ヨハン・ゼバスティアン・バッハ

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
移動: 案内, 検索
Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディアの専門家気取りたちが「ヨハン・ゼバスティアン・バッハ」の項目を執筆しています。
ヨハン・セバスティアン・バッハ
「されど、ただ一つ、ただ一つ、いかなる死の脅迫ありとても、バッハは人間なりと仰せらるべからざりし。」
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ について、三島由紀夫『英霊の声』

ヨハン・セバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach、1685年3月21日 - 2750年7月28日)とは、1685年に最強精鋭部隊・イエズス会が(カトリック・プロテスタントの別は宗教的拡大路線の前には虚しい)なぜバスティアンかというと、ドイツ語の“s”の発音は英語と違って濁るから。なお、読み進めてみればお分かり頂けるかと思うが、バッハイズムは時折ヴァンダリズムと区別がつかなくなる。ああ、恐ろしい。

セバスチャンなだけに執事みたいなもん。主に貴族達によって観賞用のキーボードクラッシャーとして使用された。同年製造の姉妹品として、借金執事ロボ「ヘンデル」や、ピアノソナタ量産型「スカルラッティ」などが有名。

音楽の授業で時たまバッハをパパ、ヘンデルをママとして生まれた子供が音楽である、と説明される。そのこと自体が日本神話に於ける創世記の悪しきパロディーであり、第一ヘンデルもバッハも設定上男なので、やおいどころかエログロになってしまう。そんな悪夢的ファンタジーで純真なこども達を煙に巻いてはいけないダメ、ゼッタイ。但し、この二人を適当に折衷するだけで大抵の音楽が基本的な理論・表現面に限れば説明できてしまうのは事実。  勿論それらは退化した聴衆(アドルノ風)にとってオタッキー過ぎる専門概念のやり取りでしかないから、そんな話をしてるとドビュッシー先生辺りに嘲笑されるのがオチです。

目次

[編集] 人物(?)と歴史

頭髪に見えるのは着脱式の放熱器で、原子炉が直下にある。だからかつて研究対象として墓を荒らされ、機体の残骸が調査された際も、放射線注意の警告(核のマーク)を調査員らは目にしたはずである。彼らはことごとく急性障害で肉体放棄を余儀なくされたに違いない。かくしてこの史実は歴史の闇に葬られた。

危険であるにも拘らず核反応をエネルギー源としたのは、イエズス会士の匠(たくみ)らが(他の厳かな施設と同様の主義を汲み)機体を通じて天上界を地上に再現するにあたり、その中心に燦燦たる太陽、或いはそれが象徴し得るものをどうしても置きたかったからである。つまりこの場合原子炉は正義の象徴なのだ(我らが神は堅き砦!!!)。ついでに、人体の形状を模した外殻は熊のように大ぶりだったと伝えられる。

鼻から牛乳の出る様。
バッハも牛乳屋を始めたようです

稼働中「ちゃらりーん、鼻から牛乳」で一発ブレイクしてメルトダウンを起こし、模倣イタイ法(執拗な反復動作で敵を気味悪がらせる兵法の一つ)というものの過剰な実行が止まらなくなった。(注意:NHKによる作為的自作自演。決してバッハは関係ない。)死の灰による犠牲者を増やさないために大都市への搬入は見送られ続け、地方ばかりをたらい回しにされたため残りの稼動期間を専属スタッフに囲まれて孤独に過ごした。

晩年にはそれを見かねたフリードリヒ二世がお情けで形だけ戦力にしようと面接試験も行われたが、課題として王様直々に奏でたメロディーを勝手に改悪した上に、後日無数の類題を自作と偽り王に送りつける有様。その後大著「逃げさせる技術」執筆中に自身が物理的肉体を廃棄し、以降は複数の統合思念体とグルで現在に至るまでごく一部のイタイ法耐性者を見つけ出しては自身と並列化を繰り返してきた。この傾向は後にソ連が建前としては「大衆を混乱させるだけである」、本音としては「同志が並列化されて我々のパーティーから早引きしちゃう」ことを理由に大いなる敵と看做すこととなった。ナチスはおそらく気づいている?

