ケニー朝
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ケニー朝(-ちょう)とは宇宙暦374年から781年に至るまでエクスペルとエナジーネーデを支配した王朝の名称。太祖はクロード・C・ケニー。
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[編集] ケニー朝の成立
クロードは光の勇者として十賢者を倒し銀河を救った。このためエナジーネーデとエクスペルの全人民が彼を英雄と称え、自主的にクロードを国王として推戴する事になる。クロードは最初この申し出を拒否したが、人民のたっての願いに抗し切れず遂に国王への就任を了承した。宇宙暦374年8月9日、エナジーネーデの首都の大聖堂でクロードの戴冠式が行われケニー王朝が成立した。これに伴い妻であるレナ・ランフォードは王妃となり、ロニキスは大院君、イリアは王太妃の称号を授与された。
[編集] クロードの改革
クロードはそれまで中世段階であったエクスペルにエナジーネーデや銀河連邦の先進技術を移植し、急速な近代化を推し進めた。義務教育制度の設置、司法の近代化、三権分立、憲法の制定などを推し進め、エクスペル近代化の礎を築いた。また十賢者大戦で被害を受けたエナジーネーデやエクスペルの諸地域の復興と被害者への補償を行った。
[編集] ケニー朝の繁栄
宇宙暦411年にクロードが退位した後も彼の築き上げた基盤を元にケニー朝は発展を続けた。ケニー朝の初代クロードが銀河連邦の軍人であったことから銀河連邦とは良好な関係が続き、様々な便宜を受けた。各代の君主は銀河連邦に協力を惜しまなかったし、銀河連邦もエクスペルとエナジーネーデを連邦の最重要地域と見做していたのである。
[編集] ケニー朝の没落
しかしケニー朝の繁栄はFD人の侵略による銀河秩序の崩壊と共に崩れ去った。ケニー朝は辛くもエクスキューショナーの攻撃を凌ぎきったが、受けた被害は甚大だった。やがて野比のび太率いる帝國が台頭し銀河が新たな時代へと向かう中ケニー朝の君主アフマド・S・ケニーは帝國と旧来の諸勢力の間で必死に国家生存の道を模索していたが、遂にエクスペルに侵攻してきたキテレツの軍勢に直面する。3ヶ月に及ぶ戦いの末ケニー朝は破れ、アフマドはキテレツに三跪九叩し降伏した。ここにエクスペルとエナジーネーデはキテレツ王国の治める所となり、400年にも及ぶケニー朝は終焉の時を迎えた。アフマドと一族の中の或るものはキテレツ王国の貴族になり、またあるものは銀河帝國に逃れた。

