ターリバーン

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タリバンのシンボル。中心の丸いものは目、両方に生える短剣は男の証であり、「ボーイスカウト」を表しているとされる。

ターリバーン(漢字表記:塔利班パシュトゥン語表記:طالبان - 「生徒」の意)とは、アフガニスタンを拠点に活動する、破壊原理主義の青年団体(ボーイスカウト)である。

人生を「人間の善悪を定めるテストである」「文化は権力の犬」という風に考える思想を持っており、人々にテストの辛さを伝えるために熱心に活動している。

たまに人を殺してしまったりすることがあってたびたびニュースで報じられるので、田舎の消防でも、「美しい国」と並んで知っている唯一の海外情報とされたりする。

歴史[編集]

結成[編集]

タリバンは元々、外交官などの子供が通うカブール国立医科小学校に通っていた、あまりにも政治について興味を持ちすぎた小学生が集まって、回教暦1369年(西暦1990年)に結成したグループであった。彼らの大半は幼稚園時代を外国で暮らし、アフガニスタンという国の血を持っているだけで苛められていたため、人生の辛苦がどのようなものなのか、そしてそれが結果的にどのようなことを導くだろうかについて深く考えすぎていた。彼らはその後の出会いを通して、「辛さはやがて楽しさに変わるのだ」と強く意識するようになり、愛する祖国にその教えを導いてあげようと深く決心した。

楽しそうに集団登校するタリバンの小学生たち。

カブール併合[編集]

その頃のアフガニスタンでは、さまざまな娯楽が流行していた。タリバンはこれに耐えきれず、回教暦1373年(西暦1994年)に首都カブールを併合。この時の世界は、世界分割ゲームの終結とソビエト連邦の死滅で歓喜に沸いており、アフガニスタンの状況など知る由もなかった。そのため、この間カブールの青年団体がどのような活動を行ったのかは今もって不明である。

よく「犯罪者の公開処刑が行われた」「女性が生き埋めにされた」「バーミヤンの仏像を爆破した」といった噂が流れているが、よく考えてほしい。数十人の小学生の集まりに、一国を混乱に陥れるような作業ができるであろうか。バーミヤンの仏像は、アフガン航空相撲の大関によって破壊されたオスマン=トルコの力士像であり、タリバンは一切関与していない。存在すら知らなかったと思われる。

思春期を通して[編集]

AK47エレキギターは数あるタリバンのシンボルの一つ。この写真はポーズを決めるカンダハール・ボーイズ。

タリバンのメンバーであった小学生たちにも、数年たって思春期が訪れるようになり、みな政治よりも別の話題に関心を持つようになっていった。特に顕著だったのは、音楽への関心である。多くのメンバーは独自のバンドを結成した。彼らの究極の目標は、アフガニスタンの超一流ロックバンドアルカイダとのコラボレーションである。彼らのド派手なライブに心を惹かれたタリバンのメンバーたちは、アジアを中心に、インド韓国中華ソビエトなどでひっぱりだことなり、毎週のように豪華なライブが人々の心を吹き飛ばした。時には世界各地を回るツアーも開催し、熱狂ファンが各地から発生。

思春期を通して、タリバンというボーイスカウトは原型をとどめないほどに進化していくこととなった。

美国同時多発テロ事件[編集]

音楽の楽しさとライブの激しさに酔いしれていたタリバンに、ある時一人の男が現れる。

彼の名は、ムハンマド・オマル。彼はタリバンの中でもっとも将来性の期待されていた、「東洋のジョン・レノン」とまで言われた人物である。彼は、あるライブが失敗した日の夜、タリバンが生まれた原点に立ち返ってみたという。彼はその日、タリバンが人生の楽しさではなく、人生の苦しみを伝えるための唯一の組織であることに気付いたのである。それに気付いたオマルは、音楽という世俗的な行為を楽しんでいた自分や仲間たちに身震いし、落胆し、反省した。

それでも反省しきれないと考えた彼は、ある日自殺を考える。彼は自分と音楽を引き離しきれなかったが、タリバンの教えに背くことにも耐えきれなかった。そんなギャップに悩む自分を「生きている価値がない」として彼は自殺を決めたのである。彼は自殺をすることによって罪を償うと同時に、最後に開催が決まっていた美しい国でのライブを実行しようと決めた。そして行われたのが、回教暦1380年(西暦2001年9月11日美国同時多発テロ事件である。なぜテロ事件なのかといえば、言うまでもなく、世界のヒーローオマルの死が決まったからなのである。

彼はライブを行うことを事前に大統領へ通知していなかった。しかし、彼との出会いを待ちきれない大ファンがいたことは知っていたため、抽籤で「オマルに会えるなら死んでも構わない」というような数十人の熱狂ファンを選び、飛行機に同乗してもらうことを決めた。そして、彼と、もう一人ただ単に自殺がしたかったアルカイダのロックスター、ブルハーヌッディーン・ラッバーニーとともにニューヨークで前代未聞の規模のライブを開催。ニューヨーク市民は一時あまりの嬉しさに涙するほどであったが、数時間後にそれがオマルの自殺であったことが発覚し、怒りに燃え上がった。

誰よりも真っ先にブチ切れたのは誰であろう、かのジョージ・ブッシュ美国総統である。彼はその日、ライブの情報を入手できていなかっため、小学校でタリバンの凄さについて解説していた。その後、幹部からニューヨークで盛大なライブが自分が知らないうちに行われていたと聞き、少し不愉快な気持ちになったという。しかし、その後のオマルの死を知り、「なぜ食い止めなかったのか」としてタリバンを攻撃した。これは俗にアフガニスタン侵攻と言われている。アフガニスタン侵攻が多くの美国民に支持され、ジョージ・ブッシュの支持率を大きく上げた要因には、このようなエピソードがあったためである。

