ユカバ

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ユカバ
分類
: 動物界 Animalia
: 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
: 哺乳綱 Mammalia
亜綱 : 獣亜綱 Theria
: 鯨偶蹄目 Cetartiodactyla
: カバ科
: カバ属 Hippopotamus
: ユカバ H. oilbius
学名
Hippopotamus oilbius
和名
ユカバ(絶滅種)
英名
Oil hippopotamus


ユカバ(油河馬、学名:Hippopotamus oilbius英語名:Oil hippopotamus)は、かつて日本に生息していた鯨偶蹄目のカバ属動物。現生のカバに非常に近く、同じ属に分類される。海に生息したウミユカバと山に生息していたヤマユカバの2種類があった。大伴家持による『万葉集』長歌にも歌われている動物であったが、油脂を利用するために乱獲され、絶滅している。

概要[編集]

(イメージ)海中のウミユカバ
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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「カバ」の項目を執筆しています。
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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「ウミユカバ」の項目を執筆しています。

ユカバおよびカバが属する鯨偶蹄目は、旧来の偶蹄目(ウシ目)とクジラ目の類縁関係が見直され、統一されたことで成立した分類群である。鯨偶蹄目の中では、クジラと最も近縁な生物はカバであることが判明している。

ユカバはカバの近縁種であるが、クジラと同じく厚い皮下脂肪層を持っていた。このことから、有史以前からクジラを利用してきた日本人は、ユカバもクジラ同様に食肉・油脂の採集に利用していた。

ユカバの乱獲が起きたのは天平年間以降である。大伴家持(718-785年)が生きていた聖武天皇・孝謙天皇・淳仁天皇の時代は、災害や疫病の多発、長屋王の乱(729年)、藤原広嗣の乱(740年)、東大寺盧舎那仏像(奈良の大仏)の建立(752年開眼)、弓削道鏡の台頭、藤原仲麻呂の乱(764年)と、多事多難であった。

これらの工事および事件に必要な油脂資材(主に工事・軍事用の松明の燃料)確保のために、大量のユカバ(油河馬)が捕らえられて殺された。絶滅前のユカバが良く見かけられた光景は、前述の家持の長歌にも現れている。絶滅時期については、確実な文献は残っていないが、奈良の大仏開眼の後(760年前後)ごろであろうと推定されている。

万葉集[編集]

大伴家持の歌は『万葉集』巻十八「賀陸奥国出金詔書歌」に収められている。関係部分を以下に示す。

海油河馬」(うみゆかば 水付」(みづ河馬」(かば山油河馬」(やまゆかば」(河馬」(かば大君」(おおきみ」(にこそ死なめ
かへりみはせじ

現代語訳

ウミユカバは 水につかっているカバである。
ヤマユカバは 草を食うカバである。
(このように恵まれた国を創って下さった)
天皇陛下の 足元にこそ死のう。
後悔することは無い。

この詩は明治時代に誤字による誤解を含む形で伝えられ、1937年(昭和12年)の信時潔による曲をつけた軍歌『海ゆかば』として、広く流布した。

また、上記のほかにも、万葉集にはユカバについての短歌が収録されている。

大伴旅人 大和道の 吉備の児島を 過ぎて油河馬 筑紫の児島 思ほえむかも
笠金村  我が背子が 跡踏み求め 追ひ油河馬 紀の関守 い留めてむかも
山部赤人 沖つ島 荒礒の玉藻 潮干満ち い隠り油河馬 思ほえむかも
大伴家持 我妹子が やどの籬を 見に油河馬 けだし門より 帰してむかも
大伴家持 浜辺より 我が打ち油河馬 海辺より 迎へも来ぬか 海人の釣舟

特徴[編集]

油河馬を描いたと伝えられる図(平安時代)。しかし、どれがユカバであるかは判別できない。

弘仁年間(820年ごろ)に成立したと考えられている『日本霊異記』によると、ヤマユカバの体長は約9尺(1尺約30cmとすると2.7m程度)であり、現生のアフリカのカバ(4m弱)に比べるとかなり小型であった。ウミユカバは各地の口伝から百数十m程あったと推察されるが、ウミユカバもヤマユカバも、獰猛な上に人が近づくと糞を尻尾で撒き散らすため、生け捕りするよりも遠方から槍や銛を投げてしとめたという。

利用[編集]

上古ではユカバの肉も一般に食べられていたが、仏教伝来の影響もあって奈良時代以降は貴族社会ではユカバは食用になることは無かった。しかしながら、ヤマユカバの外観は豚や猪と似ていることもあって、庶民は山豚として食べていたという。

また、カバは「赤い汗」を出すことが知られているが、本種も同様であった。前述の通り、生きているユカバには人が近づきにくいため、「紅豆猥(油河馬の赤い汗)」は秘薬として珍重された。一説によると、道鏡はこの秘薬をもって孝謙太上天皇(上皇)に取り入ったとも伝えられる。

関連項目[編集]