マルクス主義
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
ソビエト社会主義共和国連邦閣僚評議会付属国家保安委員会認可
本項の文章と内容は、完全に正しい事実としてソビエト社会主義共和国連邦閣僚評議会付属国家保安委員会第10課長により認定されており、 全ての無産階級人民と、ソビエト連邦共産党員に見せることが認可されています。 この資料を疑うことは思想犯罪であり、疑った場合は国家反逆罪の対象とされます。 |
マルクス主義(-しゅぎ、独: Marxismus)とは、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによってはじめられたキリスト教内の改革運動である。長い論争の末,マルクス主義自体は,プロテスタントの一分派というところで落ち着いた。異論は依然残るものの,現在(2007年)では概ね通説と言っても過言ではない。
エンゲルスは1883年に『科学から空想科学へ』を出版し、サイエンス・フィクションのジャンルをベルヌやウェルズに先駆けて提唱したが、この著作はエンゲルス当人にとってはフィクションでも、いわんやメタ・フィクションでもなく、彼やマルクスの思想を、ユートピア思想、唯脳論、精神分析の三つの分野に分けて解説したつもりだった。加えてこの著作の最後では、「これをもってキリスト教は科学となった」と宣言し、この後、機関紙「クリスチャン・サイエンス・モニター」を発刊に着手した。この機関紙は現在でも独自の特派員を全世界に配した、独自性の強いメディアとして「世の中暗いニュースばかりだが、この新聞は明るいニュースを努めて載せようとしている」との定評がある。
[編集] 歴史的展開
この運動は19世紀末にベルンシュタインによる歴史修正主義を生み、「アウシュヴィッツにあったのはガス室ではなく、シャワー室」「南京大虐殺は胡蝶の見た夢だ」「火星の顔は時々化粧直ししている」などの、新しい歴史解釈を繰り返して人気を博した。尚デスノートの14番目の決まりが、鉛筆で書けば15秒以内なら消しゴムで消せる。これはマルクスの幻影であった。彼も夢の中を浮遊することがあったようだ。(これについては鉛筆の取り扱い説明書を参照)
しかし概ね、都会ではこうした運動は、インテリ層の知的アクセサリーの域を出ることができず、「国取り」運動にまで発展したのは、むしろ後進国であるロシア・マフィアや中国の山賊によってであった。彼らは厳格な掟を持ち、マルクス主義を厳格な信仰として支持したが、一方で敵である資本家以上に身内の裏切りを憎み、意見が異なると議論よりむしろ迫害・追放・粛清が決着をつけるのに選択されがちであり、典型的な狂信者の様相を呈していた。
レーニンに率いられたロシア・マフィアは、神の教えが十分に根付いていないロシアの現状から武力による布教(釈伏)と布教の前衛である共産党の独裁(好き勝手)を正当化した。
『孫子』と『水滸伝』の愛読者だった中国の山賊、毛沢東は、若いころはアナキストを自認し、友人に向かって「お前は肉を食べたから、もう絶交だ」とその信仰は徹底したものだった。戦(いくさ)の上でも独特な考え方を持ち、何度も兵を挙げては負け、中国全土で敗走を繰り返すという、一風変わったスタイルの「長い遠征」を行った。クロのものをシロ、シロのものをクロと言い包める弁証法を得意とし、「絶対壊れないヘルメットと何でも破壊する鉄パイプがある。この鉄パイプでこのヘルメットを叩いたらどうなるか」とオチを自分で先に言ってしまう癖があった。彼の言行をまとめた著作に『実践論・ヘルメット・パイプ論(略してヘル・パイ論)』がある。
マルクス自身は生前「これをマルクス主義というのなら、私はマルクスではない」と繰り返し述べ、離人症の症状を訴えたが、息子フリードリッヒについても「これはマルクスの息子ではない」と、下半身につつしみがないことを告白している。
[編集] 基本文献
- マルクス:『資本論』
- マルクス、エンゲルス:『ドイツ・イデオロギー』
- マルクス・エンゲルス:『共産党宣言』
- レーニン:『国家と革命』
- トロツキー:『裏切られた革命』



