モーセ

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
モーゼから転送)
移動: 案内検索

モーセ(またはモーゼ、誕生年は紀元前のどこか。少なくともイエスよりも前に生誕したが、祖国が崩壊して戸籍がないので正確な年代は不明)は、彼自身のキャリアで唯一の失敗とされる架橋の欠陥工事で、多数のエジプト人死傷者を出した設計士として知られる。あくまでも設計ミスを犯しただけの人であるが、不幸にも『十戒』なる書物を神から頂いてしまったために、「預言者」なる有り難くない称号を付けられてしまった。おかげさまで後世のユダヤ教徒にとって重要な人物とされてしまった人のことでもある。

生涯[編集]

まだ何も知らない頃から[編集]

エジプトで生まれたモーセは、自分の祖国が既に崩壊したイスラエルであることも知らず、壮年の頃までエジプト人として平々凡々な生活を送ってきた。その間に設計士として生計を立てるようになり、中でも大掛かりな仕事となったピラミッド群の建て替え工事では総監督として、中から数多くの財宝と王のミイラ達を別の場所に埋葬する作業を指揮している。中をすっかり空っぽにして入り口も蓋をしてしまった後、隣のスフィンクスもろとも砂中に埋めてしまい、紀元後のずっと後まで秘密を保持する作業まで行う手際の良さを見せている。なお、現在のところピラミッド内部にあったとされる、時価総額が計算不能なほど遺物の数々はサッパリ見つからない。どうやらモーセが、とある資金源とするべく後世に託したとまことしやかに伝わっているが、確証は何も得られていない。これについては後述する。

知ってしまったあの日から[編集]

建築士としての名声も高まったある日、モーセのもとにファラオからナイル川下流域に橋を架ける命令が下された。測量で訪れた現地のアレキサンドリアで彼は、たまたま入った図書館で古い住民票を発見。その中に一族と本籍地が記されていることに気づいた彼は、自身が本当はユダヤの王族出身だったことを知ってしまう。しかし後世の研究によれば、住民票を偽造したユダヤ人に図られたものと考えられているが、確たる証拠にもとづいたものではない

古文書との運命的な出会いをしてしまったモーセはそれ以来、夜な夜な姿無き声に悩まされることとなり、エジプト人へのあらぬ憎悪と復讐心に燃えるようになっていった。これに関しても、彼を担ぎ出そうとするユダヤ人が夜ごと、枕元で耳打ちしていたらしいが、確証は何も残っていないノイローゼ気味になったモーセは次第にユダヤ人グループに接近して、エジプト人の子供だけを誘拐する計画に加担していった。モーセはこの計画に、襲撃予定屋敷の玄関ドアに印を付ける役目で参加しており、多くのエジプト人子弟が犠牲になったと伝わっているが、これに関してモーセは神への生け贄であるとして、後々になっても罪状を認める言動を一切行っていない。また生け贄となったとする確証が何も得られないことから、誘拐した後、彼ら彼女らがどうなったのかサッパリ分からない。一説には、検閲により削除とも伝わっているがこれも確証はない

逃亡の果てに[編集]

そして自身がユダヤの王様として、エジプトで虐げられているユダヤ人を煽動して故郷に帰ることを、神のお告げとして企てるようになってしまった。これに関しても確証は現在何一つ存在していないが、いずれにせよ、モーセは大逃亡作戦の決行日を渡り初めの日に定めた。工事に手間取っていたナイル川架橋の工事が落成式を迎えるのに際し、モーセは安全性を確かめるためにユダヤ人を使って渡り初めさせる許可を得た。計画通りエジプト中のユダヤ人を集めてきたモーセは、彼らを率いて渡り終えたが、もちろん片道のみであり、ユダヤ人の集団は渡河後、戻ること無く一斉に北を目指して逃走を開始した。戻って来ないユダヤ人の集団に不穏な動きを察したファラオは、すぐさま武装集団を用いて追撃させたが、その橋が崩落して多数のエジプト人の命を奪ってしまった。この事故に関しては諸説あるが、大別するとモーセの寝不足による強度計算ミスで崩落した、あるいはモーセが意図的に崩落しやすいように設計した、またはありもしない神のお導き、と三派に分かれるが、いずれの説も確証が何も得られない

