ベルトラン・ガショー
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
ベルトラン・ガショー(Bertrand Gachot、1962年12月22日 - )とは、ベルギー人の画商、ではなくレーシングドライバーである。余りにもマニアックなドライバーであるが、なぜかその節目節目でなぜかF1の歴史的出来事と関わってしまった奇妙なドライバー。
ちなみに年賀状を書くときは表に賀正と書くとこの人に届くかもしれないので注意が必要である。
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[編集] 1987年~1991年
1987年と1988年にF3やF3000といったレースでそこそこの実績を残したガショーは、89年からオニクスというチームからデビューを果たす。続く90年には、コローニというチームから参戦した。コローニというチームは性能の悪いマシンで参戦しては、スピンオフして他のマシンを道連れにすることで有名で、日本のF1ファンからはガンダムの「コロニー落とし」をもじって「コローニ落とし」と呼ばれていた。
面白いのは、この年のコローニが搭載していたエンジンはスバルであったことである。今ではスバルがF1に参戦していたことは黒歴史として忘れ去られている。バブル病の一種であろう。
[編集] 1991年のスプレー攻撃
1991年、彼は参戦一年目のチームながら素晴らしいポテンシャルを秘めていたジョーダン・フォードから参戦し、そこそこの成績を残していた。しかし、運ちゃんの何が気に入らなかったのか知らないが、彼はイギリスでタクシー運転手に向けて使用禁止の催涙スプレーを使用したとして逮捕され、チームから解雇されてしまう。
そして、解雇された彼に代わってベルギーGPでジョーダンからデビューを果たしたのは、後に史上最高のドライバーとなるミハエル・シューマッハだったのである。この91年のジョーダンは緑色の美しいマシンで、現在でもそのプラモデルなどは高値で売買されている。そこには、マシンの外観もさることながら、犯罪者と史上最高のドライバーとが同じマシンに乗っていたという事実が、マニア心をくすぐるという面もあるだろう。
[編集] 1992年~1995年
1992年には、ガショーはベンチュリ・ランボルギーニから参戦し、何が気に入らなかったのか知らないが鈴鹿でチームメイトで新人の片山右京に向けて特攻を仕掛けた。
翌93年は浪人し、94年からパシフィックという超マイナーチームから二年間参戦した。ここで面白いのは、パシフィックは95年に、かつての超名門チームでありながら、94年限りで破綻したロータスを買収し、「パシフィック・チーム・ロータス」という名前になっていたことである。
パシフィックも95年限りで消滅したため、ロータスという名はF1から永遠に姿を消した。つまり、犯罪者のガショーがロータスを駆った最後のドライバーになったのである。
[編集] ベルトラン・賀正
そんな彼だが今でも日本での人気は高く、一部のマニアは年賀状や新年のあいさつに「ベルトラン賀正」を使い今でもしたたかに親しまれている。 2009年を迎えたあなたにベルトラン賀正。
| 現役ドライバー | スペイン製眉毛 | フィンランドの酔っぱらい | ツンデレーサー | マッサはマッサ | 鉄人弐号 | 鶴 | 不運男 | 豆電球 | ニコ厨 | 馬豚 | 飛べないほうのフィンランド人 | 肉 | ゑ | 不遇男 | カジキマグロ | ピケ子 | グロ注意 | のび太 | 勝ったほうのセバスチャン | セバスチャン3号 |
|---|---|
| 元ドライバー | 初代チャンピオン | 田舎者 | 天国のチャンピオン | 不死身の鼠 | スーパーの宣伝マン | 恐妻家 | 髭ダルマ | 顎 | ゴクミの旦那 | 逝ってヨス | 賀正 | 元祖カミカゼ | 次、無いんだよ | ピケ男 | ムッツリスケベ | アーバンテサンバイン | IDE| 中嶋 (父) | 音速の貴公子 | 陰険教授 | 悪魔教信奉者 | モン吉 | 若ぴー | 名前が速い男 | 元祖ホースマン | 事故者| お祭り男| ペヤング先生 | デビッド・アンダーソン | 左右色違い靴 |
| 微妙なドライバー | 行方不明者 | りうっちー | 山本右近 | 日本製ミサイル |
| えらい人たち | SMナチ | バニーちゃん | 鰤 | 次があるさ | トド | ロス茶 | 車椅子の老将 |
| その他 | SUPER H2O | BARホンダ | アンドレアモーダ | 富士エクストリーム耐久レース | ライコネン症候群 |


