ミケランジェロ

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自画像。後年の「たれぱんだ」ブームを予見しているともいわれる

ミケランジェロ(Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni, 1475年- 1564年)は、イタリアルネサンスを代表する芸術家である。そう、かの有名な『ダヴィデ』の、『最後の審判』の、『サン・ピエトロ大聖堂』のミケランジェロである。

生涯[編集]

ミケランジェロを出産した未成年の母親は、彼をフィレンツェの石工の家に里子に出した。そのせいかどうか、彫刻家として芸術への道を歩み始めた若きミケランジェロは、さぞかし神々しいまでの美青年だったことだろう。大天使ミカエルに駄目押しで「エンジェル」をくっつけた名前を持っている以上、そうであったことを願う。何にせよ、ケンカで鼻の骨をぐしゃぐしゃにされてからは、不細工で偏屈なオヤジとしての長い人生を送ることになった。

長い上に不幸続きの人生だった。パトロンのメディチ家の追放騒ぎに巻き込まれ不遇をかこった後に、ある貴族に彫刻の腕を見込まれローマに招かれてからしばらくは良かったものの、ローマ教皇ユリウス2世に気に入られてしまったのが運のつきだった。彼ははじめ自らの墓廟の制作をミケランジェロに依頼した。無論大規模なもので、ただでさえ骨が折れるというのに、途中であれこれ口を出すので、結局40年も付き合わされることになる。ミケランジェロは生涯に数え切れないほどの手紙を書いているが、大部分が教皇への不平である。暗い。

さらに酷いことには、ユリウス2世はもともと画家ではないミケランジェロに対し、システィーナ礼拝堂の天井画制作を命じる。墓廟作りの途中の時期である。ミケランジェロはしぶしぶ画に取り掛かったが、後ろ頭が背に着くほど顔を上げ、胸をめいっぱい反らせた不自然な姿勢で長時間作業したために、首には大きなコブが出来、絵筆から絵具の混じったしずくが垂れて目が悪くなった。さらに壁面にカビが生えてきたのを見てブチ切れたミケランジェロは「だから私の専門じゃないって言ったじゃありませんか」と教皇に直訴したものの一笑に付され、よほど我慢ならなかったのか、恨みつらみをソネットにして友人に送っている。教皇との険悪な関係はその後も長く続き、「壁画制作中にはしごから落としてやろうか」と脅迫されたりしている。

そんなミケランジェロの人生に一筋の光が差すのは、1542年ごろ、彼が70歳近くなってからの事である。老いらくの恋だった。相手はヴィットリア・コロンナという未亡人で、300篇以上残っているミケランジェロのの大部分は彼女に捧げられている。「ジジイのくせに」「キモい」などと言わせないように、一部引用する。

誇り高い女神よ 爽やかな君よ 御身は全てを秘めている
だが私のわざは心に背き
思うように実を結んではくれぬ


ヴィットリアは戦死した夫をずっと愛しており、片思いの状態が続いた。そしてミケランジェロが悩んでいるうちに彼女は亡くなってしまい、彼はさらに悲しみに満ちた世界に沈み込んでいった。同性愛にふけっていたレオナルド・ダ・ヴィンチとえらい差である。だから何が言いたいかというと、ホモじゃない。ホモじゃないんだ。ウィキペディアではゲイの人物」にばっちりカテゴライズしてあるが、留保しておきたいのである。以下ではそういった点をあまり気にせずに、代表作を鑑賞して頂きたい。

彫刻[編集]

ダヴィデ像[編集]

ルネサンス

イスラエルの王子ダヴィデが約3メートルの巨人ゴリアテの頭を石でかち割って殺す寸前の姿をかたどったものだが、この像は4メートル以上ある。つまり、ウィキペディアでは皮を切ってないだの何だのと書いてあるし、小ぶりにも見えるが、その辺の男と比べたら格段にでかいのである。馬鹿にしてはならない。

それよりも注目すべきはその上の趣深いのうねりであるが、この形をよく見ると、ある姿を思い浮かべずにはいられない。それはすなわち Spaghettimonster.jpeg である。ミケランジェロは神の真の姿をこの時すでに思い描いていたのである。

ピエタ(サン・ピエトロのピエタ)[編集]

ピエタピエトロピエトロピエタ

イエス・キリストの亡骸を抱え涙にむせぶ聖母マリアの図である。イエスは腰布を巻いており、写真のように横からのぞいてもギリギリのところで見えない。あくまで肉体の美しさを追求し、一糸まとわぬ姿でダヴィデを表現したミケランジェロの基準には達していなかったということだろうか。

モーセ[編集]

わるいごは いねがあ。

教皇ユリウス2世の墓廟の一部になるはずだったもの。モーセの頭に2本の角が生えているのは聖書の誤訳のせいであるとウィキペディアには書いてあるが、教皇に対する密かな反逆かもしれないし、また単なる悪ふざけかもしれない。ちなみにこれも布で隠れて見えないが、顔が面白いのでいいことにする。

絵画[編集]

アダムの創造[編集]

アダムの息子

神が最初の男アダムと指先を突き合わせ、彼に生命を吹き込む有名な場面。後に恥知らずのアメリカ人によって、映画『E.T.』などの悪質な二次創作が大量に作られた。ユリウス2世に強制されて描いたシスティーナ礼拝堂の天井画の一部であり、梯子からたたき落とされる恐怖の中でそうとう萎縮していたことは想像に難くない。だが、それにしてもこれは小さすぎはしないか。

最後の審判[編集]

掛かっているだけ

世界の終末時、イエス・キリストが「シェー」のポーズで人間たちを裁く場面。ユリウス2世亡き後システィーナ礼拝堂の祭壇に描かれた躍動感あふれる作品である。イエスは『ダヴィデ』にひけをとらぬ美男子に描かれている。当初はみなだったが、ミケランジェロの死後ダニエレ・ダ・ヴォルテッラによってほぼ全員に腰布が描き足された。これは大変残念なことであり、芸術の破壊にほかならない。裸体を極度に忌み嫌う当時の教会の方針に基づいた措置であることは確かだが、ダニエレの行為はやはり許されるものではない。神々の完全無欠なる肉体に、特にイエスの肉体に対して修正を加えたとき、彼にはいささかの良心の呵責もなかったのだろうか。

建築[編集]

ミケランジェロの業績をまんべんなく網羅するには、ここのサーバーは弱すぎる。特に建築物など取り上げようものなら、その重さで即ダウンすることだろう。しかしながら、『サン・ピエトロ大聖堂』の改築は彼の最後の大仕事であり、歴史的意義からしても外せないので、ごく簡単にふれておくと、最終的な改築プランを立てたのがミケランジェロなのである。ラファエロブラマンテなど優秀な人物が多数関わっていながら工事が40年以上もダラダラ続いていたこのお堂の建築主任の座がたらい回しされてミケランジェロのところに来たのは72歳の時だったにも関わらず見事な設計図を書きあげ、それに従って作られたものが現在までしっかりと残っている。観光客に向かってにこやかに手を振っていらっしゃるバカチン市国の教皇様がお住まいの宮殿の隣である。

ルネッサンス![編集]

本項目執筆から数日後の2012年6月27日、ウィキペディアのページに大幅な加筆がなされた。これによってミケランジェロはようやくゲイ疑惑から解放され、ダヴィデの息子は誇りを取り戻したのである。Brava!Brava!