アフガニスタン侵攻とイラク戦争[編集]

ジョージ・ブッシュは、怒り狂い、オマルの死を一種の嫉みによって起こされた陰謀ではないかという仮説を立てた。これを俗に9・11同時多発テロ陰謀説(9.11 conspiracy)という。これによってターゲットにされたのは、オサマ・ビン・ラディンというサウジアラビア人と、サダム・フセインというイラク人の二人である。

ビン・ラディンは周知の通りブッシュの旧友であったが、やはり自分の師を殺した罪は大きいという理由でアフガニスタン侵攻のさいにイージス艦からのミサイル連発で殺害を図った。ただし、ビン・ラディンは死が確認されていない。サダム・フセインは、父ブッシュが湾岸戦争で殺し損ねたという裏の理由があったが、表ではフセインが自分のイラクでの熱心なプロモーションにも関わらずアメリカが関心を寄せてくれないためにオサマを殺したという風に述べている。なお、フセインがアルカイダと関係を持っていなかったと言われるのはこのためである。フセインは、回教暦1385年(西暦2006年)の暮れに処刑された。

タリバンウリスト教団拉致事件[編集]

回教暦1386年(西暦2007年)、タリバンが韓国ウリスト教布教団を拉致する事件が起きた。この事件の概要は以下の通りである。

ウリスト教団は世界各地での活発な布教活動で名が知られている。しかし、彼らにも達成すべきノルマというものはあり、韓国の大韓金教長老会はそれを短期間で達成しようと、秘密裏に「ウリスト教射線爆弾」という布教用兵器を開発していた。ウリスト教射線爆弾とは、線香花火にも満たない爆破威力しか持たない代わりに、半径2000km以内のエリアに大量のウリスト教射能をばらまく。その放射線を浴びた人間は自動的にウリスト教に改宗してしまうのである。

彼らは、それを回教暦1386年8月に、アフガニスタンというウリスト教人口の少ない国で爆破させようと計画し、カブールに師団を派遣する。そこで、警備の薄いであろう小学校の、女子トイレに爆弾を設置することを決めた。彼らはカブールに着いた後、すぐさまテキトーに学校を選び、その学校の東校舎2階女子トイレの洗面台に爆弾を置いておいたという。しかし、幸か不幸か、彼らが選んだ学校はタリバンの本拠地であるカブール医科小学校であった。すぐさま外国人の不法潜入を発覚したタリバンは、彼らをカブール韓国大使館の地下サウナに監禁した。サウナに監禁された者の中には、爆弾の爆破する瞬間を盛大にテレビ中継しようとしていた韓国の放送局のグループも交じっていたため、彼らの情報はすぐに世界中に流された。

この事件に関しては、タリバンに対する様々な批判の声が出された。第一に、例えウリスト教徒であってもサウナはあんまりだ、とするものがある。これは、アフガニスタン人がサウナを嫌う傾向にあり、サウナ産業はまったく儲かっていないこと、そのため首都であってもサウナの設備は四川州の公共トイレより悪辣であることなどが理由として挙げられた。第二としては、なぜそのままウリスト教徒を全員殺さなかったのか、という意見である。

これらの批判に対しタリバン側は、「ウリスト教の方々に人生の苦しみをサウナで丁寧に教えることができるだけで、私たちは十分光栄である」と寛容な態度で臨んでいる。

現在[編集]

現在、タリバンはアメリカ軍の監視下にあるアフガニスタンにおいて、政府の許可の元で「人生の苦しみ」を人々に伝え続けている。もちろん、ロックバンドを組もうとする残党的な者もいるが、近年その勢力は弱まりつつある。

回教暦1386年(西暦2007年)に、パキスタン北部でタリバンに類似した勢力が活動を始めているというレポートが提出された。これは、パキスタンが核兵器保有国であるため、あまりにも壮絶なライブが行われてしまいかねないとして、アメリカ政府はこれを「テロ組織」として隠ぺいしている。これは、近年流行りつつあるアメリカのロックバンドジョナス・ブラザーズの脅威を取り除き、アメリカの音楽業界を守るための一貫として行われている。また、回教暦1388年(西暦2009年)より大統領に就任したバラック・オバマさんは、パキスタン軍にも警備を要請、アフガニスタンに駐留する美軍の増派を行うことで、タリバンが必要以上に歩むべき道を脱線してしまわないよう監視することを決めた(ワシントン宣言)。

回教暦1388年に、タリバンが金王国と関係を持っているというデマが流れたが、これは完璧な情報操作の一貫であると国際連合安全保障理事会は宣言している。この宣言は、歴史的に見ても珍しい、厳格で、過激で、破壊的な組織であるタリバンが、「将軍様マンセー」の野蛮な金王国の手先にはなるはずがないという結論の元で出されている(ピョンヤン宣言)。

回教暦1388年9月22日、日本鳩山由紀夫首相が、ニューヨークで行われた英ブラウン首相と会談の中で、「(インド洋で実施中の自衛隊給油活動に代わる日本のアフガンニスタン支援として、)タリバーン兵士の社会復帰のための職業訓練も考えられる」と語った。タリバン上層部でもその真意を読みきれず、現在審議中となっている。

関連項目[編集]

Wikipedia
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タリバンとホワイトハウス
タリバン型政治運動