パラグアイ

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パラグアイ(Paraguay)は南米にある国家である。北西にボリビア、北東にブラジル、南にアルゼンチンがある。

国旗に珍しく裏表があるが、だからといって性格に裏表がある人が多いわけでもない。

歴史[編集]

スペイン人来訪[編集]

原住民であるグアラニー人が農耕をして平和に暮らしていたが、1537年にアルゼンチンの方からスペイン人がやって来て「もう疲れた。今日はここで休んで探検するのは明日んしよん?」とアスンシオンを建設した。建設後、先住民に「町の名前長すぎ!」とブエノスアイレスを攻撃され泣く泣く避難した入植者たちがやってきたが、あまりにも住み心地が良かったのか皆泣く泣く捨ててきたはずのブエノスアイレスは半世紀程放置プレイされた。

イエズス会が17世紀頃、この地でキリスト教洗脳布教を始めた。南米の他の多くの地域では先住民たちは布教師の洗脳布教に抵抗したが、グアラニー人が無垢すぎたのか、布教師の手際が良すぎたのか、あっさり皆改宗してしまった。ちょうどその頃、南米の他の地域では総統閣下も真っ青な大陸規模のおおそうじが行われていたが、その頃パラグアイではスペイン人入植者とグアラニー人が仲良く畑の中でルンルンする程だった。宗主国のスペインはおおそうじをサボるパラグアイに再三干渉するが、「俺たちは聖書の『あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい』ってのを実践してるだけだから」と呆気なく門前払い。結局スペインが「スペイン植民地内の布教やめないと教皇が破門しちゃうぞ♪だってさ」とイエズス会に脅しをかけたら布教師どもは一夜でどっかに行ってしまった。取り残された人々は独立するまでスペインの圧政に苦しめられることになる。

マッドサイエンティストの台頭[編集]

1810年にアルゼンチンで起こった五月革命でのごたごたに乗じて1811年にちゃっかり南米で最初の独立宣言を達成する。宣言して独立したまでは良かった。が、「指導者誰にする?おらたちはずっと畑耕すことばっかしてたから政治のことは難しくてよう解らん。」という農民が国民の大半で、国をまとめあげるカリスマ性のあるリーダーが存在しなかったので「とりあえず頭の冴えている学者さんでよくね?」という実に適当な理由で大学で学位をとっていたホセ・ガスパル・ロドリゲス・デ・フランシア自称博士が就任した。彼は博士だったこともあり、国民を実験室のネズミのように扱うようになり、政治家として活動する傍ら、国全体を実験台として多数の実験を行った。代表的な実験はヨーロッパ系入植者とグアラニー人との交配実験である。実験内容だけでなく、実験を行う環境の整え方にも手を抜かず、当時南米で盛んだった移民を禁止して事実上鎖国状態にし、実験への参加を拒んだ国民は追放したり、バキューンしたりして、その異常性から、近隣諸国からは「マッドサイエンティストの独裁国家」と呼ばれ、「悪いことしたら連れてかれて実験台にされるよ!」と日本でいう「鬼ヶ島」のような扱いをされ、主にわんぱく盛りの子どもたちに恐れられるようになる。

二つの戦争[編集]

そんな扱いを受けたパラグアイだがブラジルアルゼンチンの「パラグアイはマッドサイエンティストの独裁国家」と言い聞かされた世代が政治家になりだすと「マッドサイエンティストなんてひねり潰してやるわい」と息巻き始め、圧力を受けるようになる。1864年、同じく圧力を受けていたウルグアイからの救援要請を受けブラジルへ侵攻したが要請した当のウルグアイがブラジル、アルゼンチンに洗脳され、仲良く三国同盟を結んだのでもう大変。三方からフルボッコにされた。パラグアイ国内に侵攻する頃になると、当のマッドサイエンティストは20年位前に大学の頃の恩師に天国へ実験のレポートを提出しにいって、それ以来帰ってきていないことが判明した。アルゼンチンとウルグアイは安堵して家へ帰ったが、ブラジルはついでに領土もぶんどりたかったので攻め続けた。1870年に戦争が終わるが、この戦争で国内のという男はほとんど戦争に駆り出され死んでいったので男女比が1:4となり、ちょっとしたハーレム状態になった。暫くすると、この噂を聞き付けた周辺国から移民が急増し、男女比はすぐ元通りになる。男はいつの時代でもこんなものである。

