セカイ系

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セカイ系(―けい)とは、20世紀末以降大きく発達した世界認識の一作法である。日本では世俗的作用をもって大きく発達した。

通説的理解[編集]

セカイ系とは通常、「ある個人の日常世界が、国家や地域社会などの中間項を排して、直接地球の命運に直結する闘争につながる」作品構造をとる作品のことを指す。通説では新世紀エヴァンゲリオンという庵野秀明作品の世紀末的雰囲気を醸し出しているアニメ・マンガ(動漫)作品を指す。

後期のドラゴンボールも主人公の闘争が中間社会を排して地球ナメック星の命運に直結する構造をとっている。しかし、「弱そうな若い娘が命運をかける戦闘で重要な役割を果たす」という本物の軍事戦争ではありえない設定を用意していることが、セカイ系がセカイ系であるための重要な一部と看做されているため、ドラゴンボールのような男戦士だけの作品はセカイ系の作品とはみなされていない。

セカイ系の3大作品とされているのは、エヴァンゲリオンと新海誠の「ほしのこえ」、秋山瑞人の「イリヤの空、UFOの夏」(以下イリヤ)である。「ほしのこえ」では、男の方でなく女の方が脈略なく異星でロボットに乗って戦い、「わたしはここにいるよ」と地球の男に語りかける構成をとり、イリヤでは少年浅羽が異星人のパイロットたる少女イリヤの任務を解こうとして無駄な努力を繰り返す構造をとる。特に最後のものには戦場という現場まで妖精的少女に明け渡した男の絶望が主題とされている。

このセカイ系という形式は、個人の関係とあらゆる中間項を排除する特質ゆえに、商業的延命工作のための続編を創るのが難しく、次第に登場キャラクター間の会話と現世空間での闘争を重視するサバイバル系に取って代わられていった。今ではセカイ系は文学から退場し、「ラスボスは世界を滅ぼそうとする穏健な身なりの者」という形式を持つゲーム作品においてその名残を留めている[1]。日本国内限定の文学批評空間では、「セカイ系はもう死んでいる」ということで結論が出ようとしている。

キリスト教的なセカイ系[編集]

しかし、セカイ系の原点とされるエヴァンゲリオンの本来の意味は「福音」である。重要アイテムとなったロンギヌスの槍は本来イエス・キリストを貫いた槍のことだったし、エヴァンゲリオンの中国語は福音戦士である。

米国で1980年代以降、エヴァンゲリカルという福音派が発言力を強めていることは誰もが聞いたことだろう。「原理主義」という言葉をイスラムより早く社会科学の一般用語に昇格させた彼らは21世紀最初のブッシュ政権下において全盛を誇った。彼らは「エヴァンゲリオン新世紀」を米国に顕現させ、民主主義という現代の大義を掲げて世界中にいる独裁の使徒に対して聖戦を決行した。

その成果が国民にあまり受けず、ブッシュのエヴァンゲリオン共和党オバマに道を譲った。しかし、在野化したことで、福音派は更に思想的妄想に走れるようになり、発言は更に加熱した。例えば、代表的な福音戦士系コメンテーターのグレン・ベックアラブの春をみて、「我々は新世界秩序の誕生を目撃している!」と発言した。これは米国左翼の支援の下、イスラム勢力がモロッコからインドネシアまで結集して統一天母ウンマを生み出しているという評論である。左翼勢力の反宗教性についての疑問に、ベックらティーパーティーの参加者は耳を貸そうともしなかった。

そもそも、「聖書のみによる救済」を目指すプロテスタントは、教会という社会的中間項を排して直接天界の神に繋がろうと志向したがる。つまり、セカイ系の性向が広くみられるのだ。ならば、ベックの発言も「新世界秩序」ではなく、「新セカイ秩序」と訳す方がより正確なのかもしれない。実際、その訳語が乱発されているキリスト教の宣言文もある。

イスラム的なセカイ系[編集]

米国の福音派はまだ国家という中間項の存在を認めている。だが、イスラム聖戦士(ムジャヒディーンとなると、彼らの多くが母国から追放された身であるため、自分自身の命運が周囲のセカイ情勢の命運と直結する構造が生み出されている。彼らは社会の中間項から排除されているからだ。

ムジャヒディーンは一見、ヒジャーブを女に強要する禁欲的な集団にみえるかもしれない。しかし、コーランによれば、ムジャヒディーンはイスラムセカイの母ウンマのために殉教した後、天国の楽園で慈悲深きアッラーから与えられた大量の処女たちと永遠にデレデレして過ごすことになっている。なので、彼らも美少女を愛するという点ではセカイ系の一員なのである。

彼らの武装訓練は、実のところ楽園の美少女のためのものなのである。いや、パレスチナ辺りになると、裏側でイスラエルの兵士娘(イスラエルは皆兵制)を攻略する日を翠夢想して、激しい訓練に取り組んでいるのだ。イスラエルもまたハルマゲドンというセカイ最終戦争の日を戦うセカイ系戦争の一部である。

それはともかく、ムジャヒディーンたちはアラブの春において民主主義の大義を手に入れた。国家の退場が常態化するグローバルな「新セカイ秩序」において、彼らアッラー・チルドレンは殉教の日を目指し、第三新ジハードをセカイに対して展開している。

結論[編集]

少女には、どこでも平和の象徴とされる傾向がある。ならば、少女という媒介を通して宗教的中立性を獲得したセカイ系の表現様式には、現実世界の宗教運動とくっつくことでまだまだ発展の余地が残っているのかもしれない。

セカイ系の主題歌[編集]

イスラム向け[編集]

オウィーカ・ワネムー作詞「残酷なセカイのテーゼ

残酷な戦士のように   ムジャヒディーンよ、ネ申言舌になれ

翡翠風が 今 脚の模様を開いても

ヒジャーブだけを ただ見つめて 微笑んでるあなた

そっと 触れるより 逃げ出すことに夢中で

神命さえ まだ知らない いたいけな瞳


だけど いつか 気づくでしょう その心中には

遥か 来世 目指すための 羽があること


残酷なセカイのテーゼ 

爆薬からやがて飛び立つ

ほとばしる 篤きパトスで

建前平和を裏切るなら

この銃を抱いて羽ばたく 

ムジャヒディーンよ、ネ申言舌になれ

キリスト教向け[編集]

もしも ふたり 逢えたことに 意味があるなら

私はそう 自由目指すためのバイブル


ずっと 眠ってる 聖母の愛のゆりかご

あなただけが 夢天使に 覚醒する朝がくる

細い 首筋を 神の精霊がうつしてる

セカイ中の 時を止めて 閉じ込めたいほど

わたしは 愛を つむぎながら 歴史を作る

英雄なんて なれないまま 女は生きる


残酷なセカイのテーゼ

隠遁ライフがそして始まる

抱きしめた命のカタチ その霊夢に目覚めたとき

誰よりも光を放つ

福音派よ、ネ申言舌になれ

脚注[編集]

  1. ^ 元から破綻した脚本であるエヴァンゲリオンでは最初の構想を無視しまくることで、延命工作に成功し続けているようだが

関連項目[編集]