数十人をニートリ本社がある北海道へ送り込み、本社一帯を比叡山延暦寺の如く、あるいはドイツの国会議事堂の如く焼き討ちし焦土にしてやった。なお、これらの責任は全て日本共産党に擦り付けてついでに同団体も壊滅させた(かの有名な織田信長公やアドルフ・ヒトラー伍長閣下もこの時の手法を絶賛している)

イ・ケアの積極的な攻勢によりニートリは屈服し、連鎖的にアク・タスと大塚"愛"家具も白旗を掲げ、あえなく東方アーリア家具連合は崩壊、ヨーロッパから撤退していった。いよいよ障壁が無くなったイ・ケアはスウェーデン全土にその勢力を拡大していく。

[編集] スカンジナビア家具20年戦争の幕開け

[編集] 組み立て式家具の威厳をかけた戦争の開始

勢いをつけたイ・ケアはスウェーデン外でも積極的な活動を開始。手始めにスウェーデンの左ぐらいにある細長くてひ弱いノルウェーEUに加盟するか加盟しないかで揉めている隙に電撃戦を行い占領。ノルウェーに増援を派遣していた偉大なる大英帝国軍は全く対抗する事が出来ず、装備を捨てて間一髪で本国へ脱出。この大変情けない事態に対して帝国内では「このチキン野郎」とマスコミ国民に罵声を浴びせられるハメになった。

イ・ケアは占領と同時に直ちにノルウェー全土に家具屋を設置、安価で質の良い組み立て式家具はノルウェー国民に大変喜ばれた。また、ノルウェー政府に不平等条約を突きつけてサーモンフィヨルドアバブラックメタルに関する利権も手に入れる。これがスカンジナビア家具20年戦争の幕開けである。

ノルウェー当局はスウェーデン国境沿いにサーモン線という巨大要塞を築いており、北部のスカンジナビア山脈を戦車が走破するのはまず不可能とイケアを甘く見ていたが、創業者イングヴェイが20時間の交渉の末口説き落とし、参謀として雇い入れた奇才・フグ田マスオのアドバイスにより、スカンジナビア山脈を突っ走ってノルウェーへ雪崩れ込む作戦を立案し、見事短期間でノルウェー占拠を成し遂げたのであった。

[編集] イ・フィン戦開始

次の年、調子に乗って森と湖の国フィンランドにも雪崩れ込み(独ソ戦にならってイ・フィン戦、東部戦線と呼ばれる)、当初は順調に侵攻を進め、フィンランド北部ラップランド州を難なく制圧し、家具屋を設置。フィン人の受けはあまり良くは無かったが、同州で多数を占める遊牧民族のサーミ人達から「客に組み立てさせてコスト削減を図るとは、まさに革命的な家具である」と絶賛され、同地方に在住のサンタクロースから「来年度からのクリスマスプレゼントは全てイ・ケアの家具を採用しようと思う」などの発言が飛び出し、フィンランド全土にイ・ケアの家具屋がオープンするのは時間の問題とされた。

[編集] イ・フィン戦の泥沼化

しかし程なくしてイ・ケア軍の前に百戦錬磨の強敵、フィンランド軍が立ちはだかる。フィン人の間では「イ・ケアは偽善ぶってるが、内面はソ連と同じ」「組み立てるのが面倒くさい」「家具はDIYで作ったほうが安い」との認識が根強かった為イ・ケアは侵略者と見なされ、結果この戦争に進んで参加する国民が続出。フィンランド軍はかつて無いほどの規模に膨れ上がっていた。

余裕たっぷりのフィンランド軍は手始めにスキー兵を派遣してサンタクロース村を襲撃。祝勝ムードで包まれていたイ・ケア軍にモロトフ・カクテルをたっぷり飲ませて酔いつぶれたところで同村に設置されていた家具倉庫に放火、瞬く間に倉庫は全焼し、彼らの生きがいであった組み立て式家具が全て失われた。その結果、戦意喪失したイ・ケア第1歩兵師団は「マンネルヘイム元帥に謝りたい」とあっけなく降伏。またイ・ケアに媚を売っていた第14代目サンタクロースをスバールバル諸島へ流刑処分とし、新たに親フィンランドの15代目サンタクロースを擁立した。

