ジョンジェームズ・H・ワトスン(ワトソン)

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ジョンジェームズ・H・ワトスンJohn James H. Watson 1852年8月7日-1929年7月24日)は、アーサー・コナン・ドイルを代理に立てて、ちょっとあれシャーロック・ホームズの事件記録を世間に発表した伝記作家である。一応医者でもあるが、患者よりも自分が傷病にかかることが多く、生前は印税収入と支給金を食い物にした不養生な生活を送っていた。

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人物像[編集]

恰幅のいい体に優しい顔つきで多くの女性と関係を持つ色男。その性格は詐欺師に通じるところがあるが、いかなる時分(トルコ風呂に居るときや、回診中、睡眠中、妻とぴーしているとき等)にもホームズの召集・要求に応える彼の精神は、神の領域に達していると言っても過言ではない。

博士は大学を出て軍医となったものの、派遣された戦場で運悪く左足だか肩だかとにかくどこかに深刻なダメージを受けて本国に強制送還されてしまった。その後ロンドンをぶらぶらしていたら、運悪く知り合いに遭い、運悪くシャーロック・ホームズを紹介され共同生活を送ることになると同時に、運悪く様々な事件に巻き込まれるようになってしまった。それを利用して伝記を書き印税で儲けるものの、結婚してホームズと別れると、すぐに身辺でおかしなことが起こり始め、博士は撞球仲間に「誰かに呪詛を受けているのではないか」と相談したこともある。宿敵と相打ちになり死んだはずのホームズが得意の変装でいきなり目の前に生還したときなどは、自由な時間を失う絶望のあまり博士は気を失った。その壮絶な気絶っぷりのため、現代に至るまで女性もしくはオカマ疑惑がささやかれている。

よく間違われることであるが、博士のファーストネームはジェームズであり、ジョンではない。ジョンというのは代理人のアーサー・コナン・ドイルの勘違いで生み出されたものであり、本名が改変されなかったのは妻が博士に呼びかけたシーンのみである。ちなみに、日本では博士のファミリーネームの日本語表記(ワトスン、ワトソン、ウェイトソン、ウェイトスン、ウェイトレス、ワッツオン等)でシャーロキアンが一悶着起こしている。

ワトスン博士の事件記録について[編集]

生前[編集]

平和に過ごしていた博士にとってまさに運命の転換点であったホームズとの不幸な出会いを皮切りに、博士は様々な事件に巻き込まれることとなる。そのほとんどが強制的に参加させられたものであるが、めげずに博士は血の滲むような努力をして記録をつけることで心の平安を保った。その後、その記録の商用的価値に気付いた博士は、著作権を得てそれらをストランド誌他に発表した。博士が生きている時代に発表された事件記録は60編(長編4、短編56)に及ぶ。

死後[編集]

博士の死後90年弱経つ現在に至るまで、時折、銀行に保管されていたり博士の子孫らが偶然見つけたりして原稿が発見されている。それらは今なお読者を楽しませているものであるが、一つ気がかりなことがある。かの原稿に携わった人々が次々に不審な死を遂げているのだ。それは今でも残る誰かの呪いのためだと、研究者たちの間ではまことしやかに囁かれている。もしもあなたが銀行の金庫や自宅、路上でそれらしい原稿を見つけても、うかつに触れたり読んだりしてはいけない。すみやかに知り合いのエクソシストに祈祷してもらうべきである。何しろ命に関わる問題であるからして、この警告を真摯に受け止めてもらいたい。

関連項目[編集]


シコれペニス メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の記事加筆せねばならぬと決意した。
メロスにはユーモアわからぬ。メロスは、暇人である。
記事を見て、ニヤニヤして暮して来た。けれどもダメな記事に対しては、人一倍に敏感であった。 (Portal:スタブ)