ギュンター・アルデルト
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
- 「ハインツ・グデーリアン」
- ~誰それ?
- 「フェルディナント・ポルシェ」
- ~知らね、
- 「プロモデラー山田卓司」
- ~そんな戦車あったんですか?
ギュンター・アルデルト(Gunther Ardelt)とはナチスドイツの天才科学者でアルデルト社の社長であり、国防軍中尉にして真の愛国者。 第二次世界大戦末期に自ら開発したヴァッフェントレーガーに乗ってソビエト軍と戦い壮絶な玉砕を遂げた。 知っているとドイツ軍マニアの間で自慢できちゃう、ちょっとトリビアな博士である。
第一次世界大戦で陸軍将校として戦い、敗戦により退役する。 ベルリン大学の大学院で工学博士を取得すると自分の設計事務所を起こしアルデルト社を創業する。 第二次世界大戦により政府へ自分の考えた兵器を売り込むがなかなか採用されない。 末期になって対戦車自走砲ヴァッフェントレーガーをわずか三週間で作り上げて採用される。 優先順位7位という高い評価を受け100台の量産を受注するも、すでに戦局は末期となりわずか7台しか完成しなかった。 故郷のブランデンブルク市にソビエト軍が迫っていると聞くと、社長が指揮官となって社員全員を率いて自ら開発したヴァッフェントレーガーに乗ってソビエト軍と戦う。
アルデルト博士の乗ったヴァッフェントレーガーは8.8 cm PaK 43でソビエト軍機甲部隊のT-34戦車12機を交戦開始後わずか3分で撃破した、
- 指揮官「ぜ、全滅?12機のT-34が全滅?3分もたたずにか?…」
- ソ連兵「は、はい」
- 指揮官「き、傷ついた一部隊にT-34が12機も?ば、化け物か」
しかし、弾薬も燃料も補給が無く、社員の給料も未払いの中で孤立した戦いを続け、社員たちは1人、また1人と戦死していき、 最期は鋼鉄の魔女と呼ばれていたミーシェンチカ・サベッツカヤ中佐率いるソビエト軍機甲大隊と戦いスターリン重戦車に体当たり攻撃を敢行すると、
- 「やらせはせん、やらせんはせんぞー」
と叫びながら社長自らパンツァファウストの零距離射撃で敵戦車もろとも吹き飛び玉砕した。
あまりの勇敢な戦いっぷりに驚愕したソビエト軍の指揮官はこの中尉はナニモノかと生き残った捕虜を尋問した。 アルデルト博士の戦いっぷりに関心したサベッツカヤ中佐はアルデルト博士の墓を立てた、 その墓標には「天才科学者であり勇者にして真の愛国者ギュンター・アルデルト博士ここに眠る」と掘られていたという。 この墓は戦後になってサベッツカヤ中佐によって立派な墓石に作り直されて、現在でもベルリン郊外で祖国を見守っている。
アルデルト博士の信条は「単純にして必要十分な性能を持った機械こそが一番優れている」であった、ヴァッフェントレーガーは兵器としては優秀だったが、やたらめったらと複雑怪奇な兵器を好むドイツ人にはアルデルト博士の思想は受け入れられなかった。皮肉にも味方からは相手にされず、敵から高い評価を受けてしまった。
どこのライトノベルの主人公ですか?と言われそうな壮絶な戦いっぷりは語り草になり。 アルデルト博士はソビエトで1964年に公開された戦争映画「鋼鉄の魔女」でベルリンを守るラスボスとして登場し壮絶な玉砕を遂げる姿が描かれたため、ソビエトでは知名度が高いが、同作品が未だに西側で販売されていないこともあってか日本や欧米では完全に無名である。 それどころか、アルデルト社自体もこれ一回しか採用されなかった上に、社長以下、社員全員が玉砕してしまったために事実上消滅しており、現存する資料のほとんどがソビエト軍側によるものという悲惨な状況が輪をかけてマイナーな存在にしている。
ヴァッフェントレーガーは一台が鹵獲されミリタリーマニアの聖地クビンカ軍事博物館にキングタイガーなどと同列に展示されているため、ソビエトでの知名度は高い。 なお、ヴァッフェントレーガーのプラモデルもロシアの模型メーカー・アランホビーとウクライナのACE社からしか発売されていない。 おそらく、田宮模型の人たちは存在すら知らないであろうと思われる。