[編集] 中国製品の回収騒ぎ、そして敗北

イ・ケアにはさらなる不幸が襲い掛かった。でかいほうの中国で製造していたスチール製の家具から鉛が大量に検出、さらにはソファーやマットレスにダンボールが原材料として使用されていたことが発覚して回収騒ぎが起こり、エクストリーム・謝罪に借り出されるハメになった。

不祥事への対応にイ・ケアが追われている間、東部戦線では恐れていた冬将軍が到来。スターリンの下僕・ソ連軍をフルボッコにした経歴があるフィンランド軍は冬将軍を巧みに生かし、かの有名な冬戦争・継続戦争でフィンランドを見事に守ったマンネルヘイム線と同一名称の「第二マンネルヘイム線」という防衛ラインを建造。イ・ケア軍は度重なる作戦(ポエング・ミカエル・ビリーなど)を発動させるものの、勇敢な司令官大ティモに率いられたフィンランド軍はびくともせず、モロトフ・カクテル、スキー兵を中心としたモッティ戦法を駆使してイ・ケアを各所でフルボッコにした上、家具屋を軒並み破壊する。この時点でイ・ケアの敗北は目に見えていたわけだが、自意識過剰のイングヴェイ・マルムスティーンは敗北を認めず、死守命令を乱発したために至る所で被害が拡大した。

こうしてイ・ケア中枢が混乱しているうち、ついにはスウェーデン・フィンランド国境沿いまでイ・ケア軍が押し戻されてしまう事態になってしまい、今度ばかりは自己中のイングヴェイ・マルムスティーンも敗北を認めざるを得なくなった。シュールストレミング登場まで、しばらくは両者ともども国境線でにらみ合う日々が続くことになる。

[編集] 悪魔の兵器シュールストレミングの開発

[編集] 敗戦処理

イ・ケアにとって敗北は初めてであり、非常に屈辱的なものであった事は言うまでも無い。最も恐ろしいマスコミから批判を避けるため、自己中創業者のイングヴェイはまず参謀のフグ田マスオに全責任を擦り付け、軍事裁判を開き彼をスバールバル諸島へ流刑とした。またカツラを被りだした瞬間から自分が世界で一番のスターだと勘違いし始めた最高司令官のマーク・ボールズをハッテン場に追放。新たな参謀としてイタリアからベニト・ムッソリーニ、最高司令官としてマリオを呼び寄せ、世界で最も人生を謳歌しているであろうイタリア軍らしいマカロニ仕込みの愛に溢れた訓練方式でイ・ケア軍を立て直す。

[編集] 生物兵器シュールストレミング

シュールストレミング。スウェーデン語で「イ・ケアはこれを食べた者の命を保障しない」と書かれている

またこの膠着戦を打破するためにイ・ケアは極秘裏に秘密兵器を開発していたが、そのうち生物兵器シュールストレミングが試用段階に達したため、これを米帝から購入したボーイングB-29「イ・ケア・ゲイ」に積み込んで膠着した戦線に実験投下。戦場は瞬く間にその暴虐過ぎる臭さに包まれ、当初はフィンランド軍の師団が数個壊滅するなどの大きな戦果を挙げたものの、風向きが西に変わった瞬間にイ・ケア軍に甚大な被害(中央軍集団の壊滅)が及んでしまい第一次実験は失敗に終わってしまった。

失敗したとはいえ、殺傷能力は無くとも甚大な被害をもたらす人間と地球に優しい(イ・ケアはエコロジーに関心があるので大変重要である)兵器であることは実験により判明したが、味方へも甚大なダメージを与えてしまう点が問題とされた。創業者イングヴェイはシュールストレミングがイ・ケアの命運を握ると考え、研究チーム(缶詰部門)に研究の続行を指示。そして直ちに批判を回避するために「ウェー、ひどいな!フィンランド人のオナラは臭いんだよね」と宣伝したため、マスコミからのバッシングを回避することが出来た(その代わりフィンランド人の反イングヴェイ感情を煽ってしまったが)

