ウォーロック (雑誌)

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ウォーロック(英名:warlock、和名:魚六)とは小説家翻訳者ゲームデザイナーである安田均魔法使いとしての仮の姿である。使い魔の64ページを毎月17日(後期は20日)[1]社会思想社に召喚し、1986年12月から1992年3月まで計63回も黎明期の日本ゲームブック及びテーブルトークRPG界を混沌の渦に巻き込んだ。

目次

[編集] 概要

ウォーロックである監修者こと安田均は、1984年末発売のゲームブック『火吹山の魔法使い』が大ベストセラーになったのを受けて調子に乗った社会思想社から三顧の礼を持って迎えられ、1986年に既にイギリスで創刊されていた『ウォーロック』誌の日本語版を創刊した。この1986年はコンピュータRPG界では『ドラゴンクエスト』の発売、テーブルトークRPG界では「ロードス島戦記」のD&D準拠のリプレイ記事が『コンプティーク』誌[2]に掲載されるなど、第一次RPGブームの始まりの年であった。

ここでは『ウォーロック(日本語版)』と、その創刊以前のプレ小冊子『ゲームブックマガジン』、なぜ安田均がウォーロックである監修者にになったのかについて述べる。

[編集] 歴史

[編集] ウォーロックの誕生

ウォーロックである監修者の貴重な写真

社会思想社の一社員H.T氏(仮名)は困っていた。イギリスで大ヒットしたゲーム小説が融合したゲームブック『火吹山の魔法使い』の版権を面白いからと言う理由で獲得し、1984年末に発売したところ、あれよあれよと言う間に50万部を超える大ベストセラーになってしまった。残念な事に『ソーサリー』と『ファイティング・ファンタジー(テーブルトークRPG)』の版権は東京創元社に取られてしまったが、続編の『バルサスの要塞』や『運命の森』などの「ファイティング・ファンタジーシリーズ」の版権はどうにか確保した。しかし、社会思想社は今まで教養のあふれた堅真面目な本しか扱った事が無く、ゲームや小説に対してのノウハウは全くなかったからだ。

そこで、H.T氏は、社会思想社から出ていた数少ないファンタジー、中世ヨーロッパ時代の解説書や、ゲームブックの翻訳者からなる人脈をフルに活用した結果、当時からファンタジーSF界の重鎮として名の知られていた安田均氏が、ゲームブックやテーブルトークRPG[3]に興味があり、関西の暇な大学生らと夜な夜なテーブルトークRPGを遊んでいる[4]と言う噂を耳にした。

早速H.T氏は、安田氏に今後の社会思想社のゲームブックやテーブルトークRPGの展開を考える指南役になって貰うように考え、安田氏と面会の約束を取り付けた。ところが現れたのは、とんがり帽子にマスク、黒マントに樫の杖のコスプレをしたオッサンであった。

H.T氏「安田均さん、なにしてるんですか。」

安田均「わしは安田均ではない、<ウォーロック>である監修者なるぞ。」

これが、ウォーロックである監修者が誕生した瞬間であった。

その後、ウォーロックである監修者は、『バルサスの要塞』の解説、『地獄の館』の翻訳などの仕事を安田均名義で行った。

[編集] 小冊子『ゲームブックマガジン』

ウォーロックである監修者は、ゲームブックやテーブルトークRPGの今後の発展には専門誌[5]が不可欠だと考えた。そこで、ウォーロックである監修者は(安田均の本職であった)翻訳家から魔法使いに転職したことで習得した召喚魔法で使い魔を召喚し、専門誌を作成しようと考えた。そして、1986年6月に、社会思想社の地下室で第一回目の召喚の儀式を始めた。ところが、転職直後で技術点の上がっていなかったウォーロックである監修者が召喚できたのは32ページという文庫本サイズの小悪魔であった。仕方がないので、ウォーロックである監修者は32ページをこき使い『ゲームブックマガジン』という小冊子を作成したが、第一回目は32ページなのに24ページの小冊子しか作れない体たらくであり、その不甲斐なさに絶望した。その後もくじけずに、ウォーロックである監修者は隔月ペースで計六回32ページを召喚し、二回目以降32ページは名前どおり32ページの小冊子を作成した。

