コスタ・コンコルディア

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美しい船体

コスタ・コンコルディア(伊:Costa Concordia)とはイタリアの豪華客船のこと。2012年タイタニック沈没100周年を追悼するために自沈したことで知られる。

概要[編集]

世界各地でクルーズ船を運行するコスタ・クルーズ社が5億6,500万ドル(当時の日本円で約650億円)をかけて建造・導入した船である。内装にはバルコーニ付きの個室やスィートを含む1500の船室、5つのレストラン、プールは4つの海水と5つの温水で計9つ、スポーツ広場・ジョッギングコースの他、大劇場を始めビデオゲームやディスコにダンス場やカジノもあるといった成金趣味かつ悪趣味絢爛を極めたものであった。だがそうは言っても本船は決して富裕層のためのツアーに使用されるものではなく、どちらかと言えば時間に余裕のある中所得者向けのツアーを行うための船として航行している。現に沈没時に行なっていたクルーズも11日間の行程で値段は18万3000円からであり、数百から数千万円を要する高級ツアーではなかった。

そのコスタ・コンコルディアは建造時から不吉な船として知られていた。進水式では叩きつけたシャンパンが割れなかった。これはタイタニックの進水式の逸話とも合致する。また2008年には乾ドックで作業中の本船が突風に煽られて側壁に衝突し、船首側面に穴が開く事故を起こした。他にも船名のコンコルディアはイタリア語で「協調・和合」という意味だが、これは忌まわしいエピソードを持つ超音速旅客機コンコルドの語源と一致している(フランスが開発したコンコルドは、商業的に失敗した挙句2000年に158人の死者を出す墜落事故を起こし引退した)。

コスタ・クルーズ経営陣は上記の不運な逸話を非常に気にしていた。そこで「不吉な船であるコンコルディアは早めに引退させてしまった方がいい」という理由で、タイタニック沈没100周年である2012年に自沈させることを決定した。

沈没ショー[編集]

沈没ショーを楽しむ乗客たち

タイタニックが沈没事故を起こしたのは1912年である。それから100周年を記念した追悼行事の一環として、前述の通り2012年に本船が沈没することが決まった。

準備[編集]

経営陣は船長に対し事前に「この沈没ショーはイベントの一環だから、ダイナミックにやってほしい。だが死者を出さないように」と命じていた。また客が安全に脱出できるよう「陸地のすぐ近くで沈没するように」という命令も出している。このような地理的条件に見合う場所については船長の判断に委ねるものとされ、また沈没日時についても船長の判断に全てが任されることとなった。

それを受けて船長は2012年1月13日に本船を故意に座礁させることにした。具体的には7日間の西地中海周遊コースをクルーズするコンコルディアをトスカーナ州ジリオ島300m沖の浅瀬に座礁させ、沈没させるというスケジュールである。この日時・場所が選ばれた理由は「13日の金曜日である」「ジリオ島の港が近くにある」「多数の島民・事故後に避難のため上陸した乗客が、沈没していく様子をよく見ることができる」という理由であった。

ショー本番まで[編集]

2012年1月13日、コンコルディアはイタリアのチビタベッキア港を出港し、沈没予定地点に向けて航行を始めた。乗客にはタイタニック追悼のため自沈することは知らされていなかったが、船内のレストランで映画「タイタニック」の主題歌である「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」を流すなど、追悼行事に向けた準備が着々と進んでいた。また追悼行事に参列するタイタニック号の犠牲者の遺族を無償で数名招待するという粋な行為も行なっている。

そして午後9時24分(現地時間)、乗員乗客4299人を乗せたコスタ・コンコルディアは予定地点で座礁を起こした。なお、このイベントはサプライズショーであり、1000人近くいた下級船員の殆どは乗客と同じくイベントの詳細を知らなかった。

本番中のアクシデント[編集]

沈没イベント開始後すぐに停電が発生した。本来ならば発電機が浸水するまで停電しなかったタイタニック号を見習って「出来る限り停電はしない」はずだったのだが、すぐ停電してしまったことはショーのクオリティを下げる結果となってしまった。

また殆どの乗客は冷静だったが、イベントの趣旨を理解できなかった乗客が海に飛び込むなどして死傷者が出た。一方イベントを把握していた中・上級船員は非常にリラックスしており、乗り合わせた日本人観光客も「船内に乗客が残っているにもかかわらず、避難ボートには乗客より乗組員のほうが多く、さらに笑いながら食事をし、最後まで謝罪の一言がなかった」と証言している。一方、船長はジリオ島住民らに対し何の告知もしていなかったために、島民は救助された乗員乗客に対し食事を出したり寝床を提供するなど徹夜で対応する羽目に陥った。

さらに、多くの乗客が本物の海難事故と勘違いして警察や最寄りの沿岸警備隊に通報するという事態も発生した。だがこれはイベントであるため、駆けつけた救助隊や陸上の港湾局職員が船に残った船員に「SOSを発信しないのか」と聞かれても船員は拒否しており、結局イベントの最後までSOSは発信されていない。なお、船長はイベントの総指揮を取るために安全地帯である船外へ真っ先に脱出したが、通常の海難事故と勘違いした救助隊や港湾局により強制的に船内へ戻されるという悲劇が発生している。

またイベントを勘違いした乗客が死亡したことにショックを受けた船長がしどろもどろになる様子は世界中のメディアで報道されており、非常に有名。

ショー後[編集]

結局、イベント終了時までに30人が死亡、60人が負傷した。ただのショーであった筈が多数の死者を出してしまったことにより船長の過失責任が問われている。

さらにショーが行われた場所の立地の悪さも問題になった。イベント開催地はサンゴ礁が広がる豊かな海であり、そこに2000トン以上にも及ぶ燃料の流出と乗客乗員向けの食料数十トンの腐敗が始まった。地元当局が焦ったのは言うまでもない。政府は非常事態宣言を出した後にイベント主催者のコスタ・クルーズ社及びコスタ・クロチエロ社に多額の撤去費用と損害賠償を請求した。この損害賠償は10億ドル(約1000億円)にも及んだ他、解体費用は6億ユーロ(およそ800億円)にも膨らんだため、イベント開催費は1800億円という世界最大規模の追悼イベントとなってしまった。

関連事項[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「コスタ・コンコルディア」の項目を執筆しています。
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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「コスタ・コンコルディアの座礁事故」の項目を執筆しています。