セルゲイ・ラフマニノフ

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セルゲイ・ラフマニノフ について、チュートリアル

セルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフ(Сергей Васильевич Рахманинов, Sergey Vasilievich Rachmaninov)とは、20世紀ロシア作曲家である。生涯を通じて、人類が理解できる限界を超越した難度の曲を作曲し続け、これによりピアニストをマジギレさせることに心血を注いだことで、世界にその名を轟かせている。

自称ピアニストでもある[要出典]が、彼が確かに演奏したのは『猫踏んじゃった』や『メリーさんの羊』のようなごく単純な、楽曲というのもおこがましい代物ばかりであった。冗談抜きに、彼がピアノ演奏に関する実践的な知識を少しでも身につけていたのなら、彼は無茶苦茶な自身の楽曲を、もう少し解読可能なものに編曲していただろう。あるいは、作曲後の楽譜を一瞥するや否や、マジックマッシュルームに逃避していたに違いない。

目次

[編集] 生涯

ラフマニノフは生涯の大半を20世紀ロシアで過ごしていた。これが、彼の作曲が滅茶苦茶だという事実に一つの根拠を与えている。ロシアにおける3つの全ての革命を生きながらにして経験し、しかもそれで生き残ってしまうと、その人物は必ず、悪魔に取り憑かれてしまうのだ。

私は彼の人生についての“専門家気取り”ではない。しかし、私は彼の作品や、あるいは彼の人生について、できる限り深入りはしないようにしている。そうしなければ、彼が音楽と呼んでいた複雑怪奇なカオスが、たちまち私の脳を汚染してしまうからだ。

[編集] 少年期

私は決して精神科医ではない。だが、彼の音楽を少しでも聴けば、彼がいかに惨憺たる少年時代を過ごしていたかがわかる筈だ。学校ではいつも肉便器として同性の同級生たちに弄ばれ続けていたこと、そして、その頃の彼に“サタニスム”が芽生え、いつしかそれが彼を支配していたことなどを、彼の音楽は如実に示している。

彼の両親はどちらもアマチュアピアニストであり、若きセルゲイに、日々の寝食だけで精一杯の彼ら自身よりも立派になってほしいと、熱望していた。セルゲイの「作曲家になりたい」という野心を聞くや否や、両親はセルゲイが生涯のゴールを決めたと喜び、すぐさま鞭打ちによるかわいがりを開始した。

[編集] 成年期

この単調な出だしに騙されるな。次の数小節で文字通りのハルマゲドンが起こるだろう。

右の楽譜は、ドーピングコンソメスープを摂取して精神が崩壊した両親が、幼少の彼に脳内を大人のプレイスポットでいっぱいにさせて執筆させたものである。また、若きラフマニノフは、チャイコフスキーのよき乳くり相手であり続けた。二人は時々ともに活動し、信じる信じないは別として、本当のピアノ音楽を制作した。

ところが1893年、チャイコフスキーが逝去すると、若きセルゲイは精神崩壊を起こし始め、脳内に取り憑いていた悪魔がくそ真面目に活動を開始するようになった。悪魔は彼に「おまえは、人間が演奏不可能なピアノ協奏曲を、その生命が尽きるまで作り続けるのだ」と命じ、彼はそれに従ったのである。

[編集] 後半生

この頃こそ、ラフマニノフに取り憑いていた悪魔が、“負の魔法”を強力に発動させていた時である。

1897年、ラフマニノフの人生は彼の楽曲から明白なように下向きのスパイラルを描き始めた。この年、彼は最初の交響曲で作曲家としてデビューし、さらに従兄弟との結婚を企てた。

ところが、これらはいずれも悪しき結果を引き起こした。ロシアの聴衆にはこの交響曲が全く受け容れられず、「(・∀・)カエレ!!」などの痛烈な野次で会場が満たされてしまい、演奏は途中で中断させられてしまった[1]。また、ロシア正教会は、彼らの性的嗜好そのものを理由として、二人の結婚を認めなかった。

