キモス国の内乱
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キモス国の内乱(きもすこくのないらん)とは、西暦2004~2007年の間に行われた、キモス国内での反乱のことである。
第一次内乱は、アウチ捜索に出ていたキモ山キモ太郎が戻ってきて正規軍の指揮を執ったために正規軍の辛勝で終わった。
第二次内乱はヌシたちによる戦いで、これもキモスが辛勝を収めた。
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[編集] 背景
- 2004年の第三次アウチ大戦で大敗したキモ山キモ太郎は急速に求心力を失い、同時にキモス国元老院の腐敗で、キモス国は政情不安に見舞われた。
- そんな中、元老院の派閥争いからキモ下家とキモ野家が対立。
- それぞれほかの貴族を勢力に入れようとし、お互いに軍事開発やアウチ捜索などで争っていた。
- この状況は「冷たい戦争(冷戦)」といわれ、2004年から一年間続いた。
[編集] 第一次内乱
- 一方、キモス本家であるキモ山家はキモ下家の支援を正式決定し、キモ野家を元老院から追放することを決めた。
- 当然キモ野家はこれを不満とし、キモ野要塞を中心に武力行使の姿勢を見せた。
- 正規軍(キモ山家、キモ下家を中心とする勢力)は反乱軍(キモ野家を中心とする勢力)の討伐を2005年に決め、キモス国の内乱が発生した。
[編集] 第一次キモ野要塞包囲戦
- 2005年6月、正規軍はキモ山、キモ下、キモ田、キモ岡を中心とする2,000の兵力でキモ野要塞を包囲する。
- 一方反乱軍はキモ野、キモ本、キモ木、キモ藤、キモ中を中心とする1,200の兵力で篭城の構えを見せる。
- 正規軍は2代目キモスであったキモ山キモ助(きもやまきもすけ)を総司令官とし、キモ野値要塞の204高地の制圧を目標に総攻撃を仕掛ける。
- 反乱軍はキモ野キモ伊予(きものきもいよ)を総司令とし、敵の攻撃箇所を読むことに成功、204高地に守備を固め、敵の第一次総攻撃をしのぐ。
- 2005年7月、正規軍は続いて204高地、キモ野山、西ノ丸の三箇所を連続攻撃するが、204高地は800の兵で守られ、手薄なキモ野山攻撃中に
- 反乱軍参謀のキモ本キモ家(きももときもいえ)の献策により、有利なはずの要塞の204高地から300の兵が打って出て正規軍の背後を奇襲。
- 正規軍は作戦の中止を余儀なくされる。(第二次総攻撃)
- 2005年10月、再び204高地に目標を絞り、ほかのところで陽動をしてから攻めるが、陽動も見破られ再び作戦を中止する。(第三次総攻撃)
[編集] キモ野川会戦
- 2005年11月、反乱軍は今が好期と要塞から打って出て要塞から出るはずがないと見ていた正規軍の不意をつき撃破、キモス川まで撤退させる。
- 正規軍は後ろがキモス川ではこれ以上撤退できないと背水の陣を敷き、来るべき決戦に備える。
- 反乱軍、ついに攻勢に出て兵力は多いが士気の下がっていた正規軍を圧倒。キモ木軍の迂回作戦が見事に的中し、撤退できない正規軍を壊乱させる。
- 正規軍は散り散りになり、300の兵が生存し、キモ下要塞まで撤退するという大敗を喫した。(キモ野川会戦)
[編集] キモ山キモ太郎合流作戦
- 一方、地球でアウチ捜索を行っていたキモ山キモ太郎は事態を察知し、キモス星から兵をつれてキモス国に帰還。
- 反乱軍は1,000の兵で500のキモ山キモ太郎軍をすかさず包囲し、キモ山キモ太郎の出方を見る。
- 2006年1月、後ろを見せた反乱軍に対し正規軍が要塞から出てきて反乱軍に突撃、反乱軍の包囲に穴を開けることに成功し、
- キモ山キモ太郎は正規軍と合流して再びキモ下要塞に入る。
[編集] キモ下要塞包囲戦
- 2006年2月、正規軍800に対し反乱軍1,000は包囲作戦を開始し、キモ本キモ家の見事な戦術によりキモ下要塞は削られる。
- 2006年4月、キモ下要塞は制圧されたかに見えたが、正規軍はキモ下要塞の下に隠れるという離れ業を見せて突如奇襲。
- 再び反乱軍を要塞外へ追い出す。
[編集] キモス平野の決戦
- 2006年5月、正規軍800は反乱軍800に突撃し包囲を解き、キモス平野に布陣する。