[編集] 実用までの長い道のり

失敗を踏まえた第二回実験では、コストを削減するために北朝鮮から輸入したスカッドミサイルにシュールストレミングを積載してヘルシンキに叩き込む予定であったが、輸入したミサイルは欠陥まみれな上に輸送に手間がかかり、おまけに発射したミサイルがスウェーデン・フィンランド国境近くのイ・ケアの家具屋に墜落、約10万個の家具に腐臭がこびりつき使用不可能になるという甚大な被害を被る。以後、イ・ケアは北朝鮮とは一切取引をしなくなる。

なおイ・ケアはこの失敗を踏まえ、現在の彼らの特徴の一つである「フラットパック」(薄く極力無駄を省いて輸送しやすくした上、客が持ち帰るときも車で運びやすいパッケージ)を開発し自社の組み立て式家具に採用。客から大いに好評を得ることに成功した。

[編集] 粛清の嵐

またこの時期ベニト・ムッソリーニがスウェーデンやノルウェー国内の小学生から「ムッツリーニ笑い)」と馬鹿にされて権威がなくなったため、当初から彼を「あの醜い顔を殴ってやりたい」と嫌っていた創業者イングヴェイはムッソリーニをスバールバル諸島へ流刑処分とした(後にオットー・スコルツェニーが救出)。また、2月26日に自己中イングヴェイは取締役のマイク・テラーナを「奇妙なアティテュードが理解できない」「正気かよ!お前はただの取締役!スターじゃないんだ!」と批判し、中央軍集団司令官のヨルン・ランデを「頭がすこしおかしい」と罵倒し、スウェーデンエリアマネージャーのグラハム・ボネットおじさんを「お前なんて地獄に落ちろ!」として、以上3名ほか310名をハッテン場ソマリアヨハネスブルクに追放、イ・ケア軍の軍規を引き締めた。これを俗にスウェーデンでは二・二六事件と呼ぶ。

大量粛清して気分がルンルン状態だった創業者イングヴェイだが、その分人材が不足してしまったの気づき、慌ててグッドウィルフルキャストトランスコスモスなどの人材会社から不足分を補い(もちろん偽装請負)、また新参謀にローマ帝国を建国して暇をもてあましていたガイウス・ユリウス・カエサル、さらにドイツから偉大なるアドルフ・ヒトラー伍長閣下を特別顧問として呼び寄せて、偽装請負の底力、ローマ帝国の栄光と見栄と意地、そして世界一の科学力で再度イ・ケア軍を立て直す。

[編集] シュールストレミング実用化成功

ヒトラー伍長閣下の好意により、世界一の科学力を持つドイツから最新鋭のスカッドミサイルを導入することに成功し、第三回実験では見事シュールストレミング入りのスカッドミサイルをヘルシンキに叩き込む事に成功し、市民を暴虐たる腐臭で大いに苦しめた。この直後にボドム湖のほとりでレミングの臭いで発狂した子供がキャンプに来ていた同級生2人をで殺害するという事件(通称:チルドレン・オブ・ボドム)が発生した。またイ・ケア軍全員にガスマスクを支給すれば前線にもシュールストレミングが投入できることに気づき、早速ガスマスクの支給とフィンランド軍前線に対するシュールストレミング無差別爆撃を開始した。

[編集] 20年戦争・終盤戦

[編集] イ・フィン戦の終焉、戦争終結

究極の大量破壊兵器である生物兵器シュールストレミング投入により、流れは完全にイ・ケア側に傾く。

短い夏場までに十分な戦力を整えたイ・ケアは陸海空を結集させた大規模な作戦(ミートボールのクリームソースかけ作戦)では100万トン近いシュールストレミングを投入し、B-29がフィンランド全土にシュールストレミングをばらまき全土を鼻がひん曲がるおぞましい腐敗臭で覆い尽くすことに成功。7月には堅い防衛線であった第二マンネルヘイム線を突破することに成功している。

