ミャオ族

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太古におけるミャオ族の男性。どう見ても猫である。
太古におけるミャオ族の女性。現代の猫耳と比べて原始的な印象が否めない。

ミャオ族(ミャオぞく、苗族)とは、中国の南の辺境に大昔から住んでいる民族。三苗、有苗とも呼ばれた。黄帝一派との抗争に敗れた蚩尤の子孫を自認するが、真実は未だ謎に包まれている。身体的特徴としては、ほぼであったが、二足歩行することができ、ただの猫よりは人間に近いため、中華の人からは獣偏を外して「」と呼ばれた。しかしながら、実は苗のほうが先で彼らから枝分かれした動物を「猫」と名付けたのだという有力説もある。そうすると彼らは猫の先祖ということになり、ダーウィンもびっくりである。

現代において、多くは長期間の漢民族との混血により身体的特徴がより人間に近いいわゆる猫耳族を形成しており、彼らの民族的アイコンである猫耳は日本でも人気を博している。

特徴[編集]

古代においては、ほぼ猫であったと考えられている。戦国時代から前漢初頭にかけて成立した『山海経』海外南経によれば彼らには「相隨」すなわち「前後にぞろぞろと列をなして歩くクセ」があったとされ、まだほぼ猫であった頃の猫らしい行動をよく記録している。二足歩行する猫がぞろぞろ歩く様子は想像すると割と不気味かもしれない。

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また太古のミャオ族には翼が生えていた。『山海経』大荒北経には「翼がある」と書かれている。時代が下り、六朝頃の成立と考えられている『神異経』西荒経にも「顔や手足は人間のようだが、脇の下に翼が生えている。飛ぶことはできない」と似たようなことが記されている。この遺伝子は古代ミャオ族が猫と猫耳族に分化した際、猫の側に受け継がれ、中国を含む世界各地で記録される「翼猫(天使猫)」となった。また現行『山海経』は「三苗」は一説に「三毛」とも呼ばれていたと記す。いわゆる三毛猫は、彼らの子孫である。

それから1500年近くの時が流れ、残念ながら現代ミャオ族の大半は猫耳くらいしか猫要素が残っていない。しかし正月のお祭りや漢民族への反乱といったイベントの際には、興奮のあまりつい太古の遺伝子を暴走させてしまうことがあるようだ。

歴史[編集]

ミャオ族は神話時代に生きていた渾沌(こんとん)、窮奇(きゅうき)、饕餮(とうてつ)という3つの怪物の末裔であるとされる。ところで、文献に記録された彼らの特徴を列挙すると、

  • 渾沌…「のようで毛が長く、足は4つ、ヒグマに似ているが爪はない」(『神異経』西荒経)
  • 窮奇…「のようでハリネズミのような毛がある。鳴き声はのよう。人を食う」(『山海経』西山経次四経)「形はのようで、翼がある。人を食う」(『山海経』海内北経および『神異経』西北荒経)
  • 饕餮…「の身体にヒトの顔。目が腋の下にある。のような歯とヒトのような爪。鳴き声は赤子のよう。名付けて狍鴞と言う。人を食う」(『山海経』北山経次二経、狍鴞は饕餮と同一とされる)

……とあり、あらゆる動物(人間を含む)のあいのこである事がわかる。しかも3つのうち2つまでが人食いの怪物であり、彼らが混じり合って愛らしいの民が生まれたのは間違いなく生命の神秘である。そしてこれだけバリエーション豊かな動物が次々に登場しているにもかかわらず猫(当時は「狸」)について一切言及がないのが最大の謎というか奇跡である。ちなみに神異経に記された窮奇の姿が最もミャオ族に近い。

その後ミャオ族の首領のひとり論戚誼[1]は、五帝のひとりであるに帝位を譲ることに反対し堯の息子と一緒になって反乱を起こしたが失敗、首領たちは殺され、生き残ったミャオ族は南へ南へと逃げていった。この逃亡劇にも猫のようなすばしっこい逃げ足が一役買ったに違いない。ともあれ、南方に猫の額くらいの土地を発見し、そこにミャオ族のオアシスである「三苗国」を建国した。しかしこの時刻まれた中華王朝への恨みはその後もときおり噴出し、「猫は七代祟る」どころか3000年以上にわたって思い出したように反乱を起こしたり、鎮圧されたりしながらなんだかんだで現代に至る。

蚩尤。間違いなく猫であり、ミャオ族の主張もあながち荒唐無稽とは言えないだろう。

その他、五帝の一人である顓頊の子孫だという説もある。また最近では猫としての民族意識に目覚めたのか、はたまた中二病を発症してダークヒーローに憧れたのか定かでないが、中華の大悪神である蚩尤の末裔を自称し漢民族の祖である黄帝と天下を争ったのだと主張している。

習俗[編集]

歌や踊り、そしてヲタク集会を好む。銀細工によるピンバッジ製作やラミネート加工を得意とする。民族衣装は通称コスプレと呼ばれ、非常に特徴的。旧正月発情期には、「打背節」と呼ばれる、若い男女が背中を叩きあった後に竹筒製の糸電話で愛の告白を行うという奇祭がある。自分たちがあまりにも人里離れた山岳地帯に居住しているために、自分たちが雲海に浮かぶ浮遊大陸にいると勘違いしている節がある。

ミャオ語[編集]

歴史家の司馬遷は、史記を書くための取材旅行でミャオ族の居住地を訪れたが、彼らが何を言っているのかさっぱり分からなかったらしく、史記に書かれている黄帝の物語は彼らの言葉を諸子百家の書物を片手に独自解釈したものである。ところで現代においては、何故か名古屋周辺で話されているという噂がある。あの豊臣秀吉ねねと二人っきりの時はミャオ語で会話していたという目撃談もあるが、彼は猫よりもに近縁な生き物なので信憑性は限りなく低い。

なお、現代の日本人がミャオ族の言葉を聞いて「さすが猫のような声だ」と感心したりする人がたまにいるが、それはただの中国語である。


脚注[編集]

  1. ^ 彼らの軍隊は足の裏に魚の血を塗ることで水の上を歩くという妖術を身に着けていた。ほぼ化け猫である。