クイーン (バンド)

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Queen(クイーン)は、1973年より活動中のイギリス伝説」(ロックバンドである。リズミカルなピアノと神の声域をもつヴォーカリスト、フレディー・マーキュリー。ギター音だけではなくいくつもの楽器の音色を奏でることのできる自作ギターを持つギタリスト、ブライアン・メイ。ドラムを叩きつつ常に高音のコーラスをするイケメン担当のドラマー、ロジャー・テイラー。メンバーでは常に謙虚だがしっかりと「クイーン」の数々の曲を一寸も繰りなく土台を築き上げるべーシスト、ジョン・ディーコン。まさに少数精鋭の伝説バンドである。

1989年にボーカルのフレディ・マーキュリーがエイズのために急死し、ベースのジョンが引退するも、ロジャーとブライアンが様々なミュージシャンとコラボしクイーンをさらに盛り上げている。四十周年の売上は世界で第一位だった。
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目次

[編集] おおまかな活動の記録

  • 1969年9月:ブライアンとロジャーの在籍していたバンド「スマイル」が最初のシングルを発売、しかしヒットソングはそれほどなかった。
  • 同年:この責任を取ってヴォーカルのティム・スタッフェルが、即日脱退。
  • 同年:ティムの後釜にフレディが加入。
  • 70年:フレディが「クイーン」という名前を考え、満場一致で決まる。
  • 71年:フレディの知り合いでジョン・ディーコンを紹介し、オーディションを受けさせる。その結果クイーンに加入した。ここからが伝説の始まり。
  • 73年:記念すべきクイーン名義でのファーストアルバム『戦慄の玉女』を発表、ヴィジュアル系ロックバンドのような風貌であったのも加えて「レッド・ツェッペリンの二番煎じ」とイギリスのメディアからは酷評される。
  • 74年:3枚目のアルバム収録曲『キラー・クイーン』がヒットする。
  • 75年:4枚目のアルバム『オペラ座の夜』がヒット、その後もクイーンはメガヒットを連発する。
  • 85年頃:ソロ活動をする。
  • 91年:フレディ衝撃のエイズ感染宣言、皆がア然としているうちに翌日急死。
  • 92年:フレディ追悼コンサートが行われる。ベースのジョンは「出たくない」とだけ発言した。が仲間の説得の末、出演した。
  • 97年:フレディ亡き後も活動を続けていた。
  • 以降:ブライアンとロジャーはポール・ロジャースなどのミュージシャンと共演しながら活動を続けている。
  • 2009年:ポールが「俺、昔やってたバンド再結成させるから、んじゃ」と二人を残して消えていった・・・・。
  • 2011年:QUEEN40周年を記念して長らくお世話になったEMIを卒業してユニバーサルに移籍した。デスオントゥーレックス!
  • 2012年:なんかマイケルとの未公開音源を公開するとロジャーが言い始める。去年出せよ。

そんなことよりイギリスでアダムランパートとフルのライブをやるってよ。去年やれよ。 因みにアダムはホモであり、メンバーは歓迎ムードだという。

フレディ並みの変態を遂げたアダムとのライブが盛り上がらない訳がない、だが、どうしてこうなった。 水瓶座の彼に一体何が起きたのだろうか。比較的マジで。

[編集] 愉快なメンバーたち

乙女座の彼に一体何が起きたのだろうか。

[編集] フレディ・マーキュリー

担当(ヴォーカル・ピアノ・棒つきマイクによるエアギター・ストリップ・胸毛・露出・お髭・ソフトマッチョ)

Queenの中で最も目立つ存在が彼と言っても過言ではないだろう、初期はやせ形で髪が長く眉も細く、腕にきらりと金輪なんぞ嵌め、若き日のオスカー・ワイルド伯のような風貌であったが、1977年あたりからパンチパーマになった上に、眉毛が育ち、胸毛も育ち、ついに1980年にメンバー全員で髪を切ると何故かフレディだけは翌日にはニョキニョキと髭が生え、ムキムキと逞しい筋肉質になってしまった。ちなみに、ブライアン・メイは一日で髪の毛が元の長さに戻っている。また、この頃からストリッパーとしての職業にも目覚め、ライブでは時間と共に服を一枚ずつ脱いでいくようになる。

