ハヤシライス

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ハヤシライス。それは、ハッシュドビーフライスの運命的な出会い。それはアンパンにおけるあんこパンのように、絶妙の、まさに革命的なコンビである。

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ハヤシライス誕生秘話[編集]

別々の国の全く異なる食べ物が、あるときふと出会い、惹かれあい、そして一つになる。そんな奇跡としか言いようのない素晴らしい出来事が、実際に起きたのである。以下にその詳細を述べていきたい。

ハッシュドビーフの起源[編集]

16世紀のはじめにロシアで活躍した大商人ストロガノフによって作られたのがハッシュドビーフの起源とされるが、この時は所詮、料理が趣味のオヤジが暇にかまけて作った牛肉のごった煮に過ぎなかった。これではのちに単独で「ビーフストロガノフ」となり、世界有数の多様性を持つロシア料理の代表格たりえた所以としてはあまりに弱いとして長らく疑問視されていたが、今日では、1954年に発表されたとある記録により、これは比較的新しい料理であることが明らかになっている。以下、記録の該当部分の抜粋である。

われらが同士スターリンはこの日、さる外国の要人との会談を兼ねた昼食に臨まれた。2,3のやり取りの後、不意に相手側の発言のロシア語訳が聞こえてこなくなったので、同士はそちらを見やり、口に突っ込んだビフテキを必死に飲み下そうとしている同時通訳者に向かい、微笑んで次のように言われた。

「おや、君はここへ飯を食いに来たのかね?」

かくしてここに史上最高の肉料理が完成した。


これが正式なハッシュドビーフの起源であり、この通りのものがソ連共産党内で好んで食べられていた。材料を切り分ける段階で苦労はしたものの、何しろ材料は毎日のように提供されたため、豊富にあったのだ。しかし後年クロイツフェルト・ヤコブ病の存在が明らかになると、いくら旨いとはいえ安全に食べるために改良する必要に迫られた。そして幾多の試行錯誤の末、やむを得ず肉の種類を変えるなどして、現在ビーフストロガノフとして食べられているものが完成したのだが、この料理の詳細についてはこの項を参照されたい。

ビッグアイディア![編集]

所変わってここは日本。駆け出しの料理研究家林さんは悩んでいた。何とかこの料理を美味しく食べる方法はないものか、と。この料理、とはもちろんハッシュドビーフである。彼女の料理の一番の理解者であるが、これだけは駄目だ、とつき返してきた、本物のハッシュドビーフである。の種類を変えれば美味しく食べてくれたものの、それをハッシュドビーフと認めることは、彼女のプライドが許さなかった。彼女はあくまで本格にこだわりたいのである。この肉でなきゃ駄目なのである。夫がいつも「舌先がピリッとして美味しい」と誉めてくれるカレーだって、インドに行けば笑われてしまうような、日本人のやわな味覚にあわせて作ったゲテモノだということを承知で、いやいや作っているというのに。せめて彼女流のスパイスを隠し味として入れることでやっと我慢しているというのに。これだけは、このハッシュドビーフだけは、けっして妥協せずに、自分が納得いくものとして発表したかった。

行き詰った林さんは、彼女の敬愛する日本随一のグルメである佐川さんに協力を仰いだ。佐川さんはフランスパリに留学し、そこで食通の道を極めて帰ってきた人であった。彼は林さんのハッシュドビーフを人さじにするや「実にまろやかな、そう、あの味だ。最高だよ!」と絶賛したものの、「素人にはきついね。何かこの味を中和するものを添えたほうがいい」と鋭く指摘し、「このままでは普及できない」と釘を刺して帰っていった。林さんは彼の言葉を胸に刻み、日夜研究に励んだ。いや、厳密には、墓場へ行かないといけなかったので、主にだ。ともかく彼女は努力を続けた結果、一つの結論に達した。原点回帰だ。夫がいつも残さず食べてくれるあのカレーは、ルーの味だけで成り立っているわけではない。ご飯があって始めて美味しいカレーなのだ。彼女のちょっとスパイシーすぎるカレーの味を良くしてくれていたのは、ご飯。そう、ご飯の上にかければいいのだ。

こうして二つの食材は一つとなり、至高の料理が生まれた。彼女がその自信作に自らの名前を冠したのは言うまでもない。

後日譚、そして現在へ[編集]

1998年、林さんは痛恨のミスにより、「ハヤシライス」発表の機会を逃してしまう。長きにわたる努力が報われたことに有頂天になっていた彼女は、あれほど得意だったカレーのスパイスの調合に失敗してしまったのだった。警察に目をつけられた林さんは、苦肉の策でマスコミをあおり、インタヴューに持ち込むことを試みた。何とか思い通りに事を進め、運よくカメラマイクを向けられることとなった彼女は、紙に書いたハヤシライスのレシピをインタヴュアーに渡すことに成功した。これで万事問題なし、後はもうどうなってもいい。彼女の試みは成功したはずだった。

ところが、なんということであろうか、林さんは間違えて、夫に食べさせるためやむなく作った妥協案のほうを渡してしまったのだ!もう後の祭りだった。正確には二ヶ月ちょっと経っていた。手錠をかけられた彼女にもはやなすすべはなかった。

こういうわけで、今日私達が食べているハヤシライスは、美味であることは確かだが、林さんの手による至高の一品とは程遠い。これを悲しむべきことと取るか、そうでないかは人それぞれだが、のほほんと他人のレシピを真似て料理を作り食べている我々としては、せめて今はなきソヴィエト歴史や、一人の日本人がひとつの料理の創造のために費やした長い時間を慮る必要があるのである。

関連項目[編集]

残念。これは偽者だ。