ジョン・レノン

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ジョン・レノン

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ジョン・レノン(John Winston Ono Lennon,1940年10月9日 - 1980年12月8日)は、たぶん世界で最も有名なアーティストの一人。ジャン=レノとはギリギリで別人。

目次

[編集] 生い立ち

  • 1940年 : リバプールアイルランド系の家庭に天からの贈り物として産声を上げました。おぎゃ~。
  • 1946年 : アルフレッドが帰国し、アルフレッドに誘拐され数週間一緒に暮らしだすも、ジュリアがジョンを連れ戻そうと口論となり「父さんと母さんとどちらを選ぶ?」と結論をゆだねられる。一度は父親を選ぶが、去っていく母を見て母親を選ぶ。しかし母親ととても暮らす事はできず、ふたたびミミ夫婦のもとにあずけられ、父親も死亡。[1]
  • 1952年9月 : グラマー(!)なクオリー・バンク校に入学したジョンは、ケンカばかりの不良と評判になっていた。
  • 1955年 : この年のある日、エルヴィス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」を聴き、ロックンロールの洗脳を受ける。この頃ジュリアが近くに住んでいる事を知ったジョンは、ジュリアの家に忍び込むようになる。その罰としてジュリアは嫌がるジョンに無理矢理バンジョーの演奏法を手ほどきしされながらも、ジョンは音楽への興味はわくばかりであった。そしてポール・マッカートニーとどこかで出会う。

[編集] ビートルズとして

ライブ演奏ではガニ股になることが多い。生前、カニが前世じゃないかと本気で気にしていた。

米タイム誌が選ぶ「20世紀の最も影響力のあるヤリチン100人」第8位。

歌詞をよく間違える。「ライブはみんな騒いでるから誰も気にしちゃいねーぜ」というプロ意識に欠ける言葉。

自分の声が嫌い。そのため、ソロ時代からは曲にボーカロイドを多用している気がしたが別にそんなことはなかったぜ!声が変えられるんだったら機械化人間になる手術だって厭わない。

「すまない、オレの声をダライ・ラマが説法しているような声にしてくれないか?」
自分の声 について、ジョン・レノン

[編集] キリスト発言

ビートルズキリストより人気あるのさ。そんなこと言うと連中は磔にしたがるけどな。キリストさんよ、わかるだろ? 生きるのは大変だって事ぐらい。

「よっしゃあ、これで俺は世界一の人気者だぜ!!」
ジョン・レノンの死 について、イエス・キリスト

[編集] ジョンとヨーコ

「あのとき、YESじゃなくて、NOだったら…。」
ジョンとヨーコとの出会い について、ビートルマニア
  • ジョンは後に、♪Oh~ no!♪とどこかの連呼リアンに取り憑かれた様に連呼し捲った事は、彼の歌にも証拠がある。
  • 平和主義者の代表格である。
  • ジョンとヨーコが呼び合うという、お惚気CDが発売中。禁則事項ですの音をバックに、「ジョーン!!」「ヨーコー!!」と呼び合う。

[編集] ソロ・キャリア

過大評価。もっともポール・マッカートニーよりは個性的なのは確か。

[編集] 1970年代

イマジン』(アルバムは米1位・英1位・西ドイツ10位・日1位、シングルは米3位・英1位・西ドイツ7位・カナダ3位・オーストラリア1位・ニュージーランド1位・日本14位・オーストリア4位・スイス2位)で、同作は彼の最も成功したアルバムとなった。

「イマジン」は歌詞の無宗教的かつ社会主義的な内容からか、英国・米国では上条当麻に壊された。

『ただいまーの後は ガラガラジンジン ガラガライマジンジン♪』(※歌詞一部抜粋)

しかし、『イマジン』以降しばらく迷走。曲が売れずに困ったジョンは一時ニューヨークにて育児休暇をとる。

[編集] 1980年代

1980年になって音楽活動を再開し、ヨーコとの共作名義のアルバム『ダブル・ファンタジー』(米1位・英1位・西ドイツ2位・日1位・オーストリア1位)を発表したかった。

[編集] 殺害

1980年12月8日の午前中、自宅ダコタ・アパートでレノンはニューアルバム用のフォトセッションに臨んだ。11月に発売されたニューアルバム『ダブル・ファンタジー』のジャケット写真では、整髪料をまったくつけないマッシュルームカットヘアスタイルにトレードマークの眼鏡を外し、まるでビートルズ全盛期の頃のように若返った姿が話題を呼んだらしい。

フォトセッションを終えてしばらく自宅でヨーコとやった後、午後5時にはオノの新曲「ウォーキング・オン・シン・アイス」のミックスダウン作業のため、レノンはニューヨーク市内にあるレコーディングスタジオへ出掛けた。この時、ダコタ・アパートの前には顔見知りの雑誌カメラマンと、ハワイホノルル出身の精神疾患を患ったファン、マーク・チャップマンが待ち構えていた。彼は以前ボブ・ディランに対するストーキング行為に及んだこともあり、レノンにとって最後の生演奏となった1975年のスタジオ・ライヴでは観客席にその姿を見せている。

だが、後日、真犯人はマーク・チャップマンでは無いという説が、一部のファンの中に広まる。ファンのクリス・カーター氏は 「実行犯は彼かもしれないが、真犯人はFBICIA、そしてペンタゴンさえも牛耳る闇の組織が、彼を洗脳し殺させたんだ。」 と語る。

氏の説によると、JF・ケネディー暗殺、キング牧師暗殺も、その組織のトップ・クラスのニコ中(CSM)の人物の犯行だったという。ホントかよ。

[編集] エピソード

  • ビートルズのもっとも有名な曲の一つである「Hey Jude」。この曲はポール・マッカートニーによって作られたものであるが、その作成理由として彼は「ジョンの息子、ジュリアンに捧げるため」と語っている。しかし我らがジョン・レノンは「この曲は俺とヨーコのために作られた」とか言っちゃっている。作った本人がちゃんと理由を述べているのに。息子はどうでもいいのかよ。まったくわけがわからないよ。もういいよ。

[編集] 主な使用楽器

リッケンバッカ、えぴフォンカジノ、鍵盤ハーモニカ、カスタネット、タンバリン、自分の顔。

[編集] アコースティック・ギター

[編集] エレクトリック・ギター

[編集] アンプ

ビートルズデビュー前から初期まで(中期ではフェンダーなどのアンプと併用)のレコーディングにおいて最もよく使用されたアンプ。ジョンレノンの脳内再生をアンプに通して再生するのでライヴでは客の歓声に音が消されてしまうことが多くライブ演奏には向かなかった。
  • ヴォックス・AC-50(VOX AC-50)
  • ヴォックス・スーパー・ビートル(VOX SUPER BEATLE, VOX AC-100, VOX AC-200)
ライブにおいて観客から殆ど音が聞こえない状況を打開するため、出力の低いAC-30などのアンプに代わって、ヴォックス社よりビートルズのライブのために開発・提供された大型で超高出力のスタックアンプ。

[編集] その他

  • 変なブルース・ハープ。ところでブルース・ハープって何?

[編集] 関連項目


[編集] 脚注

  1. ^ と思いきや、じつは生きていたことが判明する。
このジョン・レノンにはまだまだマージービートが足りていません。
早くノリのいいビートを加えて、キャバーン・クラブに出演させてやってください。 (Portal:スタブ)
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