- 反乱軍もキモス平野に布陣し、お互いの様子を伺う。(キモス平野の対陣)
- ここで先に仕掛けたのは正規軍だった。2006年11月、要塞内で開発したキモス戦車と最新型キモス戦闘機を投入し、猛攻撃を加える。
- 反乱軍は敵を地雷箇所まで引き込む作戦を実施し敵をひきつけるが、キモ山キモ太郎に見抜かれ正規軍は追撃を一旦停止、
- 地雷除去をしてから再び追撃、敵を撃破する。この決戦で内乱は大勢を決した。(キモス平野の決戦)
[編集] 第二次キモ野要塞包囲戦
- 反乱軍200はキモ野要塞へ逃れ正規軍600を待ち受ける。しかし、キモ太郎の戦術の前に拠点を次々と失ってしまう。
- 2006年7月反乱軍は最後の突撃を行う。しかし、この突撃をもキモ太郎に読まれてしまい効果は薄く、反乱軍は降伏。
- 内乱は収束したかに思われた。
[編集] 第二次内乱
- しかし、この戦いで勢力が弱まったキモスを狙ったのは、山のヌシら、ヌシたちの軍団であった。
- ヌシたちは第一次内乱で敗北したキモ野家、キモ木家、キモ藤の三家の領土を制圧し、
- ヌシ民主主義人民共和国という独立国を作り上げ、キモス国と対立した。
- ヌシは山のヌシ、沼のヌシ、湖のヌシ、洞窟のヌシ、川のヌシなど全部で600体で兵力は少ないが一体の戦闘能力はキモス以上である。
[編集] 戦闘開始
- 2006年8月、キモス軍800は旧キモ野家領地を目指し、国境付近に布陣する。
- キモス戦闘機50機のうち30機はキモ藤領地を夜襲し、残りはキモ木領地を夜襲した。
- この攻撃は陽動となり、キモス軍はキモ野領地を流れるキモ野川付近まで戦線を拡大した。
[編集] キモ野川夜襲戦
- ヌシ軍は敵を押し返す策として、夜、キモ野川のヌシ3体により、川の流れを変え、敵本陣に川が通るようにし、キモス本陣を分断。
- さらに数々の川のヌシが10体ほど川から出てきて、分断した片方を攻撃。
- 兵力は少ないが、夜だったために敵味方の区別ができずキモス軍は同士討ちを始める。
- さらにヌシが撤退した後、キモス軍は「追撃すると待ち伏せされる」とし、追撃しなかったため、ヌシは無傷でキモス兵を50体削った。
[編集] キモ木平野会戦
- 2006年9月、キモス軍は2006年11月に川に沿って本陣ごと大北上。
- ヌシはキモ野川を渡河してくると読んでいたために不意をつかれ、キモス軍にキモ木領地を制圧されてしまう。
- 遅れてヌシもキモ木平野に乗り込むが、ヌシ軍は急いでいて余裕がないのに対し、
- キモス軍は十分に迎撃作戦が立てられていたなどの作戦の差で、ヌシが敗北を喫し、兵を200体失ってしまった。
[編集] キモ野平野追撃戦
- ヌシはこの状況では不利とし、キモ藤要塞までの撤退を決定する。
- しかし、この撤退にもキモスはあらかじめ伏兵を配していたためヌシ軍は大打撃、なんとか伏兵を突破するが
- 最後尾などは追いつかれ、残り200体まで減ってしまった。
[編集] キモ藤要塞包囲戦
- 2006年10月、ヌシ軍は山のヌシによりキモ藤要塞をものすごく険しいものとし、
- その堅さはキモス城に匹敵すると予想を立て、厳重な包囲作戦を行った。
- キモ藤要塞の食料は別の場所から補給していると知ったキモスはそこを攻撃し、敵の食料を確保した。
- キモスは兵糧攻めと戦車の砲撃のみで要塞を攻め、2007年4月、およそ230日の篭城で食料がつき降伏。
- 内乱は収束した。
[編集] 結果
- キモス国のキモスの数は3,200から600まで減ってしまい、今アウチに攻め込まれたら大変なことになってしまうレベルまで兵力が減ってしまった。
- しかし、幸いアウチも2006年3月からプロミスの呪いにかかっていたため休戦協定。キモスはクローンの製造を急ぐ。
- また、アウチが組織したニオーテールに対抗するためクルーテールを組織した。
- 経済損失も第二次アウチ大戦レベルまで大きくなった。
- キモ太郎は戦争の原因である元老院を根本的に改革し、民主的な議会へと元老院を変えた。
- ヌシに対しては監視体制を強化するという策をとった。
- また各要塞を捨てさせ、本格的な要塞は本拠地であるキモス城、キモス支城、キモ下要塞のみになった。
- まだ軽い築城、各領地は残っている。