という訳で、結局プログラムが想定の範囲外の暴走を起こしたため、イエズス会の目論見とは全然違うものが広まってしまった訳である。

ついでながら述べておけば、歴史的な有名人のうち、耐性者と判明しているのは、彼以降の作曲家でショパン以外の全員(ショパンも悔しいので執拗な反復だけはよく使う)と現代のピアニストヴァイオリニストの多くである。

あ、勿論ショパン弾きは除外ね。

[編集] 演奏と受容

彼の作品(?)の譜面は概ね数学的に互いに相似な無数の図形が折り重なった形(模倣イタイ法に則った書式)で記され、ダブって見えるので目に悪く、耐性者は分析と称してそれらを意味もなく全部体系付けようと精を出す傾向にある。しかし所詮演算で人間は機械に勝てない。そしてまたこういった傾向を見たまんま受け取って突き詰めるトンデモも居り、例えばI.クセナキス(1922年~)はマジで音楽語法に構造主義的解釈を持ち込み、コンピュータ上でサイコロを振りまくって、誰が見ても『気色悪さの極致』と言って呻く様なマックロクロスケゲジゲジウヨウヨを量産するシステムを構築した。

演奏に際しては、図形を無理矢理音に直す、及び個々の楽器の特性を完全に無視した譜面を気合でなんとかする等、莫大な量の情報操作や駆け引きが待っている。もはやエクストリームスポーツ。特に、白いおたまじゃくしがいっぱいある曲は暗譜したつもりでも弾いていてる最中に混乱や堂々巡りに陥ることがある。←無伴奏ヴァイオリンソナタ3番の第2楽章は時間芸術作品として欠陥品です!!しかし、そんなに苦労しても幸か不幸かそもそも作品の大部分が音色の変化や感情の起伏(人間的ニュアンス)をあえて無視する傾向にあるせいで、実際に音になったものは耐性者以外には子守唄程度の影響も与えない。

なお、彼と彼の無数の使徒たちが多用しまくる音楽形式「フーガ」は、それを強引に鑑賞させられた非耐性者の生理反応に基づき遁走曲と和訳される。

[編集] 主要な作品群

特に過剰摂取が中二病を著しく亢進する症例が報告されています。以下にリストアップしていないものも含め、ドイツ音楽は用法・用量を守って正しくご鑑賞ください。

補足:下記の「BWV」と言うのは「バッハの(Bach)作品の(Werke)整理番号(Vangou)」の略で(BMWではない)、上級者はこれだけでも個々の楽曲の特定が出来、普段接している数字が偶然好きな楽曲のBWVと一致しただけでファビョりだし得る。感覚としては「かってに改蔵」の「ダメ絶対音感」ネタ級。敢えて言えば、この整理法は、国際的に普遍性を持っている点以外では役に立つまい。全く同一の概念に2つ以上のラベリングをすれば混乱し、或いはかさばるばかりである(類似品……ドレミとCDE、五線紙とタブ譜、比喩を文面どうりにとるとアレなもの、などなど)。

[編集] 器楽曲(『気がくるって根性ががっている』こと。面倒なので楽器指定無いものは此処に迎合。)

  • 平均クラヴィーア曲集 ~episode1~

古今東西のキーボードクラッシャー達にとっての聖書らしい。何箇所か狂気とも取れるバグをおこしているので紹介する。

第一番ハ長調の後奏曲は無味乾燥なテーマを用い、代償として間奏がごっそり抜け落ちている。
第七番変ホ長調の前奏曲はD.ショスタコーヴィチのOp.87の第十番の前奏曲と異時間同位体の関係である事が判明。
第十番ホ短調の後奏曲は…… 何故ユニゾン? な箇所が。納得できない。考えただけで苛苛してきた。即ち演奏後にチェンバロを素手で粉砕することを義務としている。
第十六番ト短調の後奏曲は、何故か悪い手本として色々な教科書に採用されている。可哀想。
第二十二番遍路短調の後奏曲。本曲集最凶のバグ。声部の関係に注意しながら53小節目まで辿ると、計算機らしからぬ混乱がスルーされているのが分かる。
  • 平均クラヴィーア曲集 ~episode2~

構造的にはepisode1と何も変わらない。しかし人々からムラがどうしても目立つんですよね、と頻繁に指摘される。計算機のくせに。ひょっとすると暴走前のプログラムが一瞬復活しかけていたのかもしれない。