こうしてエジプトを脱出したユダヤ人の一団を率いたモーセは、一路、故郷のイスラエルへ戻る旅路についた。その道中でモーセは道ばたに落ちていた散り散りの紙片を集めていたところ、またしても神のお告げを聞いたとして、膨大な紙切れを正しいページに並べ直す作業に没頭した。それは大逃亡を妨げるほど困難を極めたため、追撃を恐れるモーセ以外のほぼ全てのユダヤ人は彼だけを残して先にイスラエルへ向かってしまった。一睡もせずに没頭していたモーセは、周囲に誰もいなくなっていたことに気づいて激怒したが、それに相手してくれる者は周囲に誰もいない有様であった。結局彼はここで絶命して生涯を終える。

このあたりの民衆に見放された失敗を、後世に最大のペテン師として忌み嫌われるイエスが教訓としたかどうかは分からないが、少なくともモーセより上手くやりおおせたと見て間違いないとする見解は、共通認識として大勢を占める。

残されたもの[編集]

モーセの死後、数百年の年月が流れたある日、大脱走の末に打ち立てたイスラエル王国が崩壊した。再び故郷を追われた彼らの子孫は、荒野の岩陰で謎のミイラを発見した。それがモーセであることは程なく判明するが、それとともにいくつかの遺品を発見した。編集作業中の紙片が、彼が寝食を惜しんでまで編集していたとする、子孫の間で語り継がれていた神から与えらた書物の言い伝えと一致したのである。彼らはこれを『十戒』と名付けてユダヤ人の生活規範、教義とした。ただし、不幸にも並べ方を間違ったページがいくつかあるらしく、理不尽な決まりごとまで出来上がってしまっているものの、故郷滅亡後の気持ちの拠り所として熱狂的に信仰されてきたので、今ではあまりに素晴らしすぎて誰もそれをおかしいとは感じていない。そして与えられたモーセを「預言者」として祭り上げることで、彼らの祖先がモーセを放置して行ってしまったことを歴史から完全に抹殺してしまった。 もうひとつ、重要な遺品としてモーセ自身が書き記したノートが見つかったが、ここに書き記されていたものは当初は愚痴しか書き連ねられておらず読むに値しない酷い内容であったが、次第にモーセの理不尽な怨念めいた文章が増えていくに従って、八つ当たり気味で過激な復讐心をノートにぶつけたと思われる内容へと変わり、憎悪の対象として具体的な個人名や国家名、団体名までもが記されていた。このモーセ・ノートは世界中を流浪するユダヤ人の間に広まり、いつか故郷を復興した際に復讐を遂げるべき相手として心に刻み込まれていった。十戒から得られる教訓として「一族郎党皆殺し」や「毒喰らわば皿まで」を復習の定義としており、現在も幅広い報復活動を繰り広げることが可能である。なお、敵勢力をカウントすると自分たち以外は全て敵になるという分かりやすい結論を得たため、他の者は地獄へ送り込むべき民族とする排他的思想を、必然的結果として受け入れることになる。

失われたもの[編集]

モーセの業績で至極まっとうなものの一つがピラミッド再建工事であるが、この際に失われたピラミッド内部に大量にあった遺物群の在処は先述のノートに散見された模様。本来はファラオの命で別の場所に保管したことになっているが、豹変したモーセによって全く別の場所に埋設されてしまった。後世のユダヤ人はこれを曲解して、復習のための資金源としていつか掘り出す計画を立てていたとされる。そして、ローマもエジプトも滅んだ後のイスラームの支配下の頃、密かに掘り出されたと推定されるが、正確な時期は分からない。時価総額計算不能な莫大な資金を手に入れたユダヤ人は、フリーメイソンを結成して次第に世界の様々な局面に重大な影響力を持つようになった。特に2度の世界大戦を含む数多くの近現代の戦争において、物量や資金面で主導権を握ることができたのは、このモーセの遺産があればこそと考えられるが確証は残されていない

さて、数々のモーセの生涯とその後の影響については、これまで多くの研究がなされてきたが、残念ながらそのほとんどは確証が失われている。その原因として想定されているのが、全世界に散らばるユダヤ人とフリーメイソンの手による、組織的な歴史改竄が行われたためである。

関連項目[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「モーセ」の項目を執筆しています。