深い恐怖に陥ったラフマニノフは、数年間ウリ専ボーイになり、自己喪失を起こし、そのまま消息を絶ってしまった。

数年の失踪を経て、彼は表舞台に現れ、作曲活動を再開した。そして、「唾液のような透明さ」を自称する作品を、次々と乱発していった。

彼の最初のポピュラーな作品は『2台のピアノのための組曲第1番』であり、これは2台のピアノに同時に非対称的なフーガを演奏させるよう作曲されたものである。ひとつひとつの楽章(もどきの混沌)の間には、異様に長いTacet(休符)がランダムに置かれており、不気味にもティンパニによるソロが時折挿入される。これが、何故かロシアにおける“万国の労働者の団結のための音楽”となってしまい、より一層へ傾く国家の信頼性を消失させていく結果を招いた。

この突然の人気に目がくらんだのか、ラフマニノフのその後の作品は彼の組曲第1番の残響といってもよく、一部のクラオタ[2]以外の全ての人々を失望させたほか、ひよこ陛下がロシア音楽を嫌悪なさるきっかけを作ることにもなってしまった。

[編集] 作品

ラフマニノフはオペラから協奏曲、果てはオープニングテーマに至るまで、様々な分野の楽曲を産み出した。が、それらのうちいくつかは、互いを区別するのが困難である。更に、それらの楽曲は、その全てが、偽造されたコードから適当にかき集められた多オクターブによる全音階の音符を、ランダムに五線譜に配しただけのように見える。いや、マジで。

ハンガリー狂詩曲第3番を聴いたことがあるか[3]? ソビエトロシアでは、楽譜があなたを解析する! そして言うまでもなく演奏できない。これはどこぞの民族が嘗糞に明け暮れた結果、紙の上に嗜んだ直後の唾を156回程度吐いて、自分たちの文字で書道をするのに似ている。

[編集] 協奏曲

ほうら、言ったでしょ。

ラフマニノフは協奏曲で最も名声を得たが、これらはピアノ向けに作られたあらゆる作品の中でも最も影響を与えた腹立たしい作品群である。精神疾患の一つであるあの統合失調症をご存じか? 私は、彼の作品群こそがこの疾患の起源であるという説が主張されても、何も驚かない。私のような見解を得たいのなら、彼の協奏曲をただ聴いて、それらを演奏する憎々しさを抑えてみよう。そしてあとは動脈の脈動をただただ感じながら冷静になってみよう。信じてほしい。私自身により実証済みだ。ラフマニノフは死後にして数十年間も私を殺し続けるのだ。

ここに、協奏曲のよいサンプルがある(右図)。しかし、問題は録音が存在しないということだ。何故とでも聞くのか? すでに言っただろう。ピアノで演奏するには最も不可能な楽曲だってね。え、言ってない? 分かった分かった、あれは見解にすらなっていないな。永きにわたる楽器の歴史において、これらの協奏曲がピアノで演奏するには最も難しい楽曲であると、プロフェッショナルの音楽家たちから広く支持されているという事実を。

これらの協奏曲について解説しようとするのは、私を混沌の渦に投げ込む行為であり、その渦はまた読者をも巻き込んでしまうであろう。あの気違いじみた譜面[4]は、残念ながら、それだけの負のエネルギーを十二分に有している。私と読者の健康を損ねないために、アンサイクロペディアとしてはそのような楽曲の解説をすることはできない。いや、世界が安穏であるためには、そのようなことはしてはいけないのだ。

しかし、作曲家の記事において、楽曲解説を全くしないというのも、アンサイクロペディアの記事としては許されないことである。従って、次の節では、彼の作品のなかでも最も混沌の度合いが少ない楽曲のひとつを取り上げることとなる。

