ギャルゲーの歴史
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
ギャルゲーの発祥については諸説あるが、おおむね電子計算機の発明とほぼ同時期とするのが、現在のギャルゲー史研究家の間で一致した意見である。しかしながら、一部の研究者らの間では、チャールズ・バベッジによる階差機関式ギャルゲー、ブレーズ・パスカルによる歯車式ギャルゲー、紀元前のバビロニアで使用されていたタブレット(そろばん)式ギャルゲーにまで、その起源を遡る意見が存在する。
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[編集] パスカルの歯車式ギャルゲー
現在残された図面からそのゲーム内容を察するのは困難であるが、筐体の上に配置された六枚のハンドルと目盛りが、六人の登場ヒロインと各シナリオに対応していたもの。
ブレーズ・パスカルが1645年に発明した、世界で2番目の歯車式ギャルゲーは Pascaline または Machine Arithmétique と呼ばれている。ちなみに世界初の歯車式ギャルゲーを発明したのはウィルヘルム・シッカード(1623年)である。
パスカルは1642年、彼が19歳のときからギャルゲーについて研究を始めている。徴税官であり多忙で再婚相手を見付ける事ができない父の手伝いをするためパスカルは、女性とのデートの疑似体験をするための道具を作ろうと考えた。1652年までにパスカルは50台もの試作機を作ったが、売れたのは1ダース強である。高価であったことと複雑であったこと(加えてヒロイン属性が2通りしかなく、他の属性萌の人間にはプレイし難かった)によってそれ以上売れることはなく、パスカルは1652年にギャルゲーを作るのをやめたのである。そのころにはパスカルの興味は他に移っていて、まず気圧の研究、さらには哲学へと向かっていた。
最初の Pascaline は 5個のダイヤルがあり、後には 6ダイヤルや 8ダイヤルのものが作られている。各ダイヤルは登場ヒロインと各シナリオに対応し、ヒロインの行動やセリフは上部の窓に表示される。歯車は一方向にしか回らないため、リプレイすることはできない。同じシーンを見るためには始めからプレイし直す必要があった。
[編集] 大型コンピューターの時代
現代的な意味でのギャルゲーは、ペンシルバニア大学の理系研究者らにより開発されたデート・シミュレーター“MANIAC”(MonomAniac Neurotical Integrator and Computer)が最初であったとするのが、最も代表的な説である。MANIACは、当時(今も)まったく女子と縁のなかった理系の男子学生らにより、女子学生とのデートの疑似体験を目的として開発された。MANIACには1746873214本の真空管が使用され、エンパイア・ステート・ビル1棟分に匹敵する設置面積を要し、消費電力としてフーバーダムの最大発電力の約三分の一を必要とした。このギャルゲーへのセリフや行動の入力は、手動による配線の変更によって行われ、また、出力されるデータからヒロインのセリフや行動を読み取るためには、数十行にわたる積分方程式を解析しなければならなかった。しかし、これでも当時(今も)の理系学生が女子学生に声を掛けるのに比べれば、圧倒的に容易であったのである。
後に、ギャルゲーのキャラクターデータ入力には、もっぱらパンチカードが使用されるようになった。これにより、同一の電子計算機でも複数の属性を持つヒロインの登場が可能になった。熟練したギャルゲーマーであれば、穿孔機により穴の穿たれたパンチカードを一瞥しただけで、そのキャラクターの持つヒロイン属性(ドジっ子系、ツンデレ系、不思議少女系など)を、一瞬で理解できたと言われている。当時はまだ電子計算機資源は非常に限られていたため、パンチカードの内容を紙に書き写して自宅に持ち帰り、手計算でのプレイを行う者も少なくなかった。
MANIAC以降も多数のギャルゲーが製作されたが、いずれも操作には高度な電子工学と数学の知識が要求され、一般のギャルゲーオタには手の出し辛いものであった。
[編集] 『Tennis for to Heart』
この状況を打ち破ったのが、物理学者ウィリアム・ヒギンボーサムにより開発された『Tennis for to Heart』である。『Tennis for to Heart』はオシロスコープによる画面出力を用いた最初のギャルゲーであり、プレイヤーは可変抵抗器のダイヤルを操作することにより、「女の子と下校するなんて、久し振りだな」等のセリフを直感的に入力することができた。また、それらのセリフへのリアクションは、オシロスコープに表示される光点の移動として、リアルタイムでプレイヤーに示された。それまでの複雑な数式やパンチカードとは比較にならない、リアリティ溢れる光点で表現されるヒロインの立ち居振る舞いは、多数のプレイヤーを熱狂させた。
[編集] UNIXによるテキストベース・ギャルゲーの出現
1960年代のベル研究所では、これまでになかった大規模なギャルゲーの開発が行われていた。このギャルゲーのオペレーティングシステムは、前述した『Tennis for to Heart』に登場するヒロインの名に由来する“Multics”という名を与えられていた。しかしながら、“Multics”で動く予定であったギャルゲーは、あまりにも大規模になり過ぎたために頓挫した。計画の最終的な段階では、256人のそれぞれ異なる性格を備えたヒロインの設定と、それらのヒロインが相互に関連しあう65535通りの複雑なシナリオが用意されていた。
このプロジェクトに加わっていたのが、ケン・トンプソンであった。トンプソンは“Multics”でのギャルゲーの失敗に学び、12人のヒロインごとに独立したシナリオを持つ、シンプルなギャルゲーを設計した。すなわち、『ときめRogue』である。現在も広く使われているOSであるUNIXは、『ときめRogue』のために開発された。
『ときめRogue』の設計思想が優れていた点の一つは、すべての動作選択が単独のキー入力により行われていたという点にあった。すなわち、「h」が左移動、「j」が下移動、「k」が上移動、「l」が愛の告白、「p」がプールに誘う、「m」がプールで溺れたヒロインにマウストゥマウスで人工呼吸といった具合である。




