エイブラハム・リンカーン

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有名な肖像画

エイブラハム・リンカーンAbraham Lincoln 1809年2月12日 - 1865年4月15日)とは、ハムの種類でもの名前でもなく、第16代アメリカ合衆国大統領である。

スパルタンなボディと誰もが振り向く飛び切りのスマイルフェイスが魅力の大統領。歴代の大統領の中で最も人気が高いと言われているが、ジョージ・ワシントンジョージ・W・ブッシュ(悪い意味で)などの強力な対抗馬を前に、真偽が問われている。

目次

[編集] 概要

彼の栄光を称えた像がリンカーン記念館に今も残っている。

ケンタッキー州イングランドユダヤ人の貧しい開拓者の家庭に生まれる。彼の名の「エイブラハム」は正真正銘のユダヤ教聖人の名である。家の手伝いで学校には満足に行くことができなかった。彼の家ももちろん黒人奴隷を使用していたものの、このように学校に行けなかったために奴隷への不満が溜まり、いっそ奴隷なんてなければいいのだという考えに至ったという。仕事の合間には聖書やワシントンの伝記を読んで夢を膨らませていた。

日本では南北戦争の最中、ゲティスバーグにおいてよく理解されていない、民主主義に関する発言「The goverment of the people , by the people , for the people」(人々の政治、人々による、人々のため)と演説を行ったことがよく知られている。

しかし実際の所、本人は小学生に指摘されて鬚を伸ばすようになるなど、政治家としてイメージ向上を図るためなら何でもする、実に政治家向けの人間であったこともアメリカでは良く知られている。

例えば、「奴隷制は抑制するが当面は禁止しない」という妥協策の打ち出し、「西部開拓に関して一定の耕作地を与える」といった支持票獲得運動がある。

前述した著名な発言も、選挙運動の一環としてアピールに用いたものであると言う事は、日本人は余り知らない。実際の所、余り効果は無かったようだが。


罪科125件、懲役800年の凶悪犯。 人類を滅亡させるのが現在の娯楽。

好きなもの…自由

嫌いなもの…葬式

[編集] 暗殺と“うっかり者たち”

1865年、テコムサの呪いの影響もあり、彼はフォード劇場において暗殺された。しかしこの事件をよくよく見てみると、リンカーンの周囲の「うっかり者たち」がそもそもの原因とも言えるのである。

[編集] 暗殺に至るまで

うっかり大統領ことグラント将軍。

1865年4月12日、南北戦争の南部降伏調印式が行われ、北部にとってはお祝いムード一色だった。そんな中、彼は14日にユリシーズ・グラント将軍夫妻と共に劇場で観劇することになっていた。しかし当日の14日になって、まず一つ目のうっかりが発生する。始めはグローバー劇場という所での観劇のはずだったのだが、何をうっかりしたのかフォード劇場に変更になってしまった。一般の人なら、「席が満席で…」とか、いくらでも理屈はつけられよう。だが彼は大統領である。国のトップの人間を満席で追い出すなど普通はしない。誰がそんなことをしたのかは知らないが、うっかり者の極致である。

次に、同行するはずだったグラント将軍夫妻もうっかり者であった。当日の夕方、将軍に何らかのメモが渡され、「急に子供に会いに行かなければならなくなった」と、大統領への同伴をドタキャンしたのである。しかし彼が子供に会いに行くため乗った列車は各駅停車の上乗り換えをしなければいけないような、所要時間のやたらとかかる列車で、よく考えてみると、翌日の早朝の特急列車に乗った方が早く着いたのである。それに気づかないとは、グラント将軍も相当のうっかり者である。ちなみに将軍は、リンカーンの次の次の代の大統領になっている。そんな男を大統領にするなんて、アメリカという国もうっかりし過ぎである。