それから暫くしてなんとか立て直したが1930年代、パラグアイと同じ頃にボリビアは国土をより縦に細くしようとしたチリに海岸沿いの土地を取られてしまい、そのせいで海軍の任務がチチカカ湖の警備以外に何もなくなり、「もう湖軍に改名した方がいいんじゃね?」と言われてしまう程だった。そこで「海がなければ川から海に出ればいいじゃない」とパラグアイ川沿いの西部のグラン・チャコに攻め込んできた。グラン・チャコからは石油が出ると噂されていたので、更にボリビアはやる気になり、最新鋭の戦車で侵攻してきた。パラグアイは前の戦争で既に国民の半分以上がいなくなって絶望的な状況で、ボリビアが圧勝すると誰もが思っていた。が、暑いグラン・チャコで寒冷な気候に慣れたボリビア兵は「暑すぎだろ!」と戦車の開閉部のドアを開けたままやってきたので、あっけなくあぼ〜んされ、むしろパラグアイがボリビア東部に攻めこむ程だった。しかし、どちらとも南米で最貧国を争う程で、資金不足になり、アメリカ仲介で講和条約を結んだ。ボリビアは念願のパラグアイ川沿いを手に入れたがボリビアは港を造ることなく放置した。そしてグラン・チャコからは石油は見つからず、両方にとって肩透かしを食らった戦争だった。

明治天皇降臨す[編集]

戦争で疲弊したパラグアイに1954年、空の上から降臨する場所を間違えた明治天皇が降臨してきた。まだ近場のアジア付近に降臨するのなら分かるが地球の裏側という明後日の方角に来たので元から日本に来る気がなかった、とする説が最近専門家達を騒がせている。現地に馴染むため名前を変えたが、間違ってドイツ系のアルフレド・ストロエスネルに改名してしまう。1972年日本へ孫である昭和天皇へ会いに行き、ツーショットを撮って記念切手にした。これに対し宮内庁は「何処の馬の骨か解らないおっさんと天皇陛下を並べた写真なんてマッカーサー以来の屈辱だ!」と猛抗議した。抗議を受け、「孫と写真も撮っちゃいかんのか」とアルフレドは少し悄気た。昭和天皇が崩御したのを見届けた後、1989年にクーデターで退任した。暫くブラジルでゆったり暮らした後、2006年に空の上に帰っていった。

その後副大統領が暗殺されたりクーデター未遂があったりして今に至る。

地理[編集]

東部には森林と広大な平原が広がっていて、西部のグラン・チャコには湿地や乾燥地が広がっている。西部は国土の約半分を占めるが、人口10万人程と少なく、あまり道路も整備されていないので、最近ではコミュ障患者や、道なき道を突き進みたい人たちに人気がある。なお、あまりにも道なき道を突き進み過ぎるといつの間にか国境を過ぎて国境警備隊のお世話になる場合がある。

文化[編集]

マテ茶
「飲むサラダ」と言われているがドレッシングはかけない。最近熱湯で淹れたマテ茶には発ガン性があると解ったがパラグアイでは既に博士によりずっと前からその事は判明している為冷水で淹れるのが一般的である。
アルパ
スペイン語でハープという意味。文字通りハープ。
グアラニー語
グアラニー人の言語。パラグアイではスペイン語よりこちらの方がよく話されている。因みにサッカーの国際試合で暗号代わりに使われている。ちなみにブラジルでもごく一部で使われているので対ブラジル戦では解読されたことがある。
祝祭日
なぜか2012年から2日連続独立記念日になった。日本でいうと建国記念日が2日連続になるようなものである。2011年も独立200周年で2日連続独立記念日となった。休みたいだけだろ、オイ。

社会[編集]

アメリカや多くのラテンアメリカ諸国のように人種間の経済格差は無いに等しい。

農村地帯の住民の半数近くが貧困線以下の生活を送っているが人種間の経済格差は無いに等しい。

上位10%が国の所得の40%を牛耳っているがあくまでも人種間の経済格差は無いに等しい。

スポーツ[編集]

サッカーが盛ん。かなり強い。でもブラジルとアルゼンチンの陰に隠れがち。

他にラグビーバレーが盛ん。パラグライダーはあまり盛んではない。

国民[編集]

上記の愉快な博士の政策により国民の90%がスペイン系と原住民系の混血。あとは移民。日系人も6000人くらいいる。

冒頭で書いたように国旗に裏表があるからといって性格に裏表がある人が多いわけではない。むしろ典型的なラテン系の明るい人が多い。

ダム[編集]

アルゼンチンとブラジルの国境のイグアス川にはイグアスの滝がある。しかしパラグアイにはこんな素晴らしい滝がないことを不憫に思った両国は悩みに悩んだ末、アルゼンチンはジャスレタ・ダム、ブラジルはイタイプー・ダムをパラグアイ国境のパラナ川に造る事にした。お陰で電気が腐る程発電できたパラグアイは電気の世界最大輸出国になった。


関連項目[編集]

Wikipedia
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