カンボジア

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カンボジアとは、東南アジアに存在するカボチャ王国である。国際的注目を集めるために、最も赤いポトポトな記憶をアンコールしている。

概要[編集]

国章

現在の国土はカボチャのような形である。そのため、「カボチャはカンボジアが語源なんですよ」と説明されると、「そうか、カボチャはカンボジアで生まれたんだね」という風に自称物知りに誤解される。しかし、カボチャはカンボジア生まれではなく、新大陸が起源である。ついでに書くと、カボチャを伝えたのはポルトガルの漂流民であって決してカンボジア人ではない。

宗教はヒンドゥー教仏教であり、オリジナルのものではない。政治はベトナムの影響下に置かれているし経済は華僑に蚕食されている。更に所在地もインドシナ半島とインドと中国の合成地名であり独自性あるものではない。伝統説話はインドから流れてきたものが多く、歌謡曲も東アジアの曲をパクッたものが中心である。一昔前までは地雷原という特産品があったが、誇るべきでない負の遺産である上に、アフリカにはもっと凄い地雷原があるため、最近は影が薄れている。

アンコール!アンコール![編集]

そんな小国にも黄金期があった。クメール帝国である。アンリ・ムオーという仏領インドシナの学者によってトンレサップ湖の密林の中から19世紀ムオーと再発見されたこの遺跡は、西洋の手によって世界に名を轟かし、より重大なはずの他の遺跡を押しのけて東南アジア一有名な歴史遺産となった。その知名度は「アンコール?What?」と言うと無教養の証とされるところに顕れている。

シエムレヤプを中心にクメール帝国またはアンコール朝は当時のタイ全域からベトナム南部まで統治範囲を広げ、大繁栄を誇っているが、あろうことか「仏像が気に喰わぬ」といって神像を破壊した王様が現れて以降はバターンバンと衰退の一途を辿った。そして、タイアユタヤからやってきたボーロマラーチャー2世に都をボロボロにされてクメール帝国は滅んだ。以降カンボジアはタイのカボチャと化した歴史を送り、やがてそのカボチャはフランスにインドシナのコロニアル料理の材料として差し出されることとなった。

このクメール帝国の時代だけが栄光の時代であるため、カンボジアを題材とする明るいテレビ番組ではアンコールのトム君の物語が何度もアンコール放送されている。光の側面では9割近くがこれが登場する。もうトム君には飽きたという声も多いが、石澤良昭名誉教授らは「だって、他の明るい物語を流したところで皆さん聞きますか?」と受け流す。そこでカンボジア当局はタイ国境のプレア・ビヒア寺院を「天空寺院」として売り出したが、タイが「あれは俺のものタイ」と言って対抗してきたため、明るい話題にすることが出来なかった。

赤いクメールとシハヌーク[編集]

仏領インドシナ当局はやがてカボチャ料理に飽き、1953年ノロドム・シハヌークにカボチャ王の座を渡して退位した。シハヌーク国王は「好きにしろ」と言われたので、ズッキーニを用意して独立式典を催し、カボチャを持って第三世界外交に打ち出した。シハヌーク国王は北の将軍様と大いに親交を結んで政治に直接介入し、挙句の果てには映画「ボゴール薔薇」を撮って、偉大なる領導者としての面を国外にアピールした。国民はカンヌ映画祭級と褒め称えた。

しかし、外国の鑑賞者たちはお遊戯会レベルだと扱き下ろした。そこで、米国人はロン・ノルという論に乗りそうな将軍に声をかけてクーデターを起こさせた。ベトナム戦争とも絡むものだった。

シハヌーク国王は自分の作品を糞と言われて「死は温い」と落ち込んでいたが、そこでポル・ポトに出会い、「陛下、この薔薇は見たこともない美しさでございました。私ならこのカボチャ国を立派な馬車の国に変えてみせます」と慰められた。そこで気をよくした国王はポル・ポトの組織にクメール・ルージュという名を与えた。ロン・ノルは字の読めない民に訳の分からない論ばかり語るユーモアなき人物だったので支持を失い、「前の演技下手くそな国王の方が良かった」と懐旧した。ポル・ポトはその民心を利用して政権を掌握した。

