トライクタスロン

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

トライクタスロン(trictathron、三百種競技)とは、300種類の陸上競技を連続して行い、その結果を競う究極の鉄人競技のことである。全てのエクストリームスポーツの上を行くスーパーエクストリームスポーツとも呼ばれている。

目次

[編集] 歴史

由来はある陸上自衛隊の空挺隊員の他愛もない会話だったと言われている。

隊員1: 世界でいっちゃん過酷な競技つったらトライアスロンだべ? でもよ、見た感じまだまだ行けっぺよ。
隊員2: そだなぁ、いっぺんに300種くれえやっちまうべ。

この無責任な会話をきっかけとして、1998年、「トライアスロン誕生20周年」にこじつけてトライクタスロン第1回大会が日本で開催された。

この競技は途中休憩は無く何日にもまたがって延々と行われる。不眠不休で戦い続けるアスリートたちの姿は世界中の人々に感動を与えている。当然、熱心なファンは自分たちも不眠不休で応援し続ける。審判団もずっと不眠不休であるため、開催者にとってもエクストリームスポーツであると言える。20世紀末に始まったこの競技はまだ歴史も浅く、まさに21世紀と共に成長する競技であり、それだけに今後の期待が大きい。

なお、件の会話をした二人の隊員は、意味不明な競技を生み出してしまったことから自責の念に苛まれ、一人は自殺、もう一人はノイローゼで除隊後に実家の煙草店を引き継ぎつつ養蜂に精を出して細々と生きているそうである。

[編集] 歴代大会

第1回大会(1998年)は日本岐阜県で開催。約86,000人の参加者を集め、お祭りムードで開催された。その中には有名アスリートも顔を並べ、まさに陸上競技の祭典と言うべきものだった。

競技開始直後から脱落者が相次ぎ、20番目の種目である「ロデオ」の時点で2,500人にまで減少していたが、大会主催者は「想定の範囲です」と言って競技を続行した。しかし、81番目の種目「うさぎ跳び」で最後まで頑張っていたドイツのヨハン・シュミット選手が突然の精神錯乱を起こして審判に殴りかかり、失格となったことで競技は終了した。自己申告によるリタイア約64,000人、重軽傷者約12,000人、死者約6,000人、行方不明者約7,000人という、まずまずの結果であった。計算があわないという指摘は誰も相手にしていない。

この大会の最高齢参加者はジャッキー・チェン選手で、彼は最初のフルマラソンの1.2㎞地点でリタイアしたにもかかわらず、「年寄りの冷や水で賞」だけはちゃっかり持ち帰った。

第2回大会(1999年)の起点はモンゴルのウランバートルであったが、アンゴルモアの大王がモンゴルに降り立つというが広まり、これを恐れた参加者が次々と参加を棄権して競技は成立しなかった。ただしジャッキー・チェン選手は「やっぱり年の功で賞」だけ持ち帰った。

第3回大会(2000年)はフランスのベローナが起点であったが、2000年問題を言い訳にサボった参加者が多く、集まったのはわずか500人という寂しさであった。またこの大会から、フルマラソンが廃止され、かわりにダブルマラソン(84.390㎞)が導入されたために参加者が意気消沈し、55番目の競技エクストリーム・草むしりまでに全員がリタイアした。重軽傷者102人、死者13人、行方不明者5人という結果も不評であったのも確かであり、成功した大会とは言えなかった。ジャッキー・チェン選手は「まだまだ年寄りとは言わせないで賞」だけ持ち帰った。

大会終了後、西暦ではなく皇紀を使っている日本で開催すれば2000年問題は起きなかったのでは? との声が上がったが、日本の主催者は「第1回大会で大変だったんで、二度と主催したくない」と強固に反対したと言う。

第4回大会(2001年)は、主催国であったアメリカがオサマ・ビン・ラディンとのエクストリーム・かくれんぼに夢中で、開催するのを忘れたために中止となった。

第5回大会(2002年)はスイスのアクラが起点となった。3度に渡る中止や実質的不成立で本格的開催を待ち望んでいた人も多く、過去最大の96,000人を集めた。土地柄、ダブルマラソン後に雪山の「登山」、続けて「遭難」へと競技が進むことになったが、この「遭難」から生還できた者が一人もおらず、わずか3種目で終了となった。この大会は自主リタイアが43,000人、ドクターストップが17,000人、死者と行方不明者が36,000人と、なかなか派手な結果を残している。ジャッキー・チェン選手は、最初のダブルマラソンでリタイアしていたために事なきを得、「若い者には負けやしないで賞」だけ持ち帰った。

