ポール・マッカートニー

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ポール・マッカートニー (Paul McCartney MBA 本名: ジェームス・ポール・スリリントン・ファイアーマン・モースムース・マッカートニー・真部、1942年6月18日 - )は、イギリスリバプール出身の歌手ベーシストヴァイオリニストである。アイルランド系出身である。

時代遅れの古臭いバイオリンもどきベースで歌うその姿は世界中の人間に影響を与えた。ヒゲを生やすと誰だかわからなくなる。

ちなみに、彼は世間では霊長類ヒト科と思われているが実は魚類であり、眠る時は目を開けたまま寝ている。

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来歴[編集]

ビートルズに飽きる[編集]

同胞のジョン・レノンと共に世界的ロックバンドビートルズの中心メンバーとして君臨していたが、あまりにもファンがウルセーので1966年にライブ活動を休止。ポールは才能が開花すると同時に色々と傲慢になり、バンドに亀裂が生じる。何とかせねばと思ったポールは屋上で「Get Back!!!ヨーコは帰れ!!!」と叫びメンバーの関係の修復を試みたが、警官に取り押さえられるわジョージは逃げるわリンゴは死んだ様な顔になるわで逆効果。1970年にまたライブがしたくなったと言う理由でビートルズをいち早く脱退。これにはメンバー皆「!?」状態であった。同日ビートルズ解散。

ウィングスめんどくさくなる[編集]

ビートルズ解散後はマスコミやメンバー(特にジョン)からのバッシングにへこんでいたが、妻のリンダに諭され、何とか復活。2枚のアルバムを発表したが「俺はライブがしたいんだよ!!!!!」と本来の目的を思い出し、新しいバンドを組む事を決意。その場のノリでリンダを加入させ、自作曲ペニー・レインと名前が似ているという理由でデニー・レインを加入させ1971年、ウィングスを結成。ここでもヒット曲を連発し頂点に返り咲いた。しかし1980年にわが国で大麻所持の罪で逮捕。これで踏ん切りがついたのか、ウィングスは解散。しかも同年ジョンが射殺され、ショックから引きこもるようになる。

ソロ活動[編集]

引きこもりから立ち直ったポールはまずスティービー・ワンダーと共演。大きな反響を受ける。翌年マイケル・ジャクソンとも共演。しかしこの時ポールはマイケルに「金が欲しいかい?アーティストの版権を買うと金持ちになれるんだぜグヘヘヘヘヘヘヘ」とうっかり言ってしまい、マイケルはあろう事かビートルズの版権を全て買収。これを受けポールはめちゃめちゃケチ臭い額でマイケルに売却を要求。当然マイケルは拒否。ポールとマイケルのドケチ戦争の幕開けであった。

何だかんだ言ってこの二つの共演作は大ヒットを記録したため、ポールは1986年にエリック・スチュアートと共作したアルバムを発表したが、これが大コケ。ポール軽くショックを受ける。 だが1989年にはポール曰くジョン・レノンみたいな奴リアムではない)と共演し、華麗に復活。同時に10年間封印されていたライブやりたい病が再燃、ワールドツアーに乗り出し、歴史的な興行成績を収める。(このツアーではリンダはステージにこそ立っているが、とても暇そうである)リバプールではジョンのナンバー「平和を我等に」を歌ったが、演奏を止めても観客が大合唱を止めず、ウンコに行きたいのを我慢しながら再度演奏を始めるという現象も起きた。

1995年にはビートルズ復活プロジェクトでジョンが残したデモテープをプロデューサーのジェフ・リンとともに好き放題にいじって発表。ジョージとは揉める。ビデオではジョンがいないのをいい事にある事無い事を喋る。やる事変わらなさすぎて皆が呆れた。

1998年、リンダが「ロックのカバーアルバムを作って。でなきゃ殺す」と言い残し死去。ポールはその約束を守り、リンダの追悼ライブも行い愛妻の死を悼んだ。

2002年、ポールはリンダがいない悲しみを埋めるかの様にモデルのヘザー・ミルズと再婚するが、こいつがとんでもない悪女で2007年には離婚。マイケルからビートルズの版権を取り戻せるんじゃないかってくらいの慰謝料をぼったくられた。

2013年、親交のあったデイヴ・グロールの誘いでニルヴァーナのボーカルに迎えられ、再結成。おっさん元気でなによりです。

現在68歳だが、大規模ツアーを行い記録的な成功を収めている。68歳だがビートルズナンバーでさえも元キーで歌いこなす奇跡の声を保っている。来日するかは現在不明。てか来日して!

ディスコグラフィ[編集]

ザ・マッカートニー・ローズ。真っ赤ではない。花言葉美しい少女

世間で評価が高いもの[編集]

胡椒軍曹 -1967年 

ポール主導のビートルズの傑作ってかロックの金字塔とも言われているが、話題になるのはア・デイ・イン・ザ・ライフ(ジョン・レノン作曲)ばっかの悲しいアルバムである。

逃げるバンド -1973年

ナイジェリアで盗賊にボコられたり、ドラマーが逃げたりといった様々な苦難から生まれた作品。現在のライブでは収録曲9曲のうち5曲が演奏されていて、食傷気味のファンも多い。

綱引き -1982年

ジョンが死んだ時のムラムラした感じをスタジオで発散させた結果、このアルバムが出来上がった。共演したスティービー・ワンダースティーブ・ガッドを差し置いてポールがドラムを叩いた曲がいくつかある。身の程知らずなヤツである。

花糞 -1988年

エルヴィス・コステロとの共作。ポールはレコーディング中に自身も出演したライブ・エイドで、ジョンの曲である愛こそはすべてを歌ったコステロがウザかったので共演を依頼し、そして何発か殴ったと語っている。このアルバムの収録曲のPVではなんと日本人が逮捕される。

焼けるおっぱい -1997年

ジェフ・リンや元ビートルズのリンゴ・スターらも参加したポールのジジイっぷりが凄まじいアルバム。なんか売れた。

-2013年

ビートルズに戻ったような音楽。だそうだ。

世間で評価がわかれるもの[編集]

音速の翼(笑) -1976年

大ヒット曲心のラブ・ソングなどポールの曲は名曲が多いが他のメンバーにも歌わせてしまった事から評価は微妙である。

マッカートニーⅡ -1980年

日本で逮捕された後に発売され、9年ぶりのソロアルバムとして大ヒットしたが、コミカルさを出しすぎて逆に不気味な出来となってしまった。以外にもファンの間では人気が高い。ジャケットのポールが指名手配犯みたい。

カオスなもの[編集]

ワイルド・ライフ -1971年

ウィングスを結成した喜びから2週間で作ってしまった超適当アルバム。ジャケットのリンダの垂れ乳がエロい。

ぱいぴー -1983年

生前のジョンの様に世界平和を歌う1曲目と、PVでは詐欺もやるマイケルとの共演作の2曲目とのギャップがありすぎて結果的に何が言いたいのか全くわからないアルバム。

ドライヴィング・レイン -2001年

30年前の悪夢再び・・・新しいツアーバンドを結成した喜びから作ってしまったアルバム。ジャケットのダサさ、シングルカットした曲のダサさから一時的にポールファンは脳死状態になった。

裏庭の(以下略 -2005年

レディオヘッドのプロデューサーであるハゲの協力の下、ポールが全ての楽器を演奏したアルバム。マッカートニーⅡも同じく全楽器をポールが演奏したが、なんかあっちの方がいい出来なような気がしなくも無い。やっぱポールあんたはすげえよ。
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関連項目[編集]


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