ビリー・ヘリントン

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

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白い歯を見せながらも真っ直ぐに未来を見つめる兄貴の眼差し。歪みねぇな。
白い歯を見せながらも真っ直ぐに未来を見つめる兄貴の眼差し。歪みねぇな。

ビリー・ヘリントン(Billy Herrington 1969年7月14日 - 通称兄貴)は、インターネット上で活動している教育者、啓蒙思想家、哲学家、消防士、俳優、劇作家、レスラー妖精である。在野の哲学研究団体『歪みねぇ世界』代表も勤める。また、同性愛に対する偏見を払拭しようと世界各国で活動を行っており、同性愛の理解者として世界中のゲイから敬慕されている[1]。なお、名前の綴りは『Herrington』であるため、英語の発音は『ハーリントン』に近い(Wiki調べ)。

同性愛に対する理解の少ない者の中にはビリーを凡百のゲイと同様と見なす輩が多数存在するが、彼は同性愛者のみならず、民族、性別、趣向、文化などの違いにおいて互いが差別や偏見を抱くことなく、十人十色全ての人間が平等に暮らせる「歪みねぇ世界」を提唱し、その実現に向けて粉骨砕身している博愛主義者である。

また、その一見平易ながらも複雑で特異な思想から、現代の安藤昌益と呼ばれる。ビリーが他の哲学者と大きく異なる点はインターネットというニューメディアを存分に駆使する点にある。特に某動画投稿サイトにて自らの主張をアフォリズム的に表現しようとする壮大な試みは各国の研究者から注目されている。

目次

[編集] 人物とその思想

[編集] 生誕から哲学への目覚めまで

東京都新日暮里に2人兄弟の長男として生誕。父親が都肉棒大学の教授として赴任していたため、アメリカ国籍である。幼少時より運動神経、学業の両面において群を抜く天才肌であった。しかし、休日になると全裸で外を歩き回り父のバイクに水をかけるなどして時折周囲を困らせていたため、知人はもとより家族にさえ変わり者だと思われていた。両親から「お前は常識がなっていない」と叱責され、「常識のない奴を異端呼ばわりして爪弾きにしたり、犬畜生のように扱ったりするのは常識的だとでも言うのか」と反駁したという逸話が残っている。

彼の生まれ育った新日暮里は元来「日本のカリフォルニア州」と呼ばれキリスト教原理主義者が多い地域であり、同性愛は絶対悪として忌避されてきた。そのような環境の下で育ったビリーは小学校時代に、同級生がゲイであるという理由だけで陰湿ないじめを受ける惨状を目の当たりにしたことで、差別や偏見、それに伴う迫害を黙認する世間に対する疑問を抱くようになる。後年親族により発見された当時のビリーの日記には「同じ性別の者が愛し合う…何の問題ですか?」や「慈悲深い人間が除け者にされるってどういうことなの…」といった記述が施されており、この頃が思想家としてのビリーの第一歩であると論じる研究者が多い。

[編集] 充実の思春期と「歪み」の発見

差別主義的かつ暴力的な公教育に嫌気の差したビリーは新進気鋭の私立学校として名を馳せていたコルトマン高等学校に進学。カミングアウトまでには至らなかったものの、高校の自由な風潮に馴染んだビリーは左翼劇場での演劇活動を筆頭に、対同性愛者差別の撲滅を目的とした学生運動に積極的に励むようになり充実した時期を迎えた。その活動の中でビリーは数多くの同級生が民族・人種・性別などで不当な差別を受けている現状を知り心を痛め、憤りを露にした。当初は差別主義的な人物を激しく嫌悪する一方のビリーであったがある日、同性愛者であることを理由に差別を受けていた友人が、民族を理由に他者を差別する現場を目撃。長きに及ぶ葛藤の末にビリーは「全ての差別や偏見は、他者との相違点を享受しようとしないだらしねぇ心が生み出した一種の歪みから生じており、戒める者もまた仕方ないという慈悲をもって対峙しなければならない。」という境地に辿り着いた。それまで相容れない思想は忌避したり排除したりすることが一般的であった哲学の世界においてこのような博愛主義的思想が出現したことは哲学史を揺るがす一大事件であった。そしてビリーは世の中に横行する全ての差別や偏見の撲滅を天分とし、志を分かち合う友人らと共に、「だらしねぇ」という戒めの心「歪みねぇ」という賛美の心「仕方ない」という許容の心をモットーとして在野の啓蒙家として本格的に活動を開始するのであった。このいわゆる『妖精哲学の三信』はテレビ新日暮里にて2008年7月14日の23時より放送された『情熱大陸』の番組内における命名であったが、放送後の反響が甚大であったため現在ではこの名称が広く普及している。

[編集] 職業人としてのゲイ~生涯の親友

高校卒業後の進路に迷っていたビリーは立教大学に進学。その傍らコルトマンスタジオの昼間部に通いビデオ出演やグラビアなど、職業としての同性愛者向け活動を開始する。瞬く間に人気ゲイポルノスターとなったビリーは潤沢な生活資金を活かすためにゴルフに興じた。同じく東京六大学に属する明治大学深堀ゲイ一郎とは昼夜を問わず激しいデットヒートを繰り返しファンを歓喜(一部報道では困惑とも)させた。