第6回大会(2003年)はサウジアラビアのラスアルカジで開催された。前回の失敗を踏まえ、競技は現地の夏に行われた。しかし今度は暑さのためにリタイアが続出した上、20番目の「砂漠ゴルフ」で流砂に呑まれる参加者が後を絶たず、この時点までに75,000人から3,000人に減っていた。また、途中で参加者31人と審判4人が白昼堂々、人々の目の前で目に見えない魔物に貪り食われて別次元へと消えて行くというちょっとしたアクシデントもあり、有力と見られたブラジルのホセ・モレノ選手が脱落した。そんな中、トップ争いは接戦を続けたが、71番目の「我慢比べ」でキムチ鍋を完食できたのが韓国のキム・ミャンギョンとインドのヴァージペーイーだけであり、優勝はこの2人に絞られた。

しかしその後、107番目の「水泳」でペルシャ湾を泳いでいる最中、イラク戦争のために展開していた米軍テロリストと勘違いして、2人を射殺するという痛ましい事故が起き、ここで競技は終了した。競技後、米軍は「ちゃんと freeeeeze! と言ったのに……」と言い訳した。ジャッキー・チェン選手は「墓場まで頑張れるで賞」だけ持ち帰った。

第7回大会(2004年)は、やはり夏は危険だということで、再び冬に競技が開催された。起点はロシアのダゲスタンからウクライナのルーツクまでの2ヶ国共同開催であった。途中ロシア国内で、給水のために地元小学校に入った参加者がテロリストの小学校襲撃に巻き込まれて約7,000人が死亡するというアクシデントがあったが、その後は順調に進んだ。接戦が続く中、65番目の「かけこみ乗車」で地元の強みを見せたロシアのミハイル・ボゴダビッチがトップに躍り出る。僅差で2位につけていたケニアのケレルは寒さに悩まされ、141番目の「氷柱抱き」で凍死してボゴダビッチが1位独走となった。しかしその後、171番目の「エクストリーム・掃除」を原子力発電所跡で行っている最中に気分が悪くなってリタイア、他に競技を続行している者がいないために終了し、ジャッキー・チェン選手は「伊達に歳食ってないで賞」だけ持ち帰った。

なお、ミハイル・ボゴダビッチは、2週間後に放射線障害で亡くなった。

第8回大会(2005年)はパキスタンインドミャンマーインドネシアの4ヶ国での共同開催となった。途中、31番目の「ピンポンダッシュ」でオサマ・ビン・ラディン宅の呼び鈴を鳴らしてしまい、10,000人ほどの参加者がアル・カイダ兵に射殺されるというアクシデントもあったが、穏やかな気候も手伝って競技は順調に進んだ。初の完走者が期待されたものの、ゴール目前の290番目にスマトラ島の海岸で行われた「西瓜割り」の最中、突然の津波に参加者と審判団全員が流されて競技は終了した。参加者58,000人のうち、死者および行方不明者37,000人という、まさにサバイバルレースであった。途中リタイアしていたジャッキー・チェン選手は難を逃れ、「棺桶担いででも走るで賞」だけ持ち帰った。

第9回大会(2006年)は南アフリカ共和国で行われたが、参加者のうち白人と日本人しか入国できず、スタートラインについたのは、予定していた88,000人のうち、わずか3,000人あまりであった。競技は87番目の「金鉱跡探検」で、有力選手が次々と行方不明になる中、暗くて狭いところが好きな日本人の強みを生かした田中一郎が独走態勢に入るも、161番目の「借り物競走」でヨハネスブルクに入った参加者と審判団が全員行方不明となり、この年も完走者が出なかった。ジャッキー・チェン選手は「そろそろ引退と言われているで賞」だけ持ち帰った。

第10回大会(2007年)は北朝鮮で開催されることとなった。直前まで国際情勢が不安定で、開催が危ぶまれたが、我らの敬愛する偉大なる将軍様の「万難を排してでも競技を見たい」との要望と、「自国民を北朝鮮に送り込め!」とのブッシュ大統領の思惑が一致、「たかが馬鹿競技じゃん」と冷ややかな態度を選んだ日本を無視して、国際関係を改善し、無事開催されることとなった。なお、開催の3日前に突如、一部の参加者が参加を拒否されて問題となった。この決定に対し、参加拒否を受けた人々が「我々拉致連を何だと思っている! 日本政府は今すぐ北朝鮮に経済制裁を加えろ!」との声明を出したが、誰も相手にしなかったので、騒ぎはすぐに収まった。この騒ぎの結果、参加者は若干減って7,300人弱となった。