ポル・ポトは政権を掌握するなりこう演説した。「今こそカボチャ国という蔑称を拭い去り、世界一の誇りある共産主義国家民主カンプチア共和国をつくろうではないか!」と。そして、カボチャのような身体のシハヌーク国王をどこかに追いやり、世界一純粋な共産主義国家の建国を始めた。

その結果生じたポル・ポトの血がポトポトな政策をどう「総括」するかはクメール・ルージュの項に任せよう。ジャック・ル・ランタンも震え上がったこの紅魔郷共和国は共産国家ベトナムにまで攻撃の矛先を向けたので、米国でなくベトナムによって膺懲された。しかし、当時の国際メディアは「ベトナム反戦デモの無垢なる期待を裏切った」とベトナムの方を非難した。クメールルージュらはその反感も背景に、ヘン・サムリンフン・セン等の「ベトナム傀儡政権」に対して内乱を展開し、国を地雷原にした。この社会主義者同士の内戦により国は10年間リアルな天壌劫火の紅世の大地となる。この内戦は、日本の仲介もあり何とか平和が達成されたのだったが、日本社会党の愉快な仲間たちは牛のような歩み平和維持部隊を派遣することに反対した。

何はともあれ、社会主義ベトナムの奮戦によりクメール・ルージュの脅威が掃討されたことで、社会主義思想の名誉は10年程度守られたといえよう。しかし、これを公言すると国際左翼団体から何を言われるか分かったものではないので、今のカンボジアでは適切なバランスを巡って歴史論争が活発に繰り広げられている。カボチャ王国での論争の激しさはナンキン大作戦の論争などを遥かに上回り、シハヌーク国王は論争のヌクもりの中でシハモニに譲位し、この世を去った。国 王はカンボジア迷彩のヌクい詩で葬送された。

クメールルージュ関係者への国際裁判が現在進行している。その裁判で最も熱心に死罪を唱えている国際新聞は、もちろんベトナムのカンプチア共和国攻撃を熱心に非難していた朝の新聞である。何というへぼ南瓜

その他の名物[編集]

アンコールとクメール・ルージュだけが名物なのではない。

プノンペン
首都である。扶南という東南アジアの厄介な地名とは何の関係もない。ペンという名前の娘が仏像を丘(プノン)に納めたところから来ているという。メコン河トンレサップ川の分岐点につくられた。カンボジアに行ったことのない者の9割は、この近くにアンコール遺跡があると思っているが、それは間違いである。影の薄い首都を世界にPRするため、エク・ソンチャンがエクソンの如く働いて水道事情を大いに改善[1]させたのだが、それに関心を抱く観光客はまずいない。
米ドル支配の象徴的画像
リエル
紙幣だけの通貨である。50リエル札から10万リエル札まで存在する。5000リエル以上には漏れないシハヌーク国王の肖像がついている。ただ、リアル社会では米ドルの方がずっと通用する。
縫製産業
最大の輸出産業である。しかし、本質的には華僑など多国籍企業の草刈り場なので、地場企業は影すらみせない。
サンポット・ホール
女性の正装。絣系。カスリも分からない領域だ。
クイテイウ
スープ入りの米緬。皆が食いてえという。
ボーボー
。ボーボーと燃えている訳ではないらしい。
スップチュナンダイ
カンボジア鍋。このスープは何だい?牛の脳味噌だい!
ニュオン・カン
現代演劇を築いた人。東京外大でも教えていたらしい。カンボジア現代演劇の知名度についてはお察し下さい


地雷があります
ここより地雷原
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地雷があります

関連項目[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「カンボジア」の項目を執筆しています。