パリ

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パリ(仏:Paris、巴里)とは、フランス首都である閉鎖都市。花の都としてロマンティックな空気が漂う、世界中の少女たちの憧れの街である。芸術の街としても知られ、おしゃれな印象も強いが、かつては花の都というよりはむしろ臭いゲイ拝火教の都であった。

2024年にパリでオリンピックが開かれた場合の、原子力大国フランスならではの光景

歴史[編集]

まだ亡国が蛮族天国だった中世のパリ(予定地)には、セーヌ川のまわりのぬるぬるした湿地帯のまわりに、小集落が存在するのみであった。当時先進地だったイタリアから見ればまさしくド田舎で、パリの語源も「田舎者」もしくは「乱暴者」である。

フランスの首都になった後は、集落のまわりにカタツムリのようなうねうねと螺旋を描くように街を発展させた。12-13世紀のパリには下水道は当然無く、都市近郊の住民は汚物を道路の真ん中に流れている水へと流した。それらは直接セーヌ川に流され魚のエサとなった。またパリ大学が出来たのもこの頃である。

現在は下水道こそ整備されたが、ゴロツキ(サルコジ談)が闊歩する危険地帯として名高い。

花の都 パリへの改革[編集]

印象を改善するために、ルイ14世ベルサイユ宮殿を豪華に造りかえた。これは「ベルばら」などで紹介され、一定の効果があった。しかし そんな華麗で壮大な宮殿に4000もの人が住んでいたにもかかわらず便器が一個しか無く、人々は大体我慢できなくなろうが余裕があろうが庭の茂みで用を足していた。

というか当時のパリには上記のように便所文化などなく、基本的に裏庭や路地裏は排泄物まみれであった。日本では鎌倉時代に既に公衆トイレがあったというのに。江戸時代には肥料としてリサイクルする技術が完成していたというのに。そのまま庭の肥やしにしてやろうという輩のおかげでパリの街はクソまみれ。そんな時に生まれたのがご存知「ハイヒール」である。

その後紆余曲折を経て、戦後は「おお、シャンゼリゼ」という歌によってパリのイメージアップが計られた。たしかに耳に心地よいが、要するにナンパで女の子を引っ掛けることを歌ったものである。しかもこの歌は、もともとはロンドンを歌ったものをオマージュしたのである。パクリで名を上げようとは見上げた俗物根性だが、それこそパリっ子の心意気である。

なお、現在のパリに人糞はない。マナーの悪い犬が垂れ流した糞はあるが。

パリジェンヌ[編集]

日本人はパリ在住の市民(パリに住んでなくてもパリにいる白人のこと)をパリジャン・パリジェンヌと呼ぶ。現在の市域人口(2017年)は225万人程度で名古屋市とほぼ同程度。都市圏人口は1200万人程度で京阪神圏のそれより小さい。これを聞いて「え、あのパリが?」という者がいるらしいが、大きければいいというのは子供の考えである。高貴なおフランス人は少数精鋭なのである。

…と言い張っているが、そこをつつかれると非常に弱い。特にインド(都市圏人口2499万人)や中国(都市圏人口2341万人)がそういう話を持ち出すと「田舎の小国は数ばかり自慢する」と顔を真っ赤にして怒り出す。プライドは世界の誰よりも高いのだ。

観光スポット[編集]

  • シャンゼリゼ通り
新凱旋門から、ガラスのピラミッドまで。古い街並みよりもいまではそちらのほうが注目されている。
  • ルーブル美術館
モナ・リザが展示されている。1913年以降は贋作に置き換わっているとか。
  • オペラ座
地下に怪人が住んでいる。そのため怪事件がよく起こるらしい。
  • エッフェル塔
ヨーロッパ最大級のホテルの隣。完成前から、鉄の塊と散々罵倒された建物。第1テラスから飛行服を着て飛び降り、即死した人もいる。
  • ラ・デファンス
景観保全のためにパリから離れたところに作られた超高層ビル街。2つめの凱旋門がある。
  • 下水道博物館
下水道の歴史を展示して自慢しているが、古代から下水道文化を持っていたアジア人には見向きもされない悲しい施設。

関連項目[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「パリ」の項目を執筆しています。
Quqpacmanlogo3.png
パリが放った発言は、後世の物好きのために、有志たちによって「Unquotable/都市伝説」へ収録されています。