さらに、彼は天才の嗜好を持っていたため、1979年ごろからサウナ、ディスコなどを兼ねた男性による男性のための入浴施設に出入りするのをたびたび目撃されており、彼はエイズに感染しているのではないかという憶測が飛ぶようになる。本人は否定していたが、1991年彼と深い関係にあったとされる男性がHIVの合併症状で死亡。隠しきれず自らのエイズ感染を世界中に発表、これからもHIVと戦うことを宣言したと思ったらなんと翌日ポックリ逝ってしまわれた。享年45歳、死因はエイズ合併症のニューモシスチス肺炎であった。フレディの死には全世界と全ゲイが泣き、遺体は荼毘に付されて千の風となった。 また、彼の追悼コンサートにはエルトン・ジョン阿部さんデヴィッド・ボウイ赤毛の死神ガチな露出狂ら数々のゲイと両性愛者が駆けつけたのはあまりに有名である

彼の魅力は何と言ってもその見た目とは反比例しすぎな広域な声域と、その奇抜すぎる衣装、パフォーマンスであろう。さらに彼は作詞作曲も彼自身でこなしてしまう多ゲイな人物であったのだ。ちなみに、ソロアルバムの「Mr.バッド・ガイ」に収録された曲は曲名から何か熱いものを想像することを禁じえない。

[編集] ブライアン・メイ

髪の毛の中に顔らしきものが埋もれている。
担当(暖炉のマホガニー材・天文学・コイン・豊かな毛髪)

彼の髪を見てほしい、これは自毛である。何度切ってもまた翌日には生えてきてしまうのだ。そして彼のギターを見てほしい、『レッド・スペシャル』と大層な名のついたギターだが、これは神田では購入できない代物である。というのも、昔ブライアンが16歳の頃、エンジニアだった彼の父親は借金を貸していた友人宅にのこぎりを持って押し掛け、「今月中に返せぬっちゅうなら借金分だけお前の家ぶっちぎって帰るぜ」と勝手なことをのたまうと、ぎいこぎいこと暖炉のマホガニー材を切り取って持ち帰ってしまった。 、家のテーブルのオーク材を破壊、バイクを破壊、おそらく家電を破壊しスイッチを入手、そんでもってかーさんの編み棒をパクって材料にしたとされる。 彼はそれだけでは飽き足らずかーさんの大事な真珠のボタンを強奪しポジションマークにしたとの逸話も残っている。

そして自宅床下に籠ると実に5年間の歳月をかけて『レッド・スペシャル』を製作した。ちなみに、製作途中に家族がそれを倒して壊してしまい、悲しみのあまり彼は血の涙を流し、それが『レッド・スペシャル』にしみ込んだ結果、あのギターはあんなに赤くなったのである。

彼自身は中学校の教師をしたり、コーヒーか紅茶かを30分悩んでみたり、ペンギンへの憧れのあまりPVでコスプレしてみたり、英天文学で博士号を取得したり、なんか動物保護に目覚めてみたり、昨今の3Dブームにあやかり3D作品を発表したり(但し、メガネなど高等なものは使っていない)はにかんだ表情で妙にちまちまとコインでギターを弾いたりと非常に忙しい人物であり、Queenメンバーの中で唯一デビュー時からあまり変わっていない人物でもある。

[編集] ブライアンが贈るレッド・スペシャルの説明

(ややはにかみながら)はい、今日ご紹介するギター、『レッド・スペシャル』そんじゃそこらのギターとはわけが違う、ご覧下さい!このツヤ、のどごし、コシ!なんと100年間暖炉の材として使用されていた「超乾燥製法」を採用したオーク材で作られているんですね、それにご覧ください!この6つのスイッチをいじくることによりエレキはもちろんのこと、ヴァイオリンシンセサイザー、陶器をフォークで引っかく、などの全13種類の多彩な音を楽しんでいただけます。では実際に弾いていただけますか?

キューン!キキキュキキキュキューン
フレディ目立ちすぎである。

[編集] ジョン・ディーコン

担当(寡黙・ベース・引退・空気・ひとりだけ歌えない係)

彼はQueenに比較的後に入ってきたメンバーである。若い頃友人に無理にディスコへと連れて行かれ、「ボクこんな所来たこと無いよぉ……」と怯えていた所に運が良かったのか悪かったのかブライアン・メイとロジャー・テイラーに出会ってしまう。そのまま彼は二人に連れて行かれると入団オーディションを受けさせられ、見事合格を果たす。フレディ曰く理由は「自己主張が少ないから……あとベースが上手い。」だという。 その後どちらかと言うとバンド活動よりディスコにハマり、来日時にはディスコ八軒をもはしごするほどのディスコ好きになった。 まあ、それで後述する曲ができたんだから結果オーライである。