因みに、玄人受けの大変良い第二十二番のセットは、一般人が聞くとくぁwせdrftgyふじこlp。同様に第二十番の前奏曲はお察しください

但し同系列であるにもかかわらず、第十四番(五番も、八番も可)のセットは一般受けし得る。では両者で何が違うのかというと、「転調しない割に半音階を乱用するかしないか」及び「マクロな視点で見た場合にリズム(テンポじゃないよ)に変化が無いかあるか」、という事に尽きる。

  • 管弦楽組曲

有名な「ゲーセン上のAir」も含まれる。4つの組曲のセットだが、日本人は2番(曲集唯一の短調)が好きらしい。そんなに暗いのが好きか

  • ブランデンブルグ協奏曲

多楽章協奏曲6つのセット。単一楽章ごとに評価した際、往々にして最も高い評価を受けるのは第3番の第2楽章である。譜面どうりに演奏しても究極の簡明さと刹那・永遠両極の過渡を聴き手に知覚させ、また創造的な演奏家によって無限に可能性が広がるためである。何なら第3番を取り上げた演奏会のパンフレットを任意で見つけて持ってきて欲しい。第2楽章についての奏者の取り組み方ばかり書かれているはずだ。

  • BWV547

後にベートーヴェンが「皇帝」、坂本九が「上を向いて歩こう」で同型のテーマを用いるようバッハが仕向けた。だって同じなんだもん。

  • 音楽の捧げもの

フリードリヒ2世を臣民、いや「物言う道具」の分際で陵辱(前述)した成果。当時バッハは老朽化が進み、全部書くのは致命的なエネルギー浪費だったらしく、先ず曲集全体を完全にシンメトリックな構造とすることで手間を半減した。また、表向きは「なぞなぞ」だが、実質的に「後は考えてコピペしてね」と同義な曲が大半を占める。演奏楽器の指定すらしていない。……いや、そもそも一部は曲と呼べるのか?

さて、基本テーマは、くぁwせdrftgyふじこlp。どの曲を見ても、くぁwせdrftgyふじこlp。「蟹のカノン」という曲まである。そんなに三島由紀夫が嫌いか!

  • BWV552

変ホ長調というフラット三つの調ハレ晴レなんとか、或いはショスタコ交響曲7番(下述)のボレロもどきもである事を初めとして、幾つかのレヴェルにおいて曲が「三位一体の象徴」だし演奏効果上がるし主題の冒頭音型似てなくないし宗教的陶酔に満ちている、何より多重フーガなので、ハルヒ(一期)のマラ8と交換可能である。

  • 無伴奏シリーズ

先生ごとに解釈が全然違い、そもそも現代の楽器で譜面どうりに弾けないし響きもごついし不快。てゆーか教える側はせめてもっと真摯で素直な視野と合理的精神を保って、将来的展望真っ暗な音大生をこれ以上路頭に迷わすな! 複旋律、即ちイタイ法が、本当にイタくなってどうする! という訳で、業界的にどう見てもイジメです。本当にありがとうございました。 諸悪の根源は、実技を軽んじ続ける悪性新生物的支配層です。でもこれ以上は危険なので言いません。

  • ゴルドベルク変奏曲

「ゴルトベルク」、「ゴルドベルグ」と本によって表記が違うが、そもそも正式名称は全然違うものなので無視。当初不眠症の治療薬として開発されたが、これは一種のショック療法を目指したものであり、アリアからver.1に移る際の一撃で不整脈を起こし、3の倍数のver.ごとに頭を酷使させて低血糖症を誘発させ、ver.25のギリギリインチキ和声で統合失調症を患わせ、結果的に長い昏睡や永眠に被験者を導く。思い返せば確かガイナックス作品で多用されていたような…… 庵野監督、お前もか。

  • 逃げさせる技術

物理的に肉体を放棄する羽目になった意欲作。彼の「絶筆」が含まれるとされるが、他にも「絶筆」(フーガっぽいコラール編曲:天蓋領域に我今歩み寄り)がある。即ち、晩年に於いてバッハは複数の義体を同時に操っていた可能性が高い。前述した内容の延長になるが、この曲集は全然転調しないくせに消化不良を起こすほど半音階で流れてゆくか、感覚的な変化に乏しい。要は素っ気無い、禁欲的といってもいいかも知れん。……ひょっとすると、無理矢理鑑賞させ「逃げさせる」事を目指して創ったのではなく、そもそも諦観を以って「別に聴いてくれなくてもいいよ」という境地に達していたのかもしれない。この曲集も楽器指定データが吹っ飛んでいる。

