シルヴァコクピット

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

シルヴァコクピット日本競走馬である。日本中央競馬会所属。4歳まではいまいちパッとしない感じだったが、5歳を迎えると本格化し、日本馬調教初の凱旋門賞優勝を成し遂げた。

[編集] 経歴

※以下、特別な理由が無い限り新年齢表記で統一される。

[編集] 4歳まで

1999年11月のデビューは2着に敗れるものの、折り返しの新馬戦を快勝。1番人気で迎えたラジオたんぱ杯3歳S(当時)は3着に終わるが、そこから3連勝して毎日杯を制した。外国産馬であった同馬はクラシックに出走する事は出来なかったが、その強さに注目が集まった。しかしこの後は骨折で戦列を離れ、3歳暮れに復帰するものの、そこから7連敗を喫してしまった。

[編集] 5歳

2002年1月14日、シルヴァコクピットは東京競馬場で行われたニューイヤーSを快勝。勝ち時計は1分31秒9で、これはオグリキャップがマークしたタイムを上回る優秀なものであった。関係者によれば、この時点で凱旋門賞を意識し始めたという。

シルヴァコクピット陣営は、次走に高松宮杯を選択した。自身初となる1,200m戦で、ファンはもとより関係者からも弱気のコメントが聞かれていた。しかしシルヴァコクピットは中舘英二騎手を背に不安を一蹴する走りを見せ、2着に入ったシャワーパーティーに8馬身差を付けて圧勝した。

京王杯SCを回避したシルヴァコクピットは、安田記念に出走した。フェアリーキングプローンサキーそしてガリレオといった外国馬が参戦する中、シルヴァコクピットは5番人気という評価に甘んじていた。日本のスプリンターはレベルが低いと考えられており、高松宮杯での圧勝劇もさほどの高評価は得られていなかったのである。しかしレースでは、シルヴァコクピットが逃げを打ち、他の逃げ馬(サーガノヴェル、エイシンルーデンスら)を従えて最後の直線へ。後方に控えた馬がいつシルヴァコクピットを捉えるか、という事が焦点となったが、シルヴァコクピットの末脚は衰えるところを知らず、そのまま逃げ切り勝ちを収めた。上がり3ハロンは32秒8、勝ち時計は1分30秒7であり、ニューイヤーSで叩き出した自身のレコードタイムを更に更新した。

この後、シルヴァコクピットは宝塚記念を回避し、短期放牧を挟んで凱旋門賞へ直行した。このレースにはエルコンドルパサーを破ったモンジューの弟であるルフーやニエル賞で3.12.8のタイムをだしたスラマニも出走しており、日本調教馬によるリベンジが期待されていた。中舘英二から乗り替わった田中勝春は、最後方からレースを進めた。しかし田中勝春は直線に入ってもアクションを起こさず、馬の気に任せるだけの騎乗を見せる。場内が騒然とする中、シルヴァコクピットはルフーをハナ差抑えて1着でゴール。レース後、田中勝春騎手は「この馬の好きに走らせようと思った。直線は何も出来なかった。シルヴァコクピットが、俺の邪魔をするなと言っていた」と述懐している。

帰国したシルヴァコクピットはジャパンカップへ出走した。凱旋門賞優勝がフロックと見られていた事や、国内の有力馬がこぞって出走した事もあり、単勝オッズでは6番人気という低評価であった。このレースは史上稀に見る消耗戦となり、直線を向く頃には多くの馬がずるずると後退していくという有り様だった。その中で踏みとどまったシルヴァコクピットは、最後まで食い下がったバランスオブゲームを交わして1着ゴール。バランスオブゲームはレース中に故障を発生した事が明らかとなったが、シルヴァコクピットもまた前脚を複雑骨折していた事が判明している。

ここに来て陣営は前代未聞の決断を下した。複雑骨折しているシルヴァコクピットを、連闘でステイヤーズSに出走させたのである。ここでは1番人気に支持されたシルヴァコクピットだが、レースでは田中勝春が逃げを打ったものの直線で失速。8位で最下位入線という結果に終わった。

また連闘で出走した師走ステークスではハンデ戦のため斤量69.9キロでブービーの馬20馬身はなされた最下位に終わる。

なんでこんな状態で出走登録するのかさっぱりわからないが、とにかくシルヴァコクピットは有馬記念に臨んだ。もはや気合と根性だけで走っていたシルヴァコクピットだが、3コーナー手前でずるずると後退を始めてしまう。誰もがシルヴァコクピットは終わったと思った瞬間だが、直線に入ると大外から猛然と追い込みを掛け、壮絶な叩き合いを演じていたマンハッタンカフェラスカルスズカを抜き去って優勝を飾った。

その後2年間現役を続けたが40戦して0勝掲示板に載ったのも新潟のオープン戦BSN賞(7頭立ての5着)だけという情けない結果だった。

その後地方の荒尾競馬に移籍したが20戦して1勝。

地方馬としてまた凱旋門賞に出走するも勝ったレイルリンクから40秒遅れた最下位だったが、3着ディープインパクトの失格により繰り上がりで8着となった。

その後種牡馬入りしたが種付け料無料でも1頭しか牝馬が集まらず、廃用食肉加工場に送られた。