そして彼は寡黙である。寡黙であるからゆえにどうしても地味に見えてしまうが地味ではない、歌も歌えないが地味ではない、最年少であるが地味ではない、ベースであるが地味ではない。彼の作曲した『Another One Bites the Dust(邦題:地獄へ道づれ)』は世界で700万枚のヒットを叩き出してみたり、QUEENのマネージメントをやってみたりと彼はしっかりQueenに貢献していたのだ。しかし、フレディの没後彼は急にやる気をなくしてしまい、フレディ追悼コンサートに参加する気も希薄となっていたため、ブライアン・メイとロジャー・テイラーは彼を説得、当日「眠いから今日はパス」などとふざけたことを言ったジョンを引きずって運ぶ役目を果たした。そしてフレディの死後もQueen名義での活動が続けられているのに、彼を見かけないと思っていたファンたちは2004年のロジャーの証言でやっと納得した。「なんだ、もう引退してるんじゃないか」と。

だからフレディお前は目立ち過ぎだ。

[編集] ロジャー・テイラー

担当(イケメン・ドラム・女装・イケメン・ソプラノ・イケメン)

金髪の彼(或いは彼女)を見てほしい。フレディがあのような格好をするとただの変態にしか見えないが、つーか実際問題変態なのだが、ロジャーの場合その格好で街を歩き回っても犯罪にならないほど違和感が感じられなくなっている。そのようなうつくすぃ容貌に加え、声まで異様に高く、『Bohemian Rhapsody(ボヘミアン・ラプソディー)』ではソプラノを担当している。来日時は日本の女性からのあまりの人気により空港でメンバー全員揉みくちゃとなり、女性の支持数が少なかったジョンが発狂しかけ、ブライアンは毛を毟られ激怒し、激怒のあまり曲を一曲製作してしまう。フレディは熱さのあまりパンツ一丁になってしまった。

また、基本はドラマ―だがベースにギター、キーボードや空港でラジコンをこなす腕前を持っている芸達者(フレディのことではない)でもある。フレディの死後もソロ、Queen名義での活動を続けているが、悲しいかな年齢には勝てず、少し太った後痩せたのでしわしわになってしまった。

[編集] 代表曲(ヒット曲)

[編集] 殺し屋のクイーン

オカマよろしくクネクネ

(Killer Queen)作:フレディ
フレディがまだオスカーワイルドだった頃作られたこの作品、楽曲とプロモーションビデオの内容は、毛皮を着たフレディがくねくねくねくねくねしながらブライアンなどにくねくね絡み、恍惚とした表情を浮かべ「gunpowder geratine(訳:田淵よ君は頑張れるはずだ)」と田淵さんを応援するという内容になっている。しかしクイーンと田淵なる人物は何の関係があるのだろうか。

[編集] ボヘミアン・ラプソディ

電波曲のパイオニア

(Bohemian Rhapsody)作:フレディ
フレディがマリファナを吸ったところ「ムム、すごい電波だ!!」と覚醒。よだれを垂らしながら一晩のうちに書きあげた曲。曲の内容は「僕」が人を殺した揚句ママに助けを求め、出奔することをほのめかす。しかしにべもなく断られると今度は魔王ベルゼバブにまで助けを求め、またもや断られると急激に被害妄想度が強まり、母親に向かって突然「ああ、僕に石をぶつけて唾を吐きかけるつもりだな!ああ、僕を愛する振りをしてこのまま野たれ死にさせるつもりだな」などとわけのわからないことを喚きながら逃げるという内容。どこまで親不幸なのだろうか。

コーラスにロックにアカペラ、バラードと、彦麻呂にコメントさせれば「こんなにたくさん入って、まるでロックの満漢全席や~」とでも言いそうな内容である。あろうことかこのジャンキー音楽は英国で「英国史上最高の音楽」と称賛されたが、審査員たちも口の端からよだれを垂らしていたに違いない。初見の方には最後まで聞いてもらえないのが玉にキズ。

[編集] いいか止めるなよ、絶対だぞ

ベースの子のコーラスに注目

(Don't stop me now)作:フレディ

ダチョウ倶楽部ばりのフレーズでお馴染みの曲。 歌詞の内容は、「今夜は思いっきり楽しんでやる」とか「俺は今快楽の波にだだよってる」とか「俺は充電完了のSEXマシーンだ」とか「君も楽しみたいのなら俺に連絡してくれ」とかとか色々やばい気がするが気にしてはいけない。それに彼は普通のSEXでは無くお察し下さいそのせいなのか、ただ単に前半にギターの出番がないからなのか、ブライアン先生はこの曲が嫌いなようで、ライブでもあまり演奏されず。PVで地味にベースの子がコーラスに参加しているところがあるが多分口パクである。ちなみに歌詞に出てくるレディゴダイバァと言うのは、チョコレートのことではなく、ゴダイヴァ夫人と言う、圧制に困った人を救うために裸で馬に乗り町を駆け回ったフレディばり露出狂のことである。

