ボリス・エリツィン

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ボリス・エリツィンはロシアを代表する典型的な酔っぱらいアルコール依存症患者。

目次

[編集] 経歴

[編集] 生い立ち

ストリチナヤ蒸留所で生まれる。母親の母乳の出が悪く、母乳の代わりにウォッカを飲まされて育った。第二次世界大戦中に酒を盗もうと倉庫に潜入、暗がりでねずみ取りに引っかかり左手の指を二本失った。

[編集] 出世

ウラル工科大学を卒業したエリツィンは、ロシア全土の酒豪と勝負するため放浪の旅に出た。シベリアでは「歩く酒樽」と呼ばれた共産党幹部と三日三晩に及ぶ壮絶な対決を行い、辛くも勝利。この大勝負は共産党機関誌『プラウダ』にも掲載され、当時のブレジネフ書記長はエリツィンをソ連共産党中央委員に抜擢した。

[編集] ソ連時代

議員時代に川に転落して、危うく命を落としかけるところを、通りがかった警官に保護されて一命を取り留めるという事件に遭遇している。これが「エリツィン議員殺人未遂事件」として騒ぎになった。KGBは容疑者14名を逮捕、全員が「私がエリツィンを川に落としました」と自白したので、即日裁判の上、全員を公開銃殺刑とした。

後でエリツィンが泥酔して足を滑らせ、川に落ちた事が判明したが黒歴史として封印された。

[編集] ソ連崩壊

ヤナーエフ・ソ連副大統領らによりソ連8月クーデターが勃発。ゴルバチョフは監禁される事態となった。この危機に際して酩酊状態のエリツィンは、戦車に上に乗り旗を振って大声で下手くそな歌を歌いだした。更に酔った勢いで戦車隊に発砲を許可。ヤナーエフは恐怖のあまり酒に逃げて泥酔。この酔っぱらい同士の争いは、エリツィンの勝利に終わった。

この酔っ払い騒ぎの影響で、経済は疲弊。ソ連は崩壊し、ゴルバチョフは失業した。

[編集] 大統領時代

ロシアの頂点に登り詰めたエリツィンであったが、やはり酔っぱらいに国家の運営を任せるのは、無理があった。酔った勢いで反対派が立てこもったビルに戦車で発砲したり、任命した首相に責任を押し付けて、首のすげ替えで場をごまかしたりしていたが、人材が足りなくなった。気まずくて酔いが醒めたエリツィンは、後継者にウラジーミル・プーチンを指名して引退した。

[編集] 引退後

パリでテニスを観戦している所を目撃されている。しかも酔って選手にからんでいたようだ。
クリスマスシーズンになると、毎年のように街頭キャンペーンの“赤鼻のトナカイ”役のオファーが殺到するという(ちなみにサンタクロース役のオファーは一度もなかったそうだ)。

だがとうとう、2007年になって、飲みすぎのツケが祟ったせいか、エリツィンは亡くなった。ああ、この飲んだくれめ。ただ国民にとっては、『面白いおじさん』というキャラクターがウケたのか、葬式にはわざわざ遠くから市民やらエラい人たちが駆けつけてくれたようなので、彼としても最低限の面目は保ったと言えよう。

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