チャペル

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チャペルとはキリスト教における空間様式の一種である。

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目次

[編集] 概要

チャペルはキリスト教において重要な意味を持つ空間である。その空間はキリスト教の信徒が気持ちを落ち着かせたり、信徒たちが結束を強めたりするために重要である。

[編集] チャペルの設備

ここで、チャペルに必要な設備について触れていこう。これが揃っていない空間はチャペルではない。

まず、人を収容できるだけの広いスペースが必要となる。少なくとも小学校の教室くらいのスペースは欲しいところである。座敷牢や独房並のサイズでお祈りや説法はまずできないだろう。確かにできなくは無いのだろうが、こういったことをする場合はかなりの大人数が一所にあつまることとなる。大量の人間をそれこそ鮨詰めにしたら倒れる人や気分を悪くする方が間違いなく現れるだろう。

次に椅子とテーブルが必要である。大学やホールで使われている長机とベンチが欲しい。だだっ広い空間が広がっているだけのチャペルもあろうが、基本的には着席する場所が欲しいところである。お祈りは立ってすることもあろうが、公演や説法は座って聞くべきである。もしつまらない説法を聞かされてうたた寝してしまう場合、椅子がないと転倒する恐れがある。

最後にキリスト教っぽさを演出するアイテムを配置する必要がある。これらのアイテムは礼拝に来た人たちの信仰心を煽る効果がある。このアイテムを配置することでキリスト教を信仰していてよかったと思わせるのだ。一例を示す。

イエス・キリストマリアといったキリスト教の偉人、象徴となっている者を像として配置する。お祈りの際にはその像を向いて祈ればよい。そのため、キリスト教初心者や信仰のない者でも祈りをささげやすい。ただ、キリストについて凄まじい妄想をしている信徒もいる。その妄想と、像のイメージが乖離している場合、ショックを受けることとなる。
これも信仰心を煽るのに重要である。オルガンは空気を送り続ける限り音を鳴らす楽器であるため、長時間音を鳴らし続けることで、聴衆を無理やり信仰の中に引き込むことができる。
  • 装飾
チャペル内に派手な装飾を施す。これにより、キリスト教には権威があり、信仰に入ることが偉大であることを示すことになる。

[編集] チャペルで行うこと

ここでは、チャペルで行われることについて述べる。

  • 説法
牧師がキリスト教についての講義、説法を聞かせてくれる。信徒にとっては憶えなければならない事柄であり、かつありがたい法話である。だが、展開される内容は基本的に同じである。何故なら、示される出典は基本的に聖書しかないからである。時として聖書以外の出典によって講義が行われることがあるが、その書籍も基本的に聖書が拠り所なため、同じような内容になる。キリストがどこかへ行ったり捕まったり、殺されたり生き返ったり、SMプレイを受けたりの繰り返しで興味のない人は確実に眠りに落ちる。
チャペルに来ている人たちで聖歌を歌う。歌詞に登場するのはイエスと信徒である。ただそれだけである。その上でイエスがいかに尊いかを歌う事になる。その上で全員が起立して歌うため、確実に倒れる人が出ることとなる。
結婚式の儀式の一切はチャペルで行われる。基本的に行うことは「愛を誓うこと」である。これについては後述する。

[編集] 日本におけるチャペル

日本における状況について見ていこう。ズバリ日本人にとってチャペルとは結婚式を行うための素敵な施設という認識しかない。何故なら「ウェディングドレスが素敵に見えるから」である。

欧米では、結婚式においてウェディングドレスを着用する。結婚式を主催することにより、充実した人生を演出したいと考えているリア充たちにとってウェディングドレスとは、式を演出する究極のアイテムに映るのである。だが、ただ単にウェディングドレスを着用しただけでは全く雰囲気が演出されなかった。ウェディングドレスは元々キリスト教圏の衣装である。日本にいる限り、長崎にでも行かない限りキリスト教っぽい町並みは期待できない。無機質な道路と電線電柱が犇く華やかさのかけらもない町並みが広がるのである。そんなところでウェディングドレスを着用しても不自然である。空気が読めていないと感じることもある。やはりウェディングドレスを着用するのであれば、それに相応しい舞台を整えなければ雰囲気が出ない。そこでチャペルの出番となる。

日本のチャペルはほぼこの目的にのみ特化した作りとなっている。そのため、海外のチャペルと比べ、以下のような違いがある。

  • 牧師が常駐していない。
牧師は結婚式が開かれたときだけ余所の教会から呼ばれてやってくる。場合によっては海外からやってくる。そのため、お祈りしに来ても誰も対応できない。結婚式以外の儀式もできない。当然洗礼も施せない。
  • 聖書、聖歌が置かれていない。
結婚式で出席者が聖書を朗読する必要はない。というより、誰も聖書の内容を理解できない。一応牧師用の聖書はある。が、牧師がそれを読むことはまずない。同様に聖歌を歌うこともない。誰一人としてやはり意味を理解できないであろう。

これにより、日本におけるチャペルは結婚式が行われ、ウェディングドレスで武装した新婦が自分が思う最高のシナリオで出席者に自分の優位性を証明する場所となっているのである。出席する人はそれぞれに感動したり、妬んだりする。主や父や神といった存在のことなど頭の片隅にも無く、出席者のエゴが渦巻いている。

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