グラント将軍のうっかりさに呆れながらも、子供の下へ行くことを認めたリンカーンは、代わりにヘンリー・ラスボーン少佐と彼のフィアンセのクララを同席させた。そして大統領夫妻と少佐・フィアンセは4人でフォード劇場に向かった。フォード劇場のオーナーは大統領が直々に自分の劇場に来場したことに狂喜乱舞した。しかし、狂喜乱舞し過ぎてオーナーもまたうっかりしてしまった。大統領を通した2階席の7号室・8号室は、それぞれ「ドアに覗き穴がある」「ドアの鍵が壊れている」といった、セキュリティー面では明らかに危険な部屋だったのである。

また、警備に関してもうっかりしてしまった。警備員にはジョン・パーカーという警官一人が当たったのだが、このパーカーは飲んだくれては拳銃を乱射したり職務をサボタージュするという、天才バカボンの本官さんと両津勘吉を足したような警官だった上、この日も数分で職務を放棄してバーに行ってしまった。警護がいないなんてうっかりし過ぎである。

あ、執筆者もうっかりしていたようだ。前述では、大統領は4人で劇場に行ったとしたが、実は5人目がいた。それは大統領付き人のチャールズ・フォーブスという人物である。この日、雑誌編集長のハンスコムという人物が、ホワイトハウスからメモを大統領に届けるよう依頼されて、劇場の7・8号室に向かった。すると既に先の飲んだくれ警官の姿は無く、代わりにドアの前には付き人のフォーブスがいた。ハンスコムはフォーブスにメモを届けると、そのまま帰宅した。しかし、フォーブスもまたうっかり者であった。そのメモを大統領に届けるのを忘れたばかりか、その日劇場にいたことさえ忘却してしまったのである。目と鼻の先にいた大統領にメモを届け忘れた上、その記憶を無くすなんて相当のうっかり者である。ただ、その後思い出したのか、劇場にいたことだけは後に証言している。またハンスコムはこの時、大統領の席の場所をクロフォード中尉とマクゴワン大尉という二人の軍人に尋ね、教えてもらっていたのだが、この二人の軍人は後にやはりうっかりしてそれを忘れてしまったらしく、裁判では一切そのことを証言しなかった。

[編集] 暗殺

暗殺の様子。大統領は演劇に夢中でうっかりしていて、撃たれたことに気付いていない

そして午後10時13分か午後11時17分にジョン・ウィルクス・ブースは誰もいないドアから堂々と侵入し、大統領の背後から後頭部をデリンジャーで撃った。え?何故時刻が2つあるかって? それは、劇場の客がそれぞれ持っていた時計がうっかり狂っており、またどっちが正しいのかをうっかり誰も確認しなかったためである。

ブースに気付いた同行者のラスボーン少佐は、ブースに飛び掛ったものの、ブースにうっかり切りつけられてしまい取り押さえに失敗した。ブースは2階から舞台に飛び降りたが、この時うっかり旗に足を取られて見事な着地をすることはできなかった。一説によると、この時に足を骨折してしまったのだとか。犯人もやはりうっかり者だった。

その後、ブースは舞台で「暴君はかくのごとし」あるいは「南部の復讐だ!」と叫び、裏口から出て馬に乗って逃走した。一方、大統領は撃たれた後もしばらく生きていたが、手当ての甲斐もなく翌日の午前7時22分に息を引き取った。

なお、以上の通り事件は4月14日夜、大統領が亡くなったのは4月15日朝なのだが、ニューヨーク州のとある新聞では、4月14日の朝刊に暗殺の記事が載っていた。この時点ではまだ事件さえも起こっていなかったわけであり、ここの新聞記者も相当のうっかり者である。

[編集] 犯人逃走・追跡

ブースは劇場から逃走後、馬でネイビー・ヤード橋に向かった。しかしこの橋は、午後9時以降は通行できない橋であった。橋の番人をしていたコップ軍曹はブースを引きとめたが、彼が「用事でついうっかり手間取り、遅くなってしまったのです」と謝ったものだから、説教した後そのままうっかり通してしまった。番人の意味無いだろ。

