エッセイ

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
移動: 案内検索
Aonisai.gif

この項目は、主に現役中二病の視点により書き込まれています。

この記事は主に勉強部活もやらずに暇をもてあました中高生が中二病全開で執筆しています。内容には受け入れがたいものがある可能性があります(ただし執筆した当人は本気で面白いと思っています)。あまりの痛々しさに直視できない場合は、ウィキペディアに逃げてそちらの記事を改善するか、検索サイトでも使っててください。発達心理学者の方は、まれに研究対象として役に立つかもしれないのでがんばって読んであげてください。

エッセイとは、「ただの俺解説」であり、ユーモア文の一形態である。

概要[編集]

書き手が不特定多数の名前も知らぬ読者に向けて、自分の考えていることを徒然なるままに書き綴ったのが「エッセイ」「随筆」と呼ばれる文章である。その技量が高じると、「エッセイスト」という名の評論家になることができる。

高名なエッセイストの文章には絶大な魔力が込められており、社会に甚大な影響を及ぼすことができる。その文章が数百年の時を超えて歴史的なものになると、吉田兼好法師のように一人の考えがある一つの時代の価値観をそのまま体現しているかのように取り扱われることだってある。

実態[編集]

しかし、エッセイ内容は「ただの俺解説」に過ぎないとみて、まず間違いない。例えば、老人エッセイストが「この頃の若者は~~~だ」と記した場合、それはエッセイスト本人の個人感覚を書き殴り、自分を全自動で優位な地位に置いて、一人で悦に入っているだけなのであり、本当に若者がそうなっているのかどうか社会学的に統計をとって実態を調べた訳ではないことはエッセイスト本人が何よりもよく知っていることだ。そう書いただけで本当に若者がそのようになる魔術でも唱えているのでない限り、必然的にエッセイストの解説は実態から乖離仕切っている。

エッセイの中で本当に価値のある個所は、作者本人の思いが記されている部分だけである。エッセイには作者本人の意思が投影されている。でも、それは作者本人の思いが投影されているだけであって、それ以上の価値は存在せず、増してや社会全体の意思を反映している訳でもない。それはネット社会の発展に伴い、誰もがSNS空間で無益に俺様の価値観をエッセイで堂々と解説できるようになった現在、その乖離ぶりがますます露見することでより明白になった。

文学界では文豪という名のエッセイストが記した「俺の価値観」があたかも大衆全体の空気を投影しているかのように錯覚して、「文学研究」が行われている。どんなに頑張っても、科学的に明らかにできるのは「作者だけが真実と思っている価値観」でしかないのだが、学者様の手に掛かれば、「大半が一般人から乖離しきった生活を送っている文豪のエッセイに表現された社会観=大衆全般の一般的社会観」という等式が成立する。

ユーモラス[編集]

そのような「ただの俺解説」が宿るエッセイは、ユーモアの宝庫である。そのユーモア度は、「俺がこう思っているのだから、皆そう思っているに違いない」の内容が一般常識から乖離していれば乖離しているほど激化する。学会など真面目にモノを論じるべき空間で、「お前の言っていることお前の中でだけ事実だ」と突っ込まずにいられなるほどの文章は、それだけでユーモア性を認められて然るべき水準に達している。

そのような感覚を呼び覚まさずにいられないエッセイは、あらゆる種類のユーモアを収めることを本務とするどこかの百科事典でも既に一大ジャンルを形成している。これを一掃することは決してできない割合に達している。

より面白いエッセイを書きたいのなら、書く対象に関する知識を生半可な状態に止めておくことが肝要だ。そうしておけば、その対象をより深く知っている第三者を、「こんな程度のことしか知らないのか?」と笑わせることができる。大真面目に書かれたエッセイでも、こうした意味でのユーモアを見出すことは極めて容易だ。

読者は最初、その俺解説を聞いて爆笑してやろうとエッセイを読む。しかし、本気のジョーク気分皆無な雰囲気の文体に包まれた一たびユーモアに取り込まれてしまうと、最初はネタだったはずのものが、やがてノンフィクションの真実として身に迫ってくるという。「みんなはこんな風に思っていないというけど、本当にみんなそんな風に思っていないの?」と思いながら。

正しい読書法[編集]

このように前提すれば、すべては「俺解説」エッセイとなる。これを踏まえて、目の前のエッセイ本にユーモアの突っ込みを入れてみよう。

政治エッセイ
「日本人は~なもの」というけど、全部の日本人がそう思っている訳ないだろ。独裁国家にしたくないのなら、ただの俺解説。
恋愛エッセイ
モテモテの俺によるただの恋愛自慢俺解説。
子育て(学校)エッセイ
お前の手法は有効だ。お前の家では有効だ。でも、わたしの家(学校)ではうまくいくとは限らないよ。だって、ただの俺の教育法マンセー解説本だもの。
経営エッセイ
その経営作法はお前の会社がそういう状況に置かれていたから上手くいったのだ。我が社が同じことやっても、二番煎じ程度の成果にしかならぬ。ただの俺の会社宣伝解説。
株式エッセイ
株式で儲ける手法は、決して再現できないし、運に左右されまくる。俺だけにしか通用しない俺の株儲け解説。

しかし、書籍となって世に出るエッセイは、上のような突っ込みを忘れさせ、「エッセイの通りに行動すれば、自分もそのように成功できる」という幻想を抱かせる効果があるようだ。そして、ベストセラーが振りまく幻想に従って動いた読者が、流行本の移り変わりに合わせて行動・発言内容を右往左往させた挙句に自滅していく様は、極上の人間ユーモアを世に提供している。

関連項目[編集]