ヨシフ・スターリン
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「岡田真澄」とは異なります。
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ヒトラーの次はスターリンを抹殺しなければいかん! トルーマン以外のアメリカ人にはスターリンの酷さを口酸っぱく言っても解ってもらえないんだからな!
〜 ヨシフ・スターリン について、ウィンストン・チャーチル
ヨシフ・スツァーリン(よしふ・すつぁーりん 本名:よしふ・う゛ぃっさりおのう゛ぃち・じゅがしう゛ぃり)とは、ソビエト軍国主義共和国連邦の独裁者、環境保全活動家。「ソ連の雷帝」「紅いジャイアン」「白い国の独裁者」の異名を持つ。ちなみに、スターリンとは「鉄の男」の意味である。
人物概要[編集]
彼は歴史上稀に見るほど地球環境の改良に熱心で、2000万人以上の人間を減らすことで二酸化炭素排出量を劇的に削減することに成功し、現在でもグリーンピースから熱烈に賞賛され続けている。また、同じく環境活動家であるヒトラーとは粛清による環境への貢献度で争っており、大喧嘩によって3000万人以上の人口を削減、さらに環境保全を進めることに成功した。岡田真澄のそっくりさんでも有名。また、ヨシフの名は芸名であるとの噂があり、本人もそれを認めている。
レーニンはレナさんのファンであったが、スターリンの方はエヴァンゲリオンのファンであり、彼のペンネームの「スターリン」は、「鋼鉄の人」の意である。ちなみに、スターリンの本名は、ヨシフ・ヴィサリオノヴィチ・ジュガシヴィリ([仮名]よしふ・ゔぃさりおのゔぃち・じゅがしゔぃり,[ロシア語]Иосиф Виссарионович Джугашивири)、また「星林 吉府」(ほしばやし よしふ)と言う日本名も持っている。
幼年時[編集]

I.V.スターリンはV.I.レーニンとともにカール・マルクスの家でもうちょっとでキリストと同じであった日に生まれた。東アジアにいそうな顔のレーニンとはマルクスとメイドの関係で腹が違い、西アジアにいる部族長のようである。「アジア人」と呼ばれ、新たにタタールの軛をもたらすコンビと言われたとはいえ、この違いは後のレーニンによるモンゴル独立、スターリンの大アゼルバイジャン援助という違いにあらわれていると言えよう。とはいってもトルコと接するジョージアはコーカサスにあり、コーカサスといえば人類文明発祥の地と言われており、今では世界の支配者となったかのような白人どもがコーカソイドを自称するくらい歴史のある場所とされる。
なお、彼が殺戮と粛清を好むようになったのは、この幼年期に母親の虐待を受けたせいだとも言われている。母親の老齢期に親子でこんな会話が交わされているということからもその疑いは強い。
- ス「ママン、今ボクはツァーリのような仕事をしてるんだよ。ところで、子供の頃、ボクのことを何であんなにぶったの?」
- 母「わからないのかい? わたしがあれだけぶったから、お前は立派な人間になれたんだよ」
ただし、『共産主義者は幼少時に虐待を受け、それが社会の転覆という歪んだ欲望を抱くようになる』というのは、冷戦終了までの反共主義においては疑うことなきステレオタイプでもある。1935年、ドイツの記者は次のように彼に聞いた。
- 記「あなたが革命に参加した原因は何ですか? 両親から虐待を受けた?」
- ス「いいや。両親は私に適切に接した。もし原因があるとすれば神学校の教師だろうね。ん?その教師に取材をしたい?ああ、その教師は粛清してしまったよ。」
社会主義者時代[編集]
ここでも多くの殺人能力を大いに発揮した。偉大なゆでたまごレーニンがレーニン、ニンニンといって亡くなった後、自分から「俺が仕切るから反対した奴は即行でフライドチキンにするよ」と突っ込んだ。しかし当初は多くの反対者が出ており、多くのものを斬り殺したり、森の奥で銃殺したりして人口調整の貢献につながった。これによりスターリンに従わざるを得ない状況になる、もし意見を反したり、噛んだり、ウケを滑ったりしても粛清の対象となった。そのため多くのものが会話を流暢に話さざるを得ない状況になった。これによりスターリンは事実上のトップとなった。しかし、ある時人民の前でスピーチを間違えてしまい思わず「あ、間違えた」といってしまい赤い広場に集まった人民が大爆笑したとき, スターリンがいなくなり核爆弾が投下された。これによりソ連の研究所は人が核をあびたらどうなるか?という疑問を解決できスターリンは更なる支持を集めることとなる。
スターリンのとった政治は牛を二頭持たないこと(もし持っていたら粛清の対象となった)、戦争が起これば何とか持ちこたえること、髪と髭にイチャモンをつけた奴も粛清、その他諸々の政策を取った。世界が大恐慌に陥ると、まず金持ちの野郎を粛清し、豚の野郎をフライドチキンにする、そして五月蝿いやつは舌を切って、金と食糧を多く蓄えたことから不況なんぞ吹っ飛ばしたのである。また、不従順な人間を、ステキなお仕事の斡旋や、永遠のウインター・ツアーへ御招待にするという大サービスにも精を出した。