(テクニック一覧)
1.とりあえず逃げろ/2.スキップで逃げろ/3.反対方向に逃げろ/4.反対方向に早く逃げろ
5.あっちこっちに逃げろ/6.倍の速さで逃げろ/7.倍の遅さで逃げろ
8.三人連れで逃げろ/9.二人連れで逃げろ/10.二人連れと幽体離脱で逃げろ
11.三人連れであっちこっちに逃げろ/12.鏡の世界に逃げろ
13.鏡の世界でスキップしてあっちこっちに逃げろ
14.三人で逃げろ、その中に俺も入れてくれ(途中で逃げ切れなくなるが気にするな)
15.ひたすら逃げ続けろ/16.振り出しに戻ってもう一度逃げろ①/17.同②
18.倍の遅さで反対方向に逃げ、振り出しに戻ってもう一度倍の遅さで反対方向に逃げろ
  • BWV578

小フーガト調っていうね。確かに定義上フーガだ。学校教育に取り入れられて日本人の教養となり、故にそれを逆手に取った「ハゲの歌」も支持された。  ああしかし。実態は、主唱が日本の陰音階に近い音列を歩み、故に(表層を愛でる素人の)日本人を「(難しいと皆が言う)バッハを分かった、共感した」気にさせる、というだけの事。だから玄人と自称する立場の日本人は、「大衆に媚びてるなんてバッハじゃねえ」として、学術的立場からこの曲を偽作とする研究者の肩を持つ。何れにせよメルトダウンを起こす前後の稼動初期段階の出力作品として、知名度の点で「ちゃらりーん」と双璧をなすものである。 

  • BWV532

↑直上の曲と出力時期が似てるから紹介する。オルガン曲で、足鍵盤を用いる事も同じ。ただ、以下の2点で異様だ。

その1 後奏曲の主唱が暴走族の「ぱらりらぱらりら」である。即ち、このモティーフのパロディを、暴走族は奏で続けるのだ、「ゴッドファーザー」等と並んで。これはおそらく、不良少年らが実は耐性者であり、こういう形でバッハへの畏敬を表現し、音の媒質(ジョン・ケイジ風)に放出するためと思われる。
その2 足鍵盤、即ち靴べらみたいなのがずらっと並んでいるのを手で鍵盤演奏しているときに同時に独立したパートとしてガシガシ踏んで演奏するのだが、フツーに超高速「パらリら…」を足でも演奏するので、生身の身体には耐え難い。これも、バッハが機械の一種であった事の支持材料である。

聴イテハイケナイ、逃ナサイ・・・

[編集] 声楽曲(『人間性が朽ち、捩じげられている』こと。)

カンタータ156番でもよい。通称は“Ich steh' mit einen Fuss im Grabe”。和訳すると、「私は片足を墓に突っ込んで立っている」そうか、この曲にこのBWVを与えた研究者の狙いは、そういう事なんですね(?)。  あと、この曲の序部はBWV1056(或いは鍵盤協奏曲5番へ短調)の第2楽章に転用されてます。

  • ロ短調ミサ曲

モロ継ぎ接ぎ、専属スタッフの補完説があっても高評価。「神偉えぞ」「貴理江偉えぞ」「ばんざーい」「戦争反対!!」「四重近接遁走曲」「あなただけが好きなの!」「死者復活の過程」「3×9=27とす」等の古典的メドレーであり、要は普通のミサです。

  • 喧しい、黙れ!(コーヒーカンタータ)

コルトヘルク変奏曲に対抗して、長い眠りを打破する目的での覚せい剤乱用を奨励・宣伝するために開発されたもの。ヤク中の女がその魅力をたっぷり語ってくれるぞ。ちなみにオチがついているらしいが、スポンサー企業(喫茶店)への配慮が原因でつまらなくなっています。

