マーク・ウェバー

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
移動: 案内検索
Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「マーク・ウェバー」の項目を執筆しています。

マーク・・ウェバーMark Webber, 1976年8月27日 - )は、常に何事かに対してイライラしている、物静かで無骨な男である。実際には、若いドライバーへの面倒見が良く、優しくて気さくな性格であるが、残念ながらイライラしないと誰も気にしないのである。チャンスをものにできない男としても知られ、F1以前から何度も優勝やチャンピオンを逃している。地味ゆえに注目されず、常にイライラを募らせながらも、諦めずにF1を続けている彼を、誰か見てやって下さい。


F1参戦以前[編集]

1995年、オーストラリアのフォーミュラ・フォードでランキング3位

1996年、イギリスのフォーミュラ・フォードでランキング2位

1997年、マスターズF3でランキング3位

1998年、FIA-GT選手権でランキング3位

1999年、ル・マン24時間に参戦するも、車の設計ミスで出走できず。チームも撤退し、フォーミュラに出戻る。

2000年、国際F3000でランキング3位

2001年、国際F3000でランキング2位


どうだ、イライラするだろう?


F1時代[編集]

2002年、ミナルディからF1にデビュー。地元での開幕戦で、いきなりの5位入賞。将来のチャンピオン候補と目されるが、今一つパッとしなかった

2003年、ジャガーから参戦。予選では、ブラジルGPでの幻のポール・ポジションなど活躍を見せるが、決勝ではパッとしなかった

2004年、ジャガーから参戦。相変わらず予選には強く、マレーシアGPでフロントロー獲得など活躍を見せるが、決勝ではパッとしなかった。チームも撤退し、就職活動に入る。

2005年、名門ウィリアムズに移籍。ニック・ハイドフェルドにより、地味な仕事人コンビに引き込まれる。

2006年、ウィリアムズに残留。モナコGPで3位走行中にマシントラブルでリタイア。ウィキペディアにすら「怒りのあまりステアリングを叩き付けるウェバーが印象的であった」と書かれるイライラぶりを見せつける。チームメイトのニコ・ロズベルグを上回る成績をおさめたが、地味さゆえに解雇。

2007年、古巣・ジャガーを買収したレッドブルに舞い戻り、先生とコンビを組む。ウィキペディアには「マシンなどに問題があり決勝では苦労しているが、ほとんどのGPで予選Q3(トップ10)に進出し、持ち前の予選での速さを見せ予選番長ぷりを見せつけている」などと書かれているが、本人にしてみりゃ、予選だけ速い車じゃしょうがないのである。彼のイライラの真骨頂は、何と言っても日本GPであろう。食あたりに襲われた彼は、レース中にゲロを吐きながらも根性で力走、終盤には2位を走行していた。しかし、セーフティカー導入時に、前を走るツンデレが急発進・急停車を繰り返し、彼はイライラと車酔いのダブル攻撃で半分くらい死んでいた。そんな彼を覚醒させたのは、兄弟チームのドライバーで、後の弟分である鎌田吾作その人であった。ゲイビデオ界からF1に転身して日が浅い吾作は、そんなマークの男らしい後姿に思わず発情、見事にオカマを掘ってしまい、両者リタイアという結果に終わった。通常ならブン殴っても不思議ではない状況でも、彼は抑えに抑えて、吾作にイライラをぶつけるばかりであった。ビビった吾作が「いや、あの、ルイズが走ったり止まったりしてるのが見えたから、てっきり、リタイアするのかな、と、あの、その」と可愛らしく弁明すると、今度はルイズにイライラをぶつけるのであった。人格者な彼は、最終的に両ドライバーを憎むことができず、今は日本にイライラしている。

2008年、前年と同様に、先生と共に遅い車で奮闘。そんな中、昨年の日本でオカマを掘られた吾作が来年のチームメイトと知らされる。「俺に、若造のサポートに回れと言うのか!?」ここから彼の逆襲が始まる。

M字開脚。Mはマークの頭文字から。サンタンデール銀行のロゴがウンコに見えるのは内緒。ツンデレーサーは後ろむいてオエー!!! 主催者もww

2009年、ようやく彼の時代がやってきた。シーズンオフのイベントで複雑骨折。死ぬかと思われたが生還、地元での開幕戦、オーストラリアGPに強行出場。第2戦、マレーシアGP。豪雨で中断した際、続行か中止かドライバーの見解も割れていた。そんな中、率先して意見を集約し、「続行は危険」と判断した彼は、まさにF1界の兄貴に相応しかった。しかし、なぜかフジテレビでは、「ワールドチャンピオンの意見を聞いて回る、マーク・ウェバーです」と、パシリ同然の評価を受けてしまう。これぞ、マーク・ウェバーである。第3戦・中国GPでは、チームメイトの吾作に次ぐ2位を獲得。このとき、実況の片山右京が「このマーク・ウェバーというドライバーは地味ですね!」と言い放つ。右京さんは「彼は、クルサードやロズベルグなど、どんなドライバーと組んでも負けたことがないんです。その彼が、このベッテルには完敗してますね」と解説、意外にスゴイ人であることが明らかになる。なお、2005年にウィリアムズでニック・ハイドフェルドと組んだときには負けているのだが、どちらも影が薄かったため、右京さんはウッカリ忘れてしまっていた。その後、第9戦・ドイツGP、彼は132戦目にして初めてのポール・ポジションを獲得。そして、132戦目にして初優勝。これは、F1で最も遅い優勝の記録であり、いかに彼がチャンスをモノにできない男かが如実に示されている。

2010年、当初から吾作のセコンド的な見方をされていた彼は、(主に吾作の自滅により)わがままリア充ツンデレらを抑えて、ポイント・ランキングのトップを快走。しかし、既にゲイ・パレスと化していたチームは、露骨に吾作を依怙贔屓。これが「イメチェン大作戦」のきっかけとなった。「セブと対等でなければヤだ!」とか「今はボクがナンバー・ワンだい!」とかをチームに要求。これが聞き入れられないと分かると、今度は世界中に向かって「最後の3戦は、肩を骨折したまま戦ってたんだ!」とか「ボクはまだまだ現役だよ!いいもん。馬小屋に行っちゃうから!!」なんてスネたかと思えば、「ボクは牛小屋でキャリアを終えたいんだ……」とデレたりしてみせた。だんだん、こいつそいつあんチクショウと、キャラがかぶってきて、F1の生物多様性が失われつつある、今日この頃である。

備考[編集]

  • 内縁の妻であるアンさんフラビオ・ブリアトーレの腹心で、マーク自身のマネージャー。ゆえに、いつも頭が上がらない。
  • 日本嫌いを公言しているが、日本のホテルが煙草臭いのをアンさんが嫌っているためである。


関連記事[編集]