第二次世界大戦[編集]
避けて通れないのは、前述の通り環境活動家のライバルとして対立していたナチスドイツのアドルフ・ヒトラーとの全面対決であろう。
ポーランド侵攻[編集]
35年、ドイツのソーセージ・豚の丸焼きとソ連のウォッカの交換協定が結ばれ、両国の関係は深まった。1939年4月、綺麗好きのチェンバレンがポーランド・ルーマニア・ギリシャ・トルコの、油を飲み油で手を洗い油の風呂に入る生活に惹かれて安全保障すると、スターリンは魚の方が美味しいよ!とバルト三国とフィンランドの国々にもするように云ったが、チェンバレンはイギリス人であり魚のおいしさを知らないため無視した。 しかたなく、8月23日にバルト海のフカ・ニシンと燻製にする燃料を手に入れるため、モロトフとリッベントロップの間で鱶鰊(フカニシン)条約が結ばれた。燃料のためルーマニアの一部とポーランド東部、更にバルト海に面した漁港を手に入れるためラトビア・エストニア・フィンランドがソ連の勢力圏になった。リトアニア、ポーランド西部はドイツの勢力圏になった。
9月1日、ポーランドへドイツが電流イライラ棒を持って侵攻した。18日にはソ連のウォッカ軍団がポーランドのビール湿地帯を抜けて現れた。ウォッカの量では勝っていたソ連軍であるが、ドイツは北よりも南の方が電流棒のコース的に簡単だと思ったので、ポーランド南東部を目指すことにした。ソ連のウォッカ軍団は豊富な資源以外は何も無い南東部よりも魚の美味しいバルト海に沿って動き、リトアニアへの道を遮るように北を進んだ。最終的にはポーランド南東部はドイツ、リトアニアはソ連の勢力圏になった。リトアニアには"賊の刑事"のあだ名をもつデカノゾフが、ラトヴィアへはビールとニシンが大好きなヴィシンスキーが、エストニアへは示談で相手の本音を聞き出すジダーノフが赴き、ソ連漁師の派遣に尽力した。
独ソ戦[編集]
その後は互いに静止状態であったが、12月フィンランドの魚を捕りに出かけたソ連漁師達が逆に人食いケワタガモに襲われて大勢命を落とすと、ヒトラーは観客を魅了しないと満足しないあふれたユーモアで41年6月ソ連に進行した。日本の協力を期待したためであった。しかし、日本は襲撃をボイコットしてしまう。スターリンは即座に奇襲をかけて見事に撃退する。そしてヒトラーとの直接対決においてあっち向いてホイ対決で見事に勝利。このときの勝利はヒトラーをこぶしで殴って無理やり向かせたと言う、ある意味現在のあっち向いてホイ対決に似た要素を持っていた。
ついでに8月、中立を保持していたイランの「俺らの国名の意味分かってるか? "アーリア人の国"だぞ」というもっともな返答を無視し、国内からドイツ人を追い出すように命じたイギリスに協力、彼らが断固として断るとイギリスと共にウォッカとウィスキーを運び込み酒の弱いイスラム教徒を強引に一気飲み大会に誘って倒し、アメリカから賞金としてギリシャ共産党やチトー支援のためのアメリカ産武器の供給を取り付けた。
その後はドイツに侵攻。じゃんけんで次々に勝ち巧妙な後出しを行っていたのではとの説もあるが、誰も気にしない。、投降した捕虜を即座に収容所に行かせ粛清させている。その後はわずか34分54秒でドイツ国内に進行、37時間12分8秒にてベルリンを陥落した。陥落した後、日本にも宣戦布告、このとき、まあ捕虜兵で攻略できるわーと言う理由でスターリンは日本に行かなかった。そのときスターリンはバックギャモンで美しい国のハリー・S・トルーマンと対戦しており、トルーマンが勝利した。しかしこの後スターリンはトルーマンと対立することとなる。日本を攻略した後は即座に北海道と東北を領有しようとしたが、トルーマンが反発し、結局、どこ一つ領有することがなかったと思われたが、北方領土を領有できたことで、「チェスで逆恨みしたのだからまあ仕方がないね。」と嘆いた。
戦後と晩年[編集]
戦後スターリンはコサックダンスをしない政治家は粛清すると言う滅茶苦茶な手段を取り、多くの政治家を粛清した。そして粛清した家族に対して核兵器を家の中に仕込ませると言う滅茶苦茶な方法で無理やり従わせた。そのことで世界中で大きく騒がせることとなる。大韓民国と金王国との戦争の際は鼻の穴に小指を突っ込んで鼻くそを取りながら静観していた。その戦争が終結すると毛沢東はスターリンの子分であり、毛沢東が中華ソビエト共和国を樹立した暁には、便器を送って中蘇関係を強化し、美しい国やヨーロッパ諸国とのライバル関係を持つようになった。そして、金王国に関しては白菜キムチの香料にもなるウォッカを贈った。
スターリンはある日突然昇天し、天国へ行ったが、入国を拒否られたので地獄へ行き支配した。地獄から天国への亡命者が異常に増えたのは彼の仕業である。もっとも亡命出来たやつはいいのだが、直前でバレたやつは...