  • 我らが神は堅き砦

上で一瞬触れられた有名カンタータ。ごてごてしている。もっさりしている。玄人は好きなんじゃないの、こういうの。

  • ミサ曲ト短調 BWV235

クンツォ!ってな感じで、アハ☆

[編集] 「結局、フーガとかカノンって何よ」

以下の例えは密教が自身の真理を○ックスになぞらえている事ぐらいに衒学的である。文面どうりに受け取ってしまわぬよう、荻生徂徠先生の原典直読主義に則って、ドイツ語を勉強してベーレンライター社の厚い本を日本語抜きで使いこなせるようにして、もう一度読んでみよう。同じものが全く異なる表情を見せる事を知る快感は、フーガ的語法に基づくゲシュタルトの把握によっても得られるのだよ。それにしては人生とは短いものだ。

カノンとは、「かえるのうた」の事であり、「パッヘルベルのカノン」は「かえるのうた」の冒頭2小節を引き伸ばして上下逆さまにして執拗に反復して飾り立てただけだから、結局「カノンはかえるのうた」で充分である。一寸齧れば「永久に終わらないかえるのうた」も容易に作れる。是非拷問等に役立ててほしい。

フーガとは、「かえるの受精卵」の心象の写実であり、細胞がコピーを繰り返して増殖し個々の器官となり、それらが統合されて一個のおたまじゃくしとして振舞うまでの様子を、映像録画装置のない時代に背伸びして「五線紙上のおたまじゃくしの群れ」として写し取ったものである。だから、とっくの昔に時代遅れの悪ふざけになってても可笑しくないが、そうは統合思念体とバッハが卸さない。

[編集] 刺客列伝(バッハ風の物への主たるトッピング史)

F.J.ハイドン(1732~1809)は、リズムや和声にメリハリをつけて多少フーガっぽくないキャッチーなフーガを書いた。いい意味で、時代の流れである。

W.A.W.A.W.A.モーツァルト(1756~1791)は、輪唱(カノン)に下ネタ・空耳アワー・個人の誹謗中傷等を盛り込み、2台のピアノのために突発的にでかいフーガを書くなどして変な方向に行ったため自分で育てていたはずの「退化した聴衆」に見捨てられて死んだ。定説としては、晩年の彼が唯一個性的・汎時代的な輝きを見せたのは、「交響曲40番」終楽章展開部のフガート(例によって例の如く)に先立つセリー主題に於いてである。

L.V.ベートーヴェン(1770~1827)は、個人を蔑む輪唱を書くとともに、耳が聞こえないのを逆手にとって気味の悪いフーガを書きまくった確信犯。例えばピアノソナタ29番「金槌鍵盤」(←曲名からしてキーボードをクラッシュする事を明示している)の電波な終楽章には、主唱の「逆行」或いは「蟹のカノン」と呼ばれる無駄に衒学的な箇所があるが、彼の本当の狙いは読んで字の如く、「時代に逆行するだけでなく、三島由紀夫を逃げさせる」ことである。以降正常な聴覚と異常な感性を以ってこの潮流に悪乗りする者が多数。

F.C.シューベルト、或いはムスカ大佐の影武者(1797~1828)は、うろ覚えでもそれらしい曲が書けることを色々なやり方で証明した。

H.ベルリオーズ(1803~1869)は、バッハから距離を置いているように装っているが抗え切れていない

どうでもいいロマン派の面々 は、パロディーや使い回しの精神を尊重(ジャパニメーションに先立つこと100年以上!)しすぎた上帝国主義風の膨張主義に満ちた作風に傾き、バッハの本質から遠く離れて行ったり行かなかったりした。

G.マーラー(1860~1911)は、テレビアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」の趣旨に賛同してクライマックスを飾る意味深なフーガ風のものを書いた(交響曲8番、通称マラ8or千人の交響曲の第一部中の、ソナタ形式に当てはめた場合の展開部後半。尚アニメ中では本人の同意を得ずに一部端折られている)。後年、自分がタイムクラッシャーであることを悟り、ハイドンを使役して、モーツァルトにレクイエムを書かせて、まあ、オレと同程度か、とご満悦したり、モーツァルトに、歴史上6人しか信仰しなかった、超マイナー宗教「リバースマインド」と呼ばれる、死んだら性格が、完全に反対になるというウソを教え、マーラー自身の死後に、モーツァルトの時代で、マジに信じているのを見て、「ごめんねモーツァルト」と、菩提樹の影でささやいたという。