[編集] 地獄へ道連れ

マイコー風

(Another One Bites the Dust)作:ベースのあの子

ベースのあの子が珍しく働いた曲。曲を思いついた時はビールを飲んでおり、ただ「あななわんばいつぁだすと!」と言うだけの無駄にシンプルな曲を想像して尿意をもよおした。そんなもの酒の席で頭がふやけた時の思いつきにすぎず、彼自身は話す気にもなれなかったが、なぜかフレディが「話してみろよ」というので「絶対笑うなよ!絶対だぞ!」と話してみるもフレディは大笑い。しかしフレディはやっぱりダメかと赤面しているベースの子に突然真顔で「その曲いいよ、なんか脱ぎたくなってくるね」と、ちょうど親交のあったマイケル・ジャクソンへの楽曲提供を提案。しかしマイケルからは「その曲はYouたちが歌った方がNiceだと思うよ」と遠回しに断られ、結局自分たちで歌うことに。しかしロジャーは僕らはお立ち台で歌う曲を作ってるんじゃないと難色を示し、やる気がないことを表明するもフレディはさっさとシングルにしてしまい、これがアメリカでバカ受け。チャート1位にいきなりランクイン。尿意をもよおして書き、ロジャーが嫌々ドラムを叩いた曲はまさにアメリカ人にふさわしい曲だった。現にアメリカに比べ品のよろしい国イギリスでは7位にとどまっている。つーかフレディ存命時には一番売れてた曲だったりする。 まぁ、フレディの死後はボヘミアン・ラプソディに抜かれてしまうのだが、それもまた彼らしいのである。

[編集] らぢおがが

まぁ前衛的。

(Radio Ga Ga)作:ロジャー

ロジャーの子供がラジオを聴くときにいつも言っていた「らぢおががががががが」という口癖を聞いて思いついた曲。テレビにおされぎみになっているラジオへの応援歌として作成し、ラジオへの愛が溢れる曲となっているが、プロモーションビデオがあまりに凝った作りになっていたため、皆プロモーションビデオ見たさに以前よりテレビを見るようになった。どっとはらい。また、映画『メトロポリス』をパロディとしたビデオの一場面で、プロトタイプVIP先生がフレディに変化するシーンは世界中の子供が夜トイレに行けなくなるほどのエグさである。

ちなみに、ロジャー曰く「Radio Ga Ga」という歌詞は子供の妄言が元であるから特に意味はないとのこと。

レディー・ガガはこの曲から名前を取った。もちろんホモ。やはりフレディとガガはホモだちの粛清されました

[編集] ボーン・トュー・ラヴユー

弾けんばかりのソフトマッチョ

(I was born to Love You)作:フレディ

フレディのソロ活動で作成されたアルバム「Mr.バッド・ガイ」に収録された曲を、彼の死後メンバーが編集した曲。プロモーションビデオでは、フレディのソフトマッチョな肉体と、胸毛などを余すことなくセクシーに楽しむことができる。日本に輸入された当時、日本人の6割が骨の歌だと信じて疑わなかった。そう信じて直訳すると「私はあなたを愛するために」となる。確かにフレディは愛のために骨になったのであながち冗談でもないかもしれない。

え?そもそもつづりが違うって……?

[編集] 今日はいい日

ええ日です。

(it's a beautiful day)作:Queen

フレディ亡き後、ブライアン、ロジャー、ベースの子が歌声と演奏を合わせて作った曲、アンサイクロペディアでネタにするのはあまりにも失礼な気がするので真面目な詞をのせるだけに留めておく。

きれいな日だ
太陽キラキラ
気持ちええ
今、誰も僕を止めようとしない

最高な日だ
気持ちええ、気分スッキリ
今、誰も僕を止めようとしない
お母さん

ちょいちょい、悲しくなる、気分が悪くなる
なのに、誰も僕を止めようとしない
望みが無い、何にもできない、どうしようもない

むしろ筆者の訳のほうがすごい冒涜である、だが後悔していない。

[編集] ウィー・ウィル・ロック・ユー

(We Will Rock You)作:ブライアン
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We Will We Will
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