だが7月下旬、フィンランド軍に捕獲されたシュールストレミングを仕込んだスカッドミサイルがスウェーデンのストックホルム、イェーテボリ、ノルウェーのオスロ、トロンヘイムに撃ち込まれ、各市内が案の定凄まじい腐臭に包まれ、街の機能は一時ストップするという事態に陥った。今まで体感した事のない腐臭に遭遇した市民は次々と倒れ、莫大な犠牲を生じるハメになった。

これに危機感を募らせたイ・ケア中枢とヒトラー伍長閣下は7月30日、フィンランドの生命線であり世界最大の携帯電話メーカーのノキア本社攻略のためありったけの兵力を動員、シュールストレミングを仕込んだスカッドミサイルをしこたま撃ち込んで無力化。これによりフィンランドは屈服させられ、イ・ケアは念願であったヘルシンキに入城することが出来た。

既に戦争勃発から20年は経過しており、スウェーデン人もフィンランド人も「ようやくシュールストレミングの臭いから開放される」と安堵の表情を見せた。フィンランド占領後は速やかに全土に家具屋を設置し、ラップランド占領時の反省を踏まえ、現地のニーズに合わせた組み立て式家具を提供することにより地域密着型の家具屋を目指し、住民からは大いに好評であった。

[編集] イ・ケア帝国樹立

[編集] 北欧諸国の制圧

フィンランド制圧後、イングヴェイが「そういえばノルウェーの左上に島があったなあ」とアイスランドの存在を思い出し、賞味期限ギリギリになったシュールストレミングを廃棄がてら撃ち込んで屈服させ、氷河と火山の上にも家具屋を設置するという偉業を成し遂げる。最後に残された北欧諸国であるデンマークには手初めに産業スパイを送り込み、デンマーク特産のランチョンミートの缶詰の中身をシュールストレミングとすり替えて国内経済を壊滅させた後、混乱に乗じて軍を送り込んで占拠。

[編集] 世界に冠たる組み立て式家具帝国

北欧諸国を全て掌握したイ・ケアは、ここにスカンジナビア北欧・イ・ケア帝国を打ち立てた。占領諸国では大規模に家具屋を展開し、しこしこと自社の組み立て式家具を売りさばき好評を得る。この時点でグループ全体の売上は100億ユーロに達している。

この一連の模様はここ日本でも日本放送協会プロジェクトXにて取り上げられて、「シュールストレミング:腐ったレミングでもやるときゃやる!」という題名で放送されて日本でのイ・ケアとシュールストレミングのイメージアップに繋がった。

[編集] その後

なおシュールストレミング開発時に並行して研究されていた兵器がいくつかあるが「20年戦争が終結したから必要無くなったけど、捨てるには勿体ない」と判断されてイ・ケア外の企業・団体・個人に対して極秘裏に譲渡された。売却先は以下の通り。

なお科学者ごと引受先に移籍しており、これらはそれぞれの国で研究が続行された後にいずれも開発成功・実用化され現在も活用されている。

[編集] ヨーロッパから世界へ

IKEAはとにかくロープライスに夢中!

シュールストレミングという有力兵器を手に入れたイ・ケアであるが、さすがにUFOシュトロハイムを製造出来る科学力を持つ世界に冠たるドイツに喧嘩を売るわけにはいかず、元イ・ケア特別顧問であり、ドイツ第三帝国総統のアドルフ・ヒトラー伍長閣下と再度手を組んだイケアは契約のもとドイツに家具屋をオープンさせて順調に売上を伸ばしている。今後はアメリカは元よりアジア、オセアニアにも進出する予定があり、米帝チンパンジー大統領やその国民、イエロー・モンキーの皆様はシュールストレミングの恐怖に怯える今日この頃である。

なお、現在はハーグ条約に基づきスウェーデン国内は元より全世界でシュールストレミングの所有は規制されているが、イ・ケアはその絶大なる権力で全世界の家具倉庫に合計1000万トン近いシュールストレミングを備蓄しているという。

[編集] 関連項目

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