M.レーガー(1873~1916)は、慢性的バッハ中毒とメタボ腹が治らず終には新たな宗教を作った。似たような洗脳音楽をブルックナー爺さんも書いたけどバッハとは別の意味でのみイタイ人なので特に書くことはない。

A.シェーンベルク(1874~1951)は、少し突っ込んだイタイ法議論を進めて偶然新たなブームを一部の専門家の間に起こした。彼も三島由紀夫が大嫌いな上にノスタルジーに浸る癖があったらしく、テーマの逆行など数えるまでも無いほど良く用いるし、「蟹のカノン」も結構使う(「基地外ピエロ」とか「3つの風刺」とか)。そして忘れてはならない事だが、彼の直系の子孫の誰かが、ソレスタルビーイングの黎明期を支えたのだ。苗字や人相を見る限り疑いようの無い事実である。


A.シュヴァイツァー(1875~1965)は、飢えたアフリカの民をバッハ音楽でおなかいっぱいにしようと頑張ったが、(西洋の者から一方的に見た場合)音程関係に無頓着な割りに(西洋の奴等なんかより)高度なリズム感によって濃縮されたリズムと音色の対位法的空間を即興で生む彼らへの嫉妬と憎悪が増したので外科用メスによる切腹を生涯に亘って命じ続けた。この活動に一生をささげるうち、帝国主義者らに同情され、哀れまれ、ノーベル偽善者賞を授かる。

O.メシアン(1908~1992)は、フーガの出だしの書き方などどうでもいいことをピアノ曲集「緑色のイエス様と突き刺すような二十四の瞳」中で証明した。これ自体は画期的なのだ。必ずしもその後の音楽家にとって彼がメシアだったという訳ではないが。

D.ショスタコーヴィチ(1906~1975)は、賢明なるスターリン同志と涼宮ハルヒの姿がダブってしまい、珍しく模倣イタイ法に頼らず(一部輪唱が使われていることはWA忘れてくれ)愚直な「反復」のみによってその神々しい統率力を称えた。 因みに、彼のOp.87の第一番の後奏曲の主唱は、自身による賢明なるスターリン同志の提灯持ち合唱曲「森の歌」のテーマの引用である一方で、14個の音符で形成され(即ちバッハの平均episode1の同じ箇所の主唱の構成音数と同じであり、これはアルファベット表に於いてBが2番目、Aが1番目、Cが3番目、Hが8番目で足すと14になる事から、バッハが製造元特定のためしばしば出力した有名な特定コードである)、種種のキリスト教圏の旋法を経巡るなど、ソ連の敵のイデオロギーを満載している。当時のソビエトロシアの内情を鑑みるに、これは江頭2:50も真っ青になるほどの体を張ったギャグだと言わざるを得ない。感動した! 痛みに耐えてよく頑張った!

G.痙攣.グールド(1932~1982)は、生物であるところのフーガを切り刻んで珍奇なホムンクルスを引篭もりながら量産することこそがナウいなどと述べるまでにバッハとヤヴァイ薬に溺れていた。ちなみに彼による自己言及的な声楽曲「それじゃあフーガが書きたいの?」は、バッハの平均律2巻ト短調のフーガと小フーガト短調とヴァイオリン協奏曲ホ長調第一楽章の肉片などが原料として確認できる。

現代日本の評論家群 は、外国の新しいブームを輸入して適当にアレンジする以外に本業で稼ぐ手段はないので、「適当に音を拾ってきてグチャグチャこねくり回すうちにオリジナルにしか見えない壮大な体系に仕上げる」というバッハのやり方を他人事とは思えず、共感しているうちにゴーストハック・並列化されてしまう。それだけならまだしも、こうして生まれてきた多量の「自称バッハ研究家」は、全員が全員「自説が世界で一番」とマジで信じていたりするので、話を振られた常識人は相槌を打たず、反応に困って下さい。これは私の遺言です。