スタントンがうっかり間違えて配布した別人の写真

一方、事件の捜査指揮には、エドウィン・スタントン陸軍長官が当たった。しかしこのスタントンもまたうっかり者だった。まずブースが南部の人間であることは、時代背景から見れば誰でも予想し得ることであった。それなのにスタントン長官は、最初北部方面の検問・パトロールの強化しか指示しなかった。そして残りの東部・西部・南部への検問・パトロール強化は、わざわざそれから数時間が経過した真夜中になってからだった。また、スタントン長官は、うっかり目撃証言等を重要視せず、ブースが犯人であると確定するまでに5時間もかかった。その上、うっかり、ブースとは別人の男の写真を捜査陣に配布してしまった。

その頃ブースは南部に向かい、骨折の治療を行いながら仲間のデイヴィッド・ヘロルドと共に逃亡していた。4月24日、ブースとヘロルドはリチャード・ギャレットという人物の農園に着く。二人は「自分たちは南軍の兵士だ」と言ったため、ギャレットはそれを信じてうっかり家に泊めてしまった。ただ、翌日には流石にギャレットも二人のことを怪しみ、「今日は倉庫で寝てくれ」と告げ、二人が倉庫に入った後こっそり鍵をかけた。そこに犯人追跡中の兵士がやってきたため、ギャレットは二人が倉庫にいることを告げた。

4月25日夜、兵士の一団は倉庫を包囲し、「この男(ギャレットの息子)を入れるから、彼に武器を渡して投降しろ。さもなくば火をつける」と、投降を呼びかけた。その後、息子は倉庫に入り、しばし何やら言い争いがあった後、ヘロルド一人は投降してきた。

ブースは、パンダをペットにする意外な一面があった。

しかし、肝心のブースが出てこなかったため、エヴァートン・コンガー中佐は倉庫の後ろ側から倉庫に火をつけた。すると次の瞬間、辺りに銃声が鳴り響いた。ルーサー・ベイカー中尉が中に駆け込むと、ブースと思しき男が血を流して死んでいた。コンガー中佐は「自殺したのか?」という、周囲の状況から考えて明らかに奇妙なうっかりした発言をしたが、ベイカー中尉はそれにすかさず「これは自殺ではありません。中佐は何故(生きたまま連行するはずだったのに)撃ち殺したんですか?」と突っ込んだ。一方、コンガー中佐は「撃ったのは私ではない」と否定した。どう考えても「あんたが独断で撃っただろ?」と突っ込みたくなるのだが、その場の兵士全員がうっかりしていてそれを上告しなかったため有耶無耶になった。その後の通説ではコルベット軍曹がブースを撃ったとなっているが、コルベット軍曹がいたのはブースの前方9mの位置であるのに対し、ブースの傷は首の後ろ側にあり、火傷を負っていたため至近距離で撃たれたものであった。誰が軍曹を犯人と思い込んだのかは知らないが、その人も相当のうっかり者であろう。

一方、投降したヘロルドであるが、ブースの遺体を見た瞬間、うっかりさっきまで一緒にいたはずの顔を忘れてしまったらしく、「誰だこいつは!? こいつはブースじゃない! 俺はこんな男なんか知らない!」と必死に言い張ったのだという。

[編集] その後

ブースの遺体はその後、汽船で運ばれた。この時、彼の日記が発見された。しかしスタントン長官はこのことをうっかり忘れてしまい、裁判で「日記など発見されていない」と発言した。その後思い出して「発見されてました」と修正したが、やっぱりうっかり者である。しかもこの日記、事件のあった4月14日頃までの24ページ分がうっかり破り取られて紛失してしまっていた。ここまでくるともううっかりなのかどうか微妙だが。

そしてブースの遺体だが、4月27日に秘密警察本部長のベイカー大佐と、ブースを追い詰めたベイカー中尉(大佐の甥)が、ボートに乗せてどこかに運び去ってしまった。二人はうっかりスタントン長官にしかブースの遺体を持っていった場所を告げず、また三人ともその場所を公表しなかったため、ブースは永久に行方不明となった。スタントン長官はそれに対し、「南部の連中が彼を祭り上げないよう、秘密裏に埋葬した」と告げ、うっかりではなかったとアピールした。なお、後にベイカー大佐はスタントン長官と仲違いした後の1867年になって、その埋めた場所を「旧監獄の地下の床下」と暴露し、実際にその場所から遺体が発見されたものの、うっかり証拠品等の保存作業を怠っていたためにその遺体がもはや誰のものかもわからなかった。

