グリゴリー・ラスプーチン

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「皇帝を殺すとはマンモス罰当たりな奴!!信長のような奴じゃ!!」
ラスプーチン について、足利義昭
「さよう、この死ななさは、サザエさんワールドの仲間入りじゃな!」
ラスプーチン について、磯野波平


グリゴリー・エフィモヴィッチ・ラスプーチン(Григорий Ефимович Распутин、ラテン文字表記でGrigorii Efimovich Rasputin、1871年1月23日? - 1916年12月25日)は、帝政ロシア末期にくさった死体の如く現れた魔術師である。ホモ。通称妖怪僧侶。縮めて海藻もずくマン(彼の髪の毛がもずくみたいだったため)などとも呼ばれた。

目次

[編集] 生涯

本人はシベリアの農家出身で牛の乳搾りをしながら暮らしていたと言われるが実際は魔界出身である。若い頃禁断の禁則事項ですに手を染めた為閻魔大王様の怒りを買ってしまい百叩きにされた後引き回しにされ三途の川に捨てられた。

ラスプーチンは三途の川を流れ人間界にまで流れてきた。流れ着いた先はロシアであり、魚釣りをしていたロシアのロマノフ皇帝ニコライ2世に釣られた。ニコライ2世は最初どざえもんが釣れてしまったと仰天した。死体だと思っていたラスプーチンがいきなり立ち上がったので更に仰天した。ラスプーチンは自分は魔術師であるとニコライ2世に説明し、彼に興味を持ったニコライ2世はそのまま宮殿へと連れて行った。そこでニコライの息子アレクセイ皇太子不治の病に犯されている事を知ったラスプーチンは皇太子の病気をケアルガとエスナでチョチョイと治療した。どうやらラスプーチンはFF派だったようだ。

意外と渋い男であったラスプーチンは皇帝ニコライ2世の妻アレクサンドラのお気に入りとなりラスプーチンはこれにより皇帝夫婦の信頼を獲得しやがて政治にまで関わるようになった。しかしロシアの人々はラスプーチンを得体の知れない妖怪と見て忌み嫌った(事実妖怪だったのだが)。

しかし、皇帝一家に気に入られたラスプーチンに嫉妬したドミトリー・パヴロヴィチ大公とフェリックス・フェリクソヴィッチ・ユスポフ公とその愉快な仲間達はラスプーチンをご飯に誘って、青酸カリをおごり、背後から銃撃し、バールのようなもので殴りつけ、チェンソーで切り刻んだ。しかし、それでもなお抵抗するラスプーチンに殴る蹴るの暴行を加えた後、赤じゅうたんで簀巻きにして川に投げ込んだ。彼の残骸はニコライ二世の宮殿に流れて行き、おりしも魚釣りをしていたロシアのロマノフ皇帝ニコライ2世に釣られた。ニコライ2世は最初どざえもんが釣れてしまったと仰天した。死体だと思っていたラスプー(以下略

[編集] 逸話·怪奇現象

  • ラスプーチンの抜け毛を地面に植えるとそこから怪しげな植物が生えてきた。
  • ラスプーチンが風呂に入ると風呂の水が七色に変色した。
  • 青酸カリ入りのケーキを食わされても死ななかった。
  • 拳銃で10発撃たれても死ななかった。
  • バールのようなものでボコボコにされて、グルグルに縛られて凍った川に投げ込まれてもすぐには死ななかった。
  • 死後3日して蘇り、邪教のとなった。

[編集] 巨根疑惑

彼の死後、彼の死体を見た人がその股間に目をやったとき、そこにあるイチモツのあまりのデカさに衝撃を受けた。 そしてそのイチモツは切り取られ、ホルマリン漬けにされて現代まで保存されている。

安陪定によって殺害、切断されたという噂もある。

現代において彼のイチモツを見た者は、女性ならその大きさに興奮し、男性はその多くが「邪悪な存在だ」「偽者じゃないか」といった拒否反応を示す。このことから彼の魔性と邪悪さが伺える。

又、生前の彼はその魔性を利用してロシア宮中の多くの女性をその邪牙にかけていたようである。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

  • [1] 彼の巨根について詳しく書かれている。


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