公私共に充実した生活を送っていたビリーだが、卒業を目前にそれを脅かす出来事に見舞われる。大学の同級生でもあり東京六大学野球のスター選手であった多田野数人がゲイビデオへの出演を週刊誌に報道され、ドラフト会議での指名を回避されたうえに、完全な盲説やでっち上げの末に各方面から激しいバッシングを浴びせられたのである。メディアの持つ巨大な影響力や未だに強い同性愛者への風当たりを危惧したビリーは傷心の末にゲイポルノ界から距離を置く決心をした。

[編集] 消防士としての活躍と生涯最大の挫折

立教大学卒業後は新日暮里消防署(英名「FIRE STATION 69」)の消防士として新日暮里に凱旋。品行方正な勤務態度と抜群のリーダーシップが見初められ、8年10ヶ月(当時30歳7ヶ月)という異例のスピード出世で消防局長に就任。プライベートでもトータス藤岡と名乗るイケメンの同僚と恋愛関係に進展するなど、まさに順風満帆な生活を満喫していた。

しかし、かつて日本列島を震撼させた連続放火事件、通称『ザーメン放火魔事件(正式名称:ゲイ視庁指定4545810号事件)』の現場に赴いた際、唯一無二の存在であったトータスを殉職させてしまう。さらに、この連続放火事件の犯人『ザーメン放火魔』として現行犯逮捕されたのはこともあろうにビリーの実弟であった。最愛の同僚の死に加え、放火に興じていた弟の監督責任を問われることとなったビリーは、前例の無いスピード出世に対する同僚からの嫉妬や同性愛者としての迫害も受け、実質更迭という形で職を辞する。追い討ちをかけるように自宅には連日ビリーを糾弾するマスコミが駆けつけるようになる。ビリーは失意の中、近くて遠い祖国であったアメリカ合衆国ハリウッドに隠遁することを余儀なくされる(このとき、ビリーは加熱するマスコミの取材に対し『いやぁスイマセーン』とのコメントを残している)。

[編集] 従軍とガチムチスタン侵攻

キリスト教の宗教色が強い地域で生まれ育ち、そのキリスト教系の立教大学も卒業したビリーであったが、度重なる不幸な出来事により、次第にの実在に疑問を抱くようになる。「もしも神が我々を平等に慈しみ、愛してくださる存在ならば、何故これほどまでに幾重にも歪みある世界になってしまったのか?」という自問は、図らずも彼に与えられた膨大な閑暇もあって日増しに大きくなり、無神論へと彼を突き動かした。

その後ビリーは「死に接近することこそが神に近づける最良の方法だ」との信念から志願して海兵隊に入隊するものの、天才肌が災いしたのか入隊後わずか数ヶ月で後方勤務に回され、先任軍曹として後続の教育に当たることになる。ビリーの入隊当時、アメリカ合衆国は中東のガチムチスタン侵攻作戦、通称『曖昧な渋味作戦(Operation Unclear Astringency)』の真っ最中であり、本人も一兵卒として最前線への配属を希望したものの、聞き入れられなかった。

半年後、ビリーは消防官時代に同僚であったくりぃむしちゅー池田が、ガチムチスタンの首都・イスマラバード近郊で反政府ゲリラとの戦闘に巻き込まれ殉職したという報せを受け、大きな衝撃を受ける。ここでビリーは、死というものを軽んじ、無自覚のうちに死ぬことに解決策を見出していた己の未熟さを深く恥じ入るとともに、戦争という愚行を犯し、それを『正義』と祭り上げて正当化する政府やマスコミに大きな『歪み』を発見する。さらに、兵士を育て上げるのが任務の先任軍曹としての自分が、その『歪み』の拡大に間接的に関与してしまっていることに気づき、愕然とする。ビリーは悩みぬいた末、翌年名誉除隊の道を選ぶ。


[編集] 確信から復活

再び下野したビリーは古今東西の哲学を貪欲に吸収してゆく。その中でビリーは東洋の思想体系のひとつであるガチムチ(我知無知)思想に強い影響を受ける。我知無知思想とは『知っているつもりで何も知らない己の無知を自覚する(我無知ヲ知ル)』というギリシャのソクラテス的な哲学概念にも通じる思想であり、ビリーを強く感動させた。この後、ビリーはこのガチムチ思想に自分なりの解釈を交え、我知無知主義(ガチムチズム)を独立した思想体系として確立させた。またこの時期に発表された『ガチムチ兄貴 神秘編』は「神はいない」という彼なりの結論を、自らが神秘()そのものとなって証明するという挑戦的な手法を取った初期の傑作である。