なお、ブースの共犯者8人は裁判において、4人死刑(ヘロルド含む)、3人終身刑、1人有期刑となった。4人の処刑者と1人の獄死者を除く3人は、大統領暗殺関与という大罪ながらも、なぜかうっかり4年で恩赦を受けて釈放された。最重要人物の暗殺に関わった人物がそんなんでいいのか。

[編集] 関係者たちのその後

  • メアリー・トッド・リンカーン:リンカーン夫人。事件で夫を亡くし、1871年には息子も一人亡くし、精神的に不安定となった。1875年には自殺を図ろうと薬剤師にアヘンチンキをよこすよう迫るも、薬剤師は偽薬を渡し、彼女はうっかりそれに気付かなかったため自殺は出来なかった。1882年、63歳で死去。
  • ユリシーズ・グラント:1868年に第18代大統領に就任。しかし、うっかり側近(個人補佐官)や閣僚(陸軍長官)の汚職を見過ごしたり、南部の再建やインディアン対策に失敗するなどして支持は急落し、1877年に辞職。1885年、63歳で死去。
  • エドウィン・スタントン:リンカーンの次代のアンドリュー・ジョンソンの時にも陸軍長官を務めたが、前述のうっかりし過ぎな行動・言動が災いしてか、大統領との仲は険悪だった。ついには更迭されかけるが、スタントンが長官室にバリケードを築いて七日間戦争を行ったことと、更迭について大統領がうっかり法律違反をしていたため、大統領が逆に攻められ、更迭は回避された。1869年、連邦最高裁判所の判事に任命されるものの、わずか4日後に55歳で死去した。
  • ヘンリー・ラスボーン:事件から2年後、フィアンセのクララと結婚し、3人の子供をもうける。しかし何をどううっかりしたのか、1883年に妻を殺害。更には子供と共に心中を図る。その後は精神病院に入院し、1911年に74歳で死去するまで狂ったままだった。
  • ジョン・パーカー:事件から約3年後、うっかり勤務中にエクストリーム・居眠りを行っていたため懲戒免職。それまでの拳銃乱射とか職務怠慢とかはうっかり見過ごされていたが、流石に今回は見過ごせなかったらしい。その後は大工や機械工として生活し、1890年に60歳で死去。
  • チャールズ・フォーブス:詳細不明。1895年に60歳で死去。
  • エヴァートン・コンガー:15000ドルの賞金を得る。その後、地裁の判事などをやりながら生活。1918年、84歳で死去。
  • トーマス・コルベット:何者かのうっかりした思い込みでブース狙撃犯となり、それで1600ドル余りの賞金を得た。軍隊を辞した後、1887年に某下院議員の門番になるが、うっかり拳銃を振り回したばかりに発狂したとして病院に入れられた。その後、1894年にうっかり森林火災に巻き込まれて行方不明となった。

[編集] 備考

ジョン・F・ケネディの暗殺でも同様に、うっかり者が暗躍していた。

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ここに書かれた内容は嘘や出鱈目である可能性が高いです。
…と、言いたい所ですが、アンサイクロペディアにあるまじき事態なのですが……以上の逸話は全て事実、あるいは事実に極めて近いと思われる記述なのです。
突っ込みどころ満載なのは否定しませんが、何故かリンカーン大統領の周囲にはうっかり者が大量にいたようです!

[編集] 関連項目

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディアの専門家気取りたちが「エイブラハム・リンカーン」の項目を執筆しています。
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後世の物好きのためにエイブラハム・リンカーンが放った発言は、有志たちによって「Unquotable/政治家」へ収録されています。
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