[編集] 真夜中の組曲第7番

ほとんどの彼の作品は、録音が残っていない[5]が、前述したとおり、一つだけ現存する音源がある。それは、「真夜中の組曲第7番第1楽章」という、彼の作品のなかでは短く、かつ比較的簡単な、言い換えれば稚拙な作品の一つである。演奏は、トランスシベリアンオーケストラでのキーボードにより有名な、ウクライナ人のボブ・キンケルによるものである。




ボブの演奏能力は、彼が売却または処分予定のキーボードしか持ち合わせが無くなったとき以来、大幅に抑制されたものとなっており、通常は3台のグランドピアノを必要とする。また、彼はこの録音では、この曲のバスパートしか演奏しておらず、全てのパートを演奏するためには更に2本の手が必要である。

噂によると、ラフマニノフは他に多数の手を隠し持っていたとされ(決してあり得ないことではない)これが14台のピアノを同時に弾くことを可能にしていたとされる。但し、そのことを示す公的な記録は存在しない。

[編集] 様式

ラフマニノフのスタイルは、いわゆる「専門家」によると、原理的なロシア音楽であり、かつ素晴らしい調和に溢れたものであるとされる。

調和とはとてもあいまいな言葉で、アカペラによる滑らかで愉快な調和と、ラフマニノフの『鐘』に見る調和とは、決定的な相違点が見られる。彼の協奏曲と同様に耐えられない曲としてみると、『鐘』は、私の拙い日本語で定義すると、アイフルのあのチワワがノートルダムの怪人[6]に強姦されるといったものである。同時に 両方の手で11の音符を弾く長い足指を使う必要があると言っているのではない。

ラフマニノフはロシア様式の作曲家と一般には言えるのであろうが、いわゆる「専門家」には、彼がビートルズのように、覚醒剤という粉雪でめかし込んだ演奏不可能な小品を作曲したという視点が欠落しているのだ。

[編集] 結論

例えばあなたが、「Hydeの身長は156センチメートルである」という事実や、あるいは鮫島事件の真相などをウィキペディアに投稿し、そして、専門家気取りたちとの編集合戦に見事勝利したとしよう。しかし、そのような強靭な精神力を有していたとしても、ラフマニノフの楽曲を1曲たりともまともに演奏することはできないだろう。それに挑戦することは、即ちを意味する。

ラフマニノフと、彼が作曲した楽曲は、すべて呪われている。そして、その呪いは、楽譜を通じて伝染し、どんな教会薬草でも解くことはできないのだ。

[編集] 脚注

  1. ^ これは現存する最後のセルゲイが作曲したまともな作品であるが、皮肉にもこれが批判の種を播いた。
  2. ^ ここでは、負のパワーに満ちた難解な音楽を求める余りに、正常な聴力や理解力を失ってしまい、普通の音楽を音楽として楽しむことが全くできなくなった状態の障害者のこと。
  3. ^ いやいや、あのハンガリー狂詩曲ではなくて、もう一つのあれね。
  4. ^ 1小節あたりの音符の数は、平均12個……たった2分の4拍子なのに! 何と確定的な死亡フラグだろう!
  5. ^ これらをミュージックチャート上位に食い込む演奏をすることに対する異常な難しさか、シベリアの寒さで音源が破壊されたかのどちらかである。
  6. ^ 3つの『鐘』がこの段落には含まれている。読者が、ラフマニノフの『鐘』にもこれらを見いだすことができれば幸いである。

[編集] 関連項目

江原啓之は、自身がラフマニノフの生まれ変わりであると主張している


ツンデレ ……見ての通り、この記事「 セルゲイ・ラフマニノフ 」は書きかけなわけだけど…、はぁ!?何言ってんの?勘違いしてるんじゃないわよ! べっ、別に加筆して欲しいわけじゃ無いんだから!まぁ、アンタがどうしても加筆したいって言うのなら、加筆させてあげてもいいんだけど…… (Portal:スタブ)
この記事は、en:Sergei Rachmaninoffから翻訳されたものです。
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