その後も単身ソ連へと渡り、モスクワ大学で科学的無神論を学ぶなど、ビリーは無神論への造詣を深めていった。その結果、「我々の祖先は数百万年前、アフリカの母なる森林に発生した森の妖精に過ぎない」との結論を導き出し、神秘的な存在への依存を捨て、心身両面を充足させてこそ歪みねぇ世界の実現が可能であるという確信を得た。極端な精神主義に偏りがちであった従来の哲学とは一線を画したこの思想はビリーに揺ぎ無い自信をもたらしたうえに、哲学界に一大旋風を巻き起こし後に高等学校・倫理科の教育課程に採用されるまでに至った。

心理面で多大な自信と充実感を得たビリーは肉体強化を図りボディビルを始める。天性の運動神経が味方したのか、彼は瞬く間に人目を引くほどの筋肉質な体系にビルドアップされた。さらに幸運の連鎖は続きビリーの屈強な肉体に目をつけたコルトマンスタジオの上役が特別待遇の条件付でビリーをゲイポルノスターとしてスカウトしに来たのである。再びゲイポルノ界に身を投じたビリーはハリウッド映画への出演や多数の受賞など多岐に渡る活躍を見せゲイポルノスターとして華麗な復活を遂げたのである。

[編集] レスリングへの目覚め~思想家としての活動

自身の苦い経験からビリーはメディアに対する反発心と警戒を露にしている。様々な盲説を垂れ流し、スキャンダルをでっち上げ、民衆を煽動し揺さぶる新聞社やテレビ局、インターネットなど、既存のメディア全てを害悪であると糾弾しており、これらのメディアによって我々の生きる社会は歪曲され、様々な偏見で人々の目はフィルターで覆われ、『歪みある世界』になっていると舌鋒厳しく非難している。ここ数年は近代文明や近代社会そのものを強く批判しており、究極的には近代文明社会から離脱することによってこそ閉塞が打破されるという主張を展開している。

本人曰く、まだ人類が一枚の襤褸切れのみを着て暮らしていた頃、人々の間には何の偏見も差別意識もなかった。それらのものは文明が発達する過程で生まれた悪しき副産物であり、今では社会的な地位や趣味による差別まで顕在化するようになり、着用する衣服の違い、所謂ファッションセンスなどでさえも差別の対象になっていると慷慨する。ならばいっそのこと、身に纏っている衣服も、社会的ステータスも、アイデンティティも、全て捨てて文字通りの「裸」になればよいと鼓吹するようになる。そういった思想の変化の中で生まれたのが、一大傑作「ガチムチパンツレスリング」であった。

この映像作品は、ビリーと彼の同志である木吉カズヤ[2]が、レスリングをしながらケツを叩き合い、パンツを脱がしあうという、一見意味不明のものであり、世に出た当初は「気違いが作った駄作」「ゲイの為のAV」などと散々に酷評された。しかし、やがてこの一見荒唐無稽に見える作品に込められた芸(ゲイ)術性、メッセージ性が文壇の知識人達に読み取られるようになり、高い評価を得る事となった。これは後に『ヘリントン革命』と呼ばれる。

近年は、正統派レスリング側から非常に強い批判的声明が出された為に表立ったレスリング行為は自粛し差別・偏見の根絶を目的とした教育的且つ思想的な活動をライフワークとしている。その一方で、彼を教祖とする宗教団体の信者がヘリントンの存在とその活動を広く知らしめるために上記の某動画投稿サイトを中心に彼の活動の模様やそれを改変したMADをインターネット上に大量にアップロード。その多くは中身の伴わない煩雑な動画であるが、中には人気エロゲである「リトルバスターズ!EX」を改変した「パンツレスラーズ!EX」といったゲイ術的価値の高い作品が存在し何れもヘリントンに対する敬愛の念が感じられるものとなっている。


[編集] レスリングシリーズにおける『閉鎖の打破』と啓蒙手法の特徴

これはパンツを現行の世界(あるいは歪みの絶えない閉塞の状態)として暗喩的に用いることで、あたかも粒子と粒子の衝突によってビッグバンが起こったように、『肉体と肉体の激突によって閉塞が打破される』というメッセージを端的に伝えるものである。ズボン、スパッツ、パンツと幾重にも重なった現行世界における閉塞の外皮が肉体によって破壊され、その破壊をもたらしたものが最終勝利者として次世代に昇華するという彼なりの方法論を、レスリングという究極以前の事象になぞらえることによってアフォリズム的に啓蒙する方法はかのニーチェにも通じる試みであり、肉体という物理的な(或いは反則的な)存在を通して現実世界への働きかけを行うという点に限れば、ニーチェの理論を補完してすらいる。これは停滞していた西洋哲学史に新たなる新風を吹き込み、また世界中の哲学にも革命をもたらした。

[編集] 脚注

  1. ただし、ビリー本人はバイセクシャルを自称しており、一説にはバイですらなくノンケだとも言われる[要出典]。しかしノンケだろうがバイだろうが、ゲイの社会的地位向上の為活動に励んでいる偉人であることに変わりはない。
  2. ビリーと交流の深い哲学者・民俗研究家。日本に帰化し平成のラフカディオ・ハーンと呼ばれる

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