しかしスターリンが塩分の取りすぎで脳卒中となり部屋で倒れるも、見事に医者にスルーされて半日間放置されあっけなく死亡すると、彼の政治を後継者マラ…マリ…マル…マロ……ン? えーと、誰だっけ?はあっさりと否定した。極寒の粛清時代が終わって国民はようやく雪解けが来たのかと期待をしていたのだがレーニン廟の下にぞんざいに埋けてあったスターリンは突如復活し、「何、俺の考えを否定し取るのじゃコラー!!」と激昂。泡を吹いてフルシチョフは3秒後に死亡した。
そのため政権はスターリンが自分のヒゲをマユゲに移植してやった男レオニード・ブレジネフに取って代わった。しかしスターリンの影響力は大きく、ブレジネフもいつ自分のマユゲが暴れだすかわからずビビリながら政治をしていたとされる。こうして春が来たかと思ったがまた冬将軍の時代となってしまったのであった。
しかし、ブレジネフはまだそれでもいい方で、その次のアンドロポフとチェルネンコはスターリンの呪いから就任直ぐ死んでしまう。この一連に対して、柏原芳恵の「春なのに」が発売される要因となる。
スターリンの身長は163cmで、hydeよりも7cmも高いが、本人としてはコンプレックスであったようで、シークレットブーツを愛用していた。そのことが側近や靴屋のおっさんにバレるのがいやで、ブーツをこっそり自作していたことがペレストロイカ以降明らかになった。靴職人の息子という出自がこんなところで役に立ったようである。
そして、ミハイル・ゴルバチョフとボリス・エリツィンの2人により、ようやくスターリンの呪いは解けた。
岡田真澄のそっくりさんとしても知られ、しばしば彼を演じている。しかし岡田は粛清するほどの力はなく、親戚関係ではないことは明らかである。
ちなみに死後、銀河帝国軍のれんねんかんぷとかいう提督に転生している。
動画サイト内での活躍[編集]
動画サイト内では、総統閣下ほど幅広い趣味はないものの、手を出したものではしばしば閣下の一つ上を行くことで知られている。
総統閣下程ではないが、けいおん!が好きである。一番好きなキャラクターはあずにゃんで、自分以外のあずにゃんファンをシベリア送りにしたり、赤の広場をあずにゃん一色にしてしまうほどである。
スターリンは実は資本主義のエージェントだった?[編集]
近年のソビエト崩壊により、ロシアから多数の機密資料が公開されつつあるが、最近明らかになりつつある事実からは、スターリンは西側陣営の送り込んだスパイであり、社会主義体制の崩壊はすべて計画通りだった可能性が濃厚となっている。この新説よりスターリンの奇怪な行動がことごとく説明がつくようになって来ており、歴史の塗り替えも時間の問題化と思われる。それでは資本主義防衛に活躍したスターリンの業績をご紹介しよう。
- クルプスカヤ夫人に嫌がらせをしたのは、健康が悪化していた赤色革命の元凶であるレーニンを怒らせて死期を早めさせるという、スターリンの高度な計略であった。このスターリンの見事な活躍によりまもなく諸悪の根源であったレーニンは死亡する。
- スターリンの粛清はトロツキーたちの世界革命を事前に阻止し資本主義社会を守ることが目的であった。スターリンは一国社会主義路線をうち出し、見事に革命の封じ込めに成功し資本主義社会を守った。
- 労働者を強制収容所に押し込め、過労死させることによりソビエトの生産力を低下させることに成功。
- 軍事産業に大金を注ぎ込みソビエトの財政を破綻させることに成功。
- 将校を殺戮し赤軍を弱体化させ革命の輸出にブレーキをかけることに成功。
- 新たに公開されたチャーチルからスターリン宛の手紙「一度、ドイツにぼろ負けしてロシアを焦土化してくれる?ファシストと共産主義者がなるべく多く死ぬようにうまくやってくれよ。また君につらい仕事をさせてしまうが、自由と民主主義が生き残るためには独ソの全体主義双方に打撃を与えるしかないのだ。」だそうである。スターリンは見事にこの任務をこなしたと言えるだろう。
このようにスターリンは赤色革命の拡大を最小限にとどめるよう活躍し、冷戦における西側陣営の勝利に大きく貢献したのである。ブッシュ大統領もスターリンのような偉大な人物の活躍で冷戦の勝利が20年は早まったと西側エージェントとしてのスターリンの腕を高く評価している。