[編集] 専門誌『ウォーロック(日本語版)』

実は、ゲームブック『火吹山の魔法使い』の作者であるスティーブ・ジャクソンイアン・リビングストンは1984年にゲームブック専門誌である『ウォーロック』を創刊していた。この事を知ったH.T氏はウォーロックである監修者と同名のゲームブック専門誌が既に存在していた事に驚いたものの、これも何かの縁だと考え、東京創元社に版権を取られないように極秘密裏に『ウォーロック(日本語版)』の創刊を計画した。この時、ウォーロックである監修者は技術点不足で『ゲームブックマガジン』の時のように貧弱な小悪魔しか呼べない事を恐れ、ポート・ブラックサンドの「ブラック・ロブスター亭」でエール酒を浴びるように飲みながら、僧侶の多摩豊(初代編集長)、戦士の近藤功司(二代目編集長)、旅芸人の神月摩由璃(名前負けしない美人☆☆★)の三人とパーティーを作成した。そして、1986年12月、ウォーロックである監修者は『ウォーロック(日本語版)』の創刊のための第一回目の召喚の儀式を始めた。そこで召喚できたのは、64ページという図体は大きいがやせひょろの使い魔であった。この使い魔は仕事は遅いものの勤勉であったために、初期は『ウォーロック(英国版)』の「ファイティング・ファンタジーシリーズ」の解説記事やオリジナルゲームブックの翻訳、中期は「トンネルズ&トロールズ」などのテーブルトークRPGの解説記事を中心とした64ページの専門誌を作成し、順調に召喚回数を増やしていった。

ところが、ウォーロックである監修者は、そのまま監修者としての仕事を続けると、本業の翻訳者の仕事に支障をきたす事に気づき、1991年2月の50回目の召喚を最後に、『ウォーロック(日本語版)』の監修者からは身を引いた。ただし、64ページの召喚の仕事は代役がいないのでそのまま続けられた。

ついには、1991年10月の58回目の召喚で「ウォーハンマーRPG」という512ページの使い魔を三匹一緒に召喚したために、所詮64ページの『ウォーロック(日本語版)』では扱えきれず、1992年3月の63回目の召喚をもって打ち切りとなった[6]

[編集] 使い魔たちとウォーロック

32ページ。一部画像と解説に異なる点があります。
32ページ
  • 技術点・五
  • 体力点・六
  • 生息地・社会思想社
  • 遭遇員数・一
  • 形態・文庫本サイズの悪魔
  • 反応・友好的
  • 知能・中
  • 獲得経験点・三十二点(第一回目の召喚のみ二十四点)
  • 獲得銀貨・一枚[7]
  • 召喚した回数・六回
  • 別名・ゲームブックマガジン
64ページ
64ページ。大きすぎて頭しか入らない。
  • 技術点・七
  • 体力点・九
  • 生息地・社会思想社、大型書店、ホビーショップ
  • 遭遇員数・一〜六
  • 形態・A4サイズの巨人
  • 反応・友好的
  • 知能・高
  • 獲得経験点・六十四点(第四十四回目の召喚のみ九十六点。詳しくは逸話を参照)
  • 獲得銀貨・五枚[8]
  • 召喚した回数・六十三回
  • 別名・ウォーロック(日本語版)

他にも、128ページ256ページという使い魔もいたらしいが、ウォーロックの発行部数技術点不足と社会思想社の資金不足により、表に出ることなく闇に葬られた。

最後に『ウォーロック(日本語版)』第八号に掲載された、ウォーロックである監修者の能力を公表する。

  • 技術点・九
  • 体力点・十八
  • 生息地・兵庫県神戸市
  • 遭遇員数・一
  • 形態・人間型
  • 反応・友好的
  • 知能・高

[編集] 逸話

  • 1987年7月の第7回目の召喚の時には、ゲームブックの神様ことスティーブ・ジャクソンとイアン・リビングストンの二氏を魔法のじゅうたんで出迎えてイギリスから呼び寄せた。二氏を迎えて行われたゲームブックファンの集い「ライブ・ウォーロック」では、ウォーロックである監修者が唯一読者の前に姿を見せた。
  • 1988年2月の第14回目の召喚では64ページでなく、ロックを踊る魚人を召喚した。この姿に感銘を受けた桑名真吾氏は、後にアイディアファクトリーなるクソゲーゲーム会社を創立した。
  • 1990年8月の第44回目の召喚では96ページを召喚し、ウォーロックである監修者本人も近藤功司編集長も読者もみんな驚いた。実は、社会思想社のH.T氏が勝手に32ページの教養文庫解説目録を召喚したのであり、64ページたす32ページ96ページになっただけである。

[編集] 脚注

  1. ^ 遅れる場合あり、というより発売日に出たのを見た事がないとの証言が『ウォーロック(日本語版)』の読者コーナーに残されている。
  2. ^ 現在、角川書店から発売されている萌えゲー及び萌え漫画雑誌は名前が同じだけで全くの別物である。
  3. ^ 当時はテーブルトークRPGという名称はなく、ボードを使わないのにボード型RPGと呼ばれていた。
  4. ^ これが後のグループSNEの母体となった。
  5. ^ 当時は『タクティクス』(ホビージャパン)や『シミュレイター』(翔企画)で隔月ぐらいのペースで特集が組まれるだけであった。
  6. ^ 廃刊ではなく休刊であるためゲームブックとテーブルトークRPG界の情勢変化により復刊の可能性もあったが、2002年の社会思想社倒産によりその可能性も無くなった。
  7. ^ 日本円に直すと100円(1986年当時)
  8. ^ 日本円に直すと480円(1986年 - 1989年3月当時)のち490円(1989年4月 -)

[編集] 関連項目


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