ノートン一世

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ノートン一世(ジョシュア・ノートン)とはアメリカ合衆国の皇帝である。人類史上最良の皇帝と名高く、1859年から21年間にわたるアメリカ統治はアメリカ最良の時代と現代でも高く評価されている。

正式な称号は「合衆国皇帝にしてメキシコの庇護者ノートン1世」である。

目次

[編集] ノートン一世の偉業

[編集] 暴徒鎮圧

サンフランシスコでは1860年代から70年代にかけて中国系住民に対する白人市民のリンチや暴行が相次いでいた。背景として、当時低賃金で働く中国系住民に仕事を取られる事への不満が市民の中に燻っていたのである。

暴動を起こし中国系住民を虐殺しようとしていた白人たちの間に立った皇帝陛下は頭を垂れ、何度も主の祈りを口ずさんだ、それを聞いた暴徒たちは自分たちの行いを恥じて解散してしまった。

歴史上、銃弾と暴力で暴動を鎮圧した皇帝は腐るほど居るが、暴徒に頭を下げ、祈をもって、1人の死者も出さずに鎮圧した皇帝は人類史上唯一である。まさにイエス・キリストのごとき偉業であった。

[編集] 警官アーマンド・バービアによる大逆罪

1867年、アーマンド・バービアという警官が皇帝陛下を精神異常者と決めつけ、精神病院に放り込もうとした。

この話を聞いた臣民は怒り狂い警察署へ押しかけた、警察署長パトリック・クロウリーはすぐに皇帝陛下に謝ったが、民衆の怒りは収まらず、大逆罪はフランス式に馬で四方に引っ張って八つ裂きにするか、イギリス式にバラバラに切り刻んで内臓えぐり出しの刑にするかで民衆の意見は紛糾した。

しかし、皇帝陛下は寛大にもこの若い警官バービアによる大逆罪に特赦を下した。古代から現代にいたるまで皇帝を精神異常者扱いして無罪放免された国はノートン一世が統治するアメリカだけである。

[編集] 質素な生活

ノートン王朝の税金は大変に安かった。

本当は大金持ちだが貧民に対する同情の念から貧しさを装っていたと伝えられていたが、本当に質素な生活をしていた。ここまで質素な生活をした皇帝は人類史上唯一である。

[編集] 帝国発行債権

ノートン一世は帝国発行債権という国債を発行した。これはサンフランシスコの銀行で使用でき、券面は皇帝のサイン入りという立派なもので、皇帝のために地元の印刷会社が無償で印刷していた。この国債は額面50セントだが、現在では1,000ドル以上で取引されている。

価値が2,000倍以上にもなった希有な国債である。

[編集] 人々の尊敬

ノートン一世は自分を尊敬するように宣伝したり洗脳するようなことは一切しなかったにも拘わらず、多くの臣民から尊敬されていた。

サン・フランシスコの音楽堂と劇場では、皇帝が二匹のお供の雑種犬ラザルスとブマーを連れて貴賓席に現れるまで幕を開けることはなかった。皇帝の来臨がアナウンスされると観客の全員が起立して皇帝を迎えた。

セントラルパシフィック鉄道は食堂車で食事をした皇帝に支払いを請求したために不興を買い、客が1人も来なくなってしまった。驚いた鉄道会社は皇帝に金色の終身無料パスを奉呈して謝罪した。

1863年、皇帝陛下の飼い犬のラザルスが消防車に轢かれて死んだ時に命令されていないのに、自主的に当局によって服喪期間が設定された。もう一匹の飼い犬のブマーが死んだ時、当時最も人気のある作家であったマーク・トウェインは自分から無償で墓碑銘を作詞した、その詞とは「年月を重ね、名誉を重ね、病を重ね、そしてシラミを重ねた」というものであった。

[編集] 崩御

1880年1月8日の晩、皇帝ノートン1世は科学アカデミーでの講演に向かう途中で倒れた。

警官が大急ぎで一台の馬車に救援を要請し、皇帝を病院に運んだが、馬車が病院に着く前に皇帝は息を引き取った。

翌日サンフランシスコ・クロニクル紙は「王は逝けり」という見出しで一面に追悼文を載せた。

ニューヨーク・タイムスには以下のような追悼記事が掲載された。

ノートン一世は誰も殺さず、
誰からも奪わず、
誰も追放しなかった。
皇帝の称号を持つ人物で、彼に勝る者は1人もいない。

その葬儀では全ての階層の人々が皇帝に敬意を表した。

資本家から貧民まで、商店主から泥棒まで、身なりのよいご婦人から卑しい出自だと見た目でわかる者たちまで誰もが皇帝との別れを惜しんだと伝えられている。

記録では3万の人々がが墓地に運ばれた時に垣をなし、棺に続く葬列は2マイルに及んだと言われている。

残念なことに、ノートン一世には子供がいなかった、帝位を継ぐ者がおらず、皇帝の死後のアメリカは民主主義という名の拝金主義格差社会へと堕落していくことになった。もしも、ノートン王朝が今日まで続いていたなら、アメリカのいろいろと大変なことは起こらなかったかもしれない。

現代でもアメリカ最良の時代だったノートン王朝時代を懐かしむ人々は多く、首都だったサンフランシスコでは毎年、追悼式典が営まれている。

[編集] 関連項目

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