ブラックバス

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ブラックバス (Black bus、ブラックバス)とは、 アメリカ発祥の世界最大手のバス運行会社。日本でも全国津々浦々に長距離バス事業を中心に展開している。近年同社の観光バスが高速道路から転落する事故などの不祥事が多発し、社会問題化。他にもブラックバス社の過酷な勤務実態(いわゆるブラック企業)や、粉飾決算などが明らかになり、国土交通省がバス事業の規制強化に乗り出すきっかけとなった。

概要[編集]

1902年にアメリカで創業。日本には1925年に進出している。運輸業である定期長距離バス事業、定期観光バス事業・貸切観光バス事業と、旅行業である企画バスツアー事業を主力事業とする。日本全国に長距離バス路線網を展開している。

社史[編集]

「T型フォードを買う人はどの色でも好きに選べるーーそれが黒色である限りは」
車の色 について、ヘンリー・フォード

1902年、ミシガン州デトロイトでフレッド・スミスがデトロイトとデトロイト近郊の町ディアボーンを結ぶ路線バス事業を経営する目的で設立されたディアボーン自動車株式会社に端を発する。現在社名になっているブラックバスは、当時運行していたバスの色に由来する。当時同じ地元企業であるフォード・モーターからバスを調達していたが、この時のフォード・モーターは大量生産による生産コストの削減を志向しており、その一環として黒色のバスしか生産しなかった。この黒色のバスが地元の人に愛称として「ブラックバス」と親しまれていた。1924年に社名を「ブラックバス」に改名、そのまま社名として定着する。その後、着実に路線バス網を全米に拡大させ1930年にはニューヨークロサンゼルス間の大陸横断路線を開設している。

1925年には日本に進出しているが、これは主に日本に観光に来たアメリカ人を相手にした観光バス事業のために進出した。この時、観光地として有数な箱根を事業領域としたが、その後日米関係の悪化と太平洋戦争により一時撤退している。

日本進出が本格化するのは戦後に入ってからである。当時日本のバス事業は地域に密着した緻密な路線網が構築されており、また日本独特の生態系など外資が進出するのは難しいと考えられていた。しかし、ブラックバスは列島改造論などで整備され始めた日本の高速道路網を駆使し、高頻度運行かつ低い値段設定で長距離バス事業に参入した結果、格安でいつでも乗れる移動手段としてビジネス客を中心にシェアを獲得。今まで高い客単価を狙って高品質なサービスを提供しガラパゴス化した長距離バス市場を瞬く間にブラックバスが席巻、既存の日本のバス事業者は淘汰されていった。特にバブル経済崩壊後のデフレに陥った時期には特にシェアを伸ばしていった。日本進出のきっかけになった観光バス事業もガラパゴス化した既存の日本の観光バス事業者も太刀打ちできず撤退が相次ぎ、その間ブラックバスはシェアを広げていった。

規制強化によりブラックバスの抹殺が求められている

ブラックバスは事業拡大のために、はとバスの買収を発表。外資による日本の有名企業の買収に波紋が広がった。

しかし、急激なシェア拡大の裏には劣悪な勤務実態があった。特に長距離バス事業では、値段設定を低く抑えるためにバス運転手を長時間運転させていた。それに加えて高頻度運行を実現するためにバス運転手に十分な休憩時間を与えぬまま、バスの運行をさせ続けた。結果ブラックバスによる高速バスの事故が多発。その背景に過酷な勤務実態が明らかになり、ついには労働基準監督署が調査に乗り出し、国土交通省はバス運転手の勤務実態の改善のために規制強化に乗り出した。

社風[編集]

獰猛、貪食な外来種の例の筆頭格にあげられるブラックバス

社員一人ひとりが猛烈に働くことで有名で、かつ積極的に営業を仕掛けてくることから、その獰猛さとどんな環境でも適応できる強さを持つ魚のブラックバスに形容される。そのため、一時期ブラックバスの組織マネジメントは経営者の手本とされてきた。

しかし、強引な営業や過度な成果主義が横行した結果、長時間労働や利益のための法令違反が横行。最終的には、成果が出ていると見せかけるために、社員の間で不正会計が横行することになった。その実態がマスコミにリークした結果、株価は暴落し合理化のため路線網の縮小させるなどして事業を縮小させているが、大きすぎて潰せないために日本市場に踏みとどまっている。

関連項目[編集]