サラダ

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
移動: 案内, 検索
サラダの例
「この味がいいね」
サラダ について、君
「『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
サラダ について、俵 万智
「レタスはなるべく青くてやわらかそうなのを選んで、トマトは形のそろった3つ入りのパックを2つ買うわ」
サラダ について、吉田美和

サラダ(salad)とは、料理の一種である。

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディアの専門家気取りたちが「サラダ」の項目を執筆しています。

目次

[編集] 概要

野菜や、果物穀物などを適当の上に乗せたものである。ただそれだけのものである。 しかし、そんな単純なものなのに料理という格式の高い称号、呼称を与えられているのである。

[編集] 語源

上述の通り、サラダは食材を皿の上に乗せたものである。そこに乗せられている食材はそれを作成するたびに変更される可能性がある。何故ならそこには何を乗せてもかまわないからである。ニンジンを乗せようが、キャベツを乗せようが、レタスを乗せようが、その辺で拾ったよくわからない草であろうとも乗せることが可能である。

これにより、サラダにはそれを代表する存在がいないこととなる。フランス料理で実施される創作料理では「主役となる食材があって、それにどのような変化を加えたのか」という意味合いで料理のタイトルがつけられる(例:タラバガニのクリーム添え、デミグラスソースとタルタルソースをかけて)。しかし、サラダには代表となるものが一切存在しないのである。前述の方法で無理矢理記述するとすれば「キャベツレタスニンジントマト、紫キャベツ、ヤングコーンレモンの皮、キュウリのアイランドドレッシング和え」などというとても長いタイトルをつけなければならない。このうちどの食材を抜くこともかなわないであろう。瑣末に見えるレモンの皮であっても、それが存在しないことによって、サラダの見た目は大きく変化する。また、ドレッシングについても省くことはできないであろう。ドレッシングが加わると見た目が大きく変化し、味も変わる。ドレッシングを勘定に入れないということは、食材を乗せただけという意味に受け取られてしまう。

さて、サラダの中で、常に一定である存在というものがある。食材を乗せている「皿」である。

どんな手の凝ったサラダでも、どんな手抜きのサラダであっても、必ず皿に盛り付けを行う。盛り付けをせずに野菜や果物を食す機会も少なからず存在するかとは思うが、それはサラダではない。それは単に「齧り付いている」だけである。皿に盛り付けることによりサラダへの加工が完了する。どのようなサラダでもこれは一定である。そのため、この料理を「皿料理」と呼称することが広まった。 皿に盛り付けて食す料理ということである。これが日本での呼称となっていた。

この皿料理、手軽に作れて、かつ、それなりに栄養も取れることから庶民を中心に広く普及していた。ここに南蛮人と呼称される人たちの渡来が重なる。彼らは食事の際には必ずを通すことを信条としていた。肉食中心の生活をしていたからである。肉は繊維が厚く、火を十分に通さなければ食べることはできない。たとえ食べたとしても菌が増殖している恐れがあり、危険である。そのため、「食べるものには必ず火を通す」という常識を抱えている彼らが皿料理を食べる日本人をみて驚いたことは間違いない。生の食材をそのままほぼ手掴みで食べていたのだから。この皿料理に興味を持った当時の南蛮人は問うた。「これはなんであるか」と。そして現地の人は「皿(料理)だ。」と答えた。これがそのままサラダとなったのである。そしてこの言葉が南蛮人によって流布される。当時の人は「皿料理」という長ったらしい呼称はまずつかっておらず、大抵の場合「皿」と呼称していた。当然食器の皿と同じ用法であるから、紛らわしいことこの上ない。このサラダという呼称が広まるにつれ、広くつかわれるようになっていった。

[編集] サラダを作る

では、実際にサラダを作る様子をみていこう。まず用意するものは以下のとおりである。

以上である。実にシンプルである。食材は何を使ってもかまわない。焼いた肉や生肉などでも構わない。人によっては、「肉類の類を皿に乗せるのはサラダとはいえないのではないか。」という意見もあろう。しかし、この料理の主役はあくまでも「皿」なのである。皿が引き立てば肉だろうが魚だろうが何を使っても一向に構わないのである。

さて、調理に入る。といっても実に簡単である。「食材を切って皿に乗せる。」ただこれだけで完了である。場合によっては、切らずにそのまま乗せても構わない。キャベツを丸々ひと玉皿に乗せた場合もサラダである。だがこの場合、主役が皿ではなくなってしまうため、サラダとは言い切れない局面もある。

最後にドレッシングをかける。これはお好みでかけても、かけなくてもよい。ドレッシングをかける行為は「舌をごまかす」行為であるという指摘もある。食材を切って皿に乗せているだけである。つまりは「味付け」がされていない。食材や食べる人によってはまともに味がしない場合もある。そのため食べやすいようにドレッシングをかけて味付けを行う。ただ、ここで気をつけるべき点が存在する。皿の景観を損ねてはいけないのである。ドレッシングをかけすぎると、皿の美しいデザインを拝むことができなくなってしまう。そうなってしまっては適当に食材を乗せたよくわからない和えものでしかない。ドレッシングをかける際にはこの点に留意し、皿にかからないような配慮が必要となる。

[編集] 食す

では最後に食す段階である。食すといっても、やはり主役は皿である。食材を食べつつ皿に対する敬意を払うようにしなければならない。例えば、ドレッシングやトマトの汁で皿が汚れてしまっている場合、フォークなどの食器を用いて汚れを取り除かなければならない。また、皿に紋様などのデザインが施されている場合、それに注目する必要がある。サラダの主役はあくまでも皿であり、皿に施された装飾に気づけないことは皿に対しての失礼にあたる。また食後は皿に対する最大級の敬意を払うために、皿を食さなければならない。皿に盛りつけられた脇役の食材を平らげた後で、ゆっくりと主役たる皿を味わうのである。最後に待っている主役との邂逅は、きっとあなたに最高のひと時を提供してくれるであろう。

[編集] 関連項目

個人用ツール
View and edit namespaces data

変種
操作
案内
編集者向け
姉妹プロジェクト
ツールボックス
他の言語