今回の大会は、1番目の「マスゲーム」の成績順にスタートするという趣向であった。見苦しすぎるとの理由で、南北アメリカ出身選手の大半である1,200人ほどが、朝鮮人民軍に逮捕され、そのまま帰国しないという予想外のアクシデントがあったが、まったく順調な滑り出しであった。17番目の「トリプルマラソン」では、ゴール直前までに脱落した者が500人程度で参加者の馴れも伺えたが、お忍びでこっそり観戦していた金同志の前で、敬礼しなかった1,500人ほどが射殺され、例年通りの盛り上がりを見せた。31番目の「DMZ横断」までに1,800人もの参加者が競技を続け、初の完走者が期待されたが、先頭集団がDMZに入った瞬間に韓国軍が発砲、北朝鮮側がそれに応戦し流れ弾で集団のほとんどが射殺された上、残った選手も地雷に触れて次々と脱落したために、急遽この競技は中止され、最終日までに何か一つ追加することで決定された。

97番目のエクストリーム・うさぎ跳びが始まって2時間ほどが経過したころ、本来なら参加できないはずの選手が紛れ込んでいることが判明。主催者がコース上に何枚かの人物の写真を配置した結果、11名の日本人が写真を踏むことができずに人民兵に連行された。なお、写真を踏み越えた選手たちは一様に「あれは誰ですか? 全然知らない人でした。ところで日本と北朝鮮はどうしてここまで揉めているのですか?」と答えている。

競技は213番目まで続いても、70名が残っており、完走の期待はますます強まったが、続く「銅像倒し」で不遜にも将軍様の銅像に手をかけたため、全員射殺され、競技はついに終了した。そのため、最終競技を「エクストリーム・帰宅」にするか「クーデター」にするかで最後まで揉めていた、アメリカと北朝鮮の喧嘩は収まることとなった。ジャッキー・チェン選手は、「マスゲーム」で難なくトップ通過したが、2番目「エクストリーム・草むしり」において、「アクロバティックぎっくり腰」を披露してリタイア。「体力というより気力で賞」だけ持ち帰った。

[編集] 第11回大会の展望

2008年の第11回大会パキスタンの予定であるが、今度は国内情勢の悪化からまたもや開催が危ぶまれている。2年連続の不安な状況に大会開催委員会には批判が集中するようなことは無くみな楽観的な状況である。やはり心配のしすぎではないか。

[編集] 予定されている競技(一部)

この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。
あとは適当に頑張ってください。(Portal:スタブ)

[編集] 賞金、賞品

優勝者には「びっくりするようなもの」が与えられると言うが、実際に優勝した人がいないため、その正体はわかっていない。「ナウル共和国の国籍」との噂もある。また、「大統領に立候補する権利」との噂もあり、参加予定者は身の危険を感じるとともにますます意気消沈している。

[編集] 名言集

「素晴らしい競技だ。何が素晴らしいって、こんなものを本当にやっちまう■■■■がいるってことだ」
~ トライクタスロン について、オスカー・ワイルド
「何という困難、何という試練、これこそ21世紀のアメリカンドリームだ!」
~ トライクタスロン について、A.シュワルツェネッガー
「多けりゃいいってもんじゃねーだろっ!!」
~ トライクタスロン について、ローマ教皇
「なぜこの競技に参加するのかって? 正直、僕にも意味不明なんだ」
~ トライクタスロン について、田中一郎
「うわ、こいつらほんとにやってるよ、馬鹿じゃねーの!?」
~ トライクタスロン について、第1回大会の観戦者の一人
「また来るかって? 来るわけないじゃん、馬鹿馬鹿しい」
~ トライクタスロン について、リタイアしたある参加者の言
「いやぁ、まったく、何というか、これこそまさに史上最強、空前絶後の時間の無駄でしたね」
~ トライクタスロン について、中継放送後、古舘伊知郎
「苦しみに耐えてよく頑張ったっ! 感動したっ!」
~ トライクタスロン について、小泉元首相
「いえ、時にはこのようなお祭りが必要だと思います、私は。美しい汗が国を作ると信じていますから」
~ トライクタスロン について、安倍元首相
「まあ、せいぜい頑張ってください。せいぜいね。」
~ 参加選手たち について、福田首相
「私は自分自身がこういう遊びにつき合うつもりはないんです、あなたとは違うんです
~ トライクタスロン について、福田首相
「確かに多くの人の目には馬鹿げた競技に見えるだろう。事故で命を落とす選手までいるという。確かに過酷で熾烈な競技ではあるが、なぁにかえって免疫がつく」
~ トライクタスロン について、朝日新聞社説より
「来なきゃよかった」
~ トライクタスロン について、田中三十郎(田中一郎の弟)
「ハイル・ヒットラー!! 今や私は最初の兵士として民衆の先頭に立つ」
~ チェコ併合 について、アドルフ・ヒトラー
「仔猫の引き取り手を探しています。オレンジ色をした可愛い仔猫4匹です」
~ 我が家の猫 について、メアリー・ワトソン
「ハハキトクスグカエレ」
~ 音信不通の三郎 について、チチ
「G-13型トラクター買いたし」
~ マフムード・アフマディーネジャード について、ジョージ・W・ブッシュ

[編集] 関連項目