フィデル・カストロ

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キューバでは稀に上の写真を見せて「どちらがカストロ議長か?」と問われることがある。間違えればもちろん……

フィデル・アレハンドロ・カストロ・ルスは、キューバ政治家革命家イケメン。1926年8月13日生まれ。

[編集] 概要

スペイン系大地主の息子。イケメンイケメンと言われているだけあって、当然女の子にもモッテモテ。しかも学生時代は成績優秀でスポーツ万能。大学卒業後は人権派弁護士とかいう超勝ち組。裁判にかけられた時には自分で自分の弁護をやってのけた。逆転裁判?ザケんなと言いたい。そんなチートキャラ。

若かりし日のキューバはまあ世紀末救世主伝説的な様相であり、大学在学中から既に諸々の派閥抗争に巻き込まれて何度も死に掛けている。CIAが何度も暗殺に失敗してしまった男、の名は伊達ではない。

21世紀の我々には元気な爺さん、のイメージが強いが、初めて武装蜂起を敢行したモンカダ襲撃の時は26歳。投獄され恩赦されメキシコに身を寄せ、グランマ号で「キューバよ、私は帰ってきた!」のは30歳。そしてシエラ・マエストラの山の中をうろうろゲリラ戦してる内にバティスタ政権を打倒したのはやっと32歳である。ゲームか何かのような話に思えるだろ?これガチなんだぜ。

なお革命成功後は自分ちの土地を真っ先に国に没収させ、見事に勘当をくらっている。勿論アメリカ資本の土地やら何やらもボッシュートしまくりであり、カウンターで経済封鎖を喰らってえらい目を見続ける事となった。因みにこの経済封鎖、国連総会で封鎖解除決議が21回出ているが、2012年11月のは賛成188反対3棄権2である。アメリカは当然反対として、残りの4国を当てられる人はかなり凄い。日本?はずれだよ。

政権樹立後半世紀近くを独裁者として君臨し続けたのはご存知の通り。全体的な方針は「熱血・根性・努力・友情」であり、国民に精神コマンドの多用を強いるその施政は概ね共産主義のテンプレ通りである。でも彼の家で最も高価な財産はブラウン管カラーテレビで、カレ自身も精神コマンドで耐え続けているのがキューバの特色である。子供たちを公職に就けさせなかったり、自分の石像を一個も建てなかったりしてるあたりは…褒めてあげなくもないんだからね!

カストロと聞くといろんなことが連想されるが、キューバ国内では絶対に間違っても「スカトロ」などと言ってはいけない。いくら比較的自由な社会主義国とはいえ、これを言ったら彼の逆鱗に触れ、国家機密漏洩罪により死を賜ることも少なくないので注意が必要である。しかしながら、そちらの趣味もやぶさかでないのは、公然の秘密である(参考文献『ソビエトロシアでは、アナルがあなたをファックする!!』 )。

ニッポン安倍さんとも大の仲良し。ブランコに宙ぶらりんで遊んだことある。バナナとアイスティー大好き。ニワトリを見てコケコッコーと叫んでそれだけでランチのチキンにした逸話があって、大切に保管してある。アクセサリーを結婚記念に届けてくれた。そんな仲である。だから大の仲良しなんだってばあ。

キューバの全国放送で圧力鍋で調理することがいかに栄養摂取の面で優れているかをフガフガ入れ歯を落としそうになりながら一生懸命熱弁していたので、専門家たちの間では既に老人性痴呆症が始まっているのではないかと考えられている。

[編集] キューバ革命の輝かしい戦跡

  • 風呂に長期間はいらず、臭いだけで政府軍を圧倒した。
  • 不潔すぎて衛生面でも政府軍を圧倒した。
  • バナナの食べ方を全軍に指導。フェラのように舐めながら食べる。
  • 情報漏えいを防ぐために、隊内ではイクラ語を話すように指示。
  • 最初はアメリカと仲良くしようとしたのに自身の趣味がスカトロだとバレて無視された。しかし気にせずソ連と仲良くなれた。
  • ソ連の腰をふるしちょふと共謀してアメリカの自由性主義に対抗し巨大ウンコミサイルの秘密基地を建設、社会主義的ヘンタイズムの威光を示し、世界中を戦慄させた。
  • アメリカ政府の弾圧にも「日本語でおk」の一言だけ発してノーコメント。
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