その他の仮説[編集]
実際、スターリンは200以上の逸話を持つ事で知られており、ニコライ・ゴーゴリやオスカー・ワイルドなど同性愛者の小説を好んでいただの、チャーチルに「米国は恐るべき兵器を持っている」と云われた時にポケーとしてそれが核だと理解してなかっただの、死亡原因は毒殺だの、パウルスと息子の交換に応じず見捨てただの、キーロフの暗殺を計画しただの、レモンを栽培することに執着していただの、実はアルメリア人だの、反ユダヤ主義者だの、双子がいるだの、プルジェヴァーリスキーの孫だの、モスクワの行政組織を繋ぐ秘密の第二モスクワ地下鉄線を作り、それを使って度々お忍びで出かけるので老中もといカリーニンがいつも探してただの、非常に多い。
スターリンの逸話は西への亡命者によるセンセーショナルを追求した営利目的のトンデモ本……もとい資本主義国家の繁栄の元で訴える勇気を取り戻した人々による驚くべきソ連の内実を書く告発本の出版と、権力への渇望に絶えきれず旧体制の破壊……もとい恐れることなくスターリン批判し、ソ連を守ろうとしたフルシチョフ達の資料によって明らかにされている。このため信頼できるソースは東と西の研究では大きく異なり、スターリンの情報も大分違ってくるらしい。
名言[編集]
- 「これいらなーい」(レーニンとともにうつっているトロツキーの写真を指さしながら。この直後、彼は写真とこの世からトロツキーを削除し、見事レーニンの後継者と成り上がるのである。)
- 「あいつはここ(頭を触る)とヒゲが足らなかったんだよ」(ヒトラー自殺を耳にした時の言葉。彼の冷酷さがじわじわと伝わってくる)
- 「俺に言うな」(毛沢東がチベット侵攻許可を出してくれとせがんだ時に発した言葉。毛沢東と絡みたくなかったスターリンの率直な気持ちが出ている)
- 「もう遅い」(反逆者として処刑される男がスターリンを称える最後の言葉を残したが非情なスターリンは軽く流した)
- 「誰だ? そんな恥知らずなやつは知らん」(第二次世界大戦中、長男がドイツ軍の捕虜となったと報告を受けて。これを人づてに聞いた長男は自暴自棄となり、捕虜収容所からの脱走を試みて射殺される)
- 「話は聞かせてもらったぞ!貴様はシベリア送りだ!」(不穏分子の話を盗み聞きした際、某巨大掲示板の汎用率は高い)
- 「吐き気がするほどロマンチックだぜ!」
稀代の詐欺師、盗賊として[編集]
我らが偉大なる同志(タワリーシチ)スターリンは殺人やブラックユーモア以外にも、素晴らしい偉業を成し遂げている。史上知られている限り最大の強奪記録を持っている。
- スターリン 「ねぇねぇスペイン君。内戦で君達の金塊をナチスに奪われる可能性あるよね? 僕に預けない?」
スペイン首相・蔵相「お願いします♡」
スターリン 「じゃあ、預かり証はモスクワで、僕達が金塊の量を計算してから書くね。(船着き場で)」
約六億ドルの金塊を強奪。(1936年) - スターリン「日本のブルジョア、君主主義者の持ち物は取り上げるべきだ。僕が責任もって処理するよ。」
毛沢東 「・・・」
満州にある日本人所有資産の八割を持ち帰る。満州侵攻時にちゃっかりお持ち帰り車両を用意。持ち去り資産価格は不明(1945年) - スターリン「ねぇねぇアメリカ君、イギリス君。僕一人じゃドイツと遊べないから、応援して欲しいなぁ。」
米・英 「おもちゃを貸すだけなら良いよ。」
下着から戦艦まで借りるが、大半は踏み倒した。資産総額は算定不可。(1941年)
関連項目[編集]
- ソビエト連邦共産党
- 国際連合
- アメリカ- 資本主義クソ野郎
- アドルフ・ヒトラー-ライバル
- ウラジーミル・プーチン
- 魔王
- マトリョーシカ人形
- 無神論者
- スターリン28号 - スターリンを主人公にしたソ連の大人気アニメ。
- 料理の鉄人
- 鋼の錬金術師
- フルメタル・ジャケット
- フルメタル・パニック!
- ミハエル・シューマッハ - 「赤き皇帝」同士である。
- UnTunes:気まぐれスターリニズム
- M14の設計者ー同名の別人(架空)
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