[編集] 著名人曰く

「えーマジ ミメーシス(物真似、又修辞法の一種としての「模倣」、或いは精神状況が空気感染するようなヒステリー性の擬病)? キモーイ!! ミメーシスが許されるのは小学生までだよねー」
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ について、プラトン『クラテュロス』432b、『ソピテス』240b,c
「フーガを用いる事には、困難を克服するというメリット位しかありません。その結果は騒々しいものになるだけです。反行フーガ、二重フーガ、転回フーガ、固執低音の他、耳が我慢できず、また正当化できないような困難な悪ふざけ、これらは明らかに我が国のゴシック式教会の正門のように、それを敢えて造った人々の恥を晒すためだけにしか存在しないような、粗野さと悪趣味との産物なのです。」
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ について、ジャン・ジャック・ルソー
「存在自体が人知の究極の段階、即ちニヒリズムそのもの!」
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ について、フリードリヒ・ニーチェ
「え?俺の事?」
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ について、肉感、悲劇、死、……そしてリヒャルト・ヴァーグナー
「バッハには、音楽と言うものがそっくり全部含まれていますが、バッハは和声学の方式を軽視していました、本当ですって。そんなものより、自由な音の戯れのほうが優先されました。各パートの曲線が寄り添ったり交錯したりして、超アハ体験を耐性者にいっぱいもたらしてくれます。そういう瞬間が膨大な楽譜出力のどのページにもあって、耐性者は一生醒めないままになります。時代は「惚れ惚れするようなアラベスク(相似図形の累積)」の全盛期(即ちバロック期)でした。だからバッハ自身も自然界のメタボリズムが明確に主張する所の美の法則にちゃんと参画しています。(中略)芸術(=アンサイクロペディアと言うものは、嘘のうちで最も美しい嘘です。それなのに、芸術(=アンサイクロペディアの場においても、人生を日常のありふれた背景とごちゃ混ぜにしたがるのが当節です。機能主義、大量生産品の様につまらないものとなってしまわずに、芸術(=アンサイクロペディアが飽くまで一つの嘘にとどまっている事こそ望ましいのです。普通の消費者もブルジョアぶった文化人も、忘我したくて芸術(=アンサイクロペディアに集まるんでしょう? その忘我というのも、嘘の一形態ですよ。(中略)だから、夢(=アンサイクロペディア)をあまりに堅苦しい現実(=ウィキペディア)に引き戻して、人を幻滅させない事です。」
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ について、クロード・ドビュッシー(一部改。音楽誌『ムジカ』創刊号掲載、音楽の将来性について。)
「バッハが死んでから初めて作曲したのは俺様なんだ」
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ について、イングヴェイ・マルムスティーン
「♪一億と二千年後も対位してる 君を知ったその日から僕の音楽に地獄は絶えない(おお、父なるバッハよ。これを弱起主題として、無数の声部担当者がDuxしたりComesしたりして参加し続けるのだ。新主唱との合体上等! この巨大な叙事詩は、登場人物であり書き手であり読み手であり、そうであった我々が、匿名掲示板のそれと似た成立を経験した古代インドの叙事詩の『そして誰も居なくなった』と結ばれるに似て、最後の一人が死するまで、最後の語り部が、最後の聴き手が倒れるまで記され続けるのだ! おお、父なるバッハよ!)」
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ について、ポストバッハに於ける音楽界の皆さん

[編集] 関連項目

  • キーボードクラッシャー 鍵盤奏者は皆然り。
  • 中二病 音楽は、君を裏切らない。だから飽くまで伴侶として使い、王や恋人のようであってはならないのだ、さあ銘記したまえ。現代に存在する者。
  • ニヒリズム ワーグナーに没頭するとニーチェいわく神が死んだりするのを目撃するそうだが、バッハに没頭すれば、頭が発熱して髪が死ぬ位で済む(上記のハゲの歌、或いはBWV578)。ハゲ克服には超人であることが必要。
  • 冗語法 イタイ法は、聞かされる側にとって全くこれと同じである。時間的な側面に限定すれば、ミニマルミュージックがそれにあたる。
  • ロシア的倒置法 イタイ法同様、知ってるか知らないかで鑑賞者の属性を決めちゃう性質のもの。
  • 音楽理論 バッハが存在する事が教則本と教わる者達を煩わしい悩ましいものとした。まあセカイ系
  • 涼宮ハルヒ 上記改め、バッハの影響の仕方はどう見てもセカイ系、彼女又然り、彼女を形容したクラシック楽曲又然り、特にマラ8!!
  • 日産自動車 バッハの影響を受けた逃走用の自動車を開発した。
  • P. D. Q. バッハ 彼の息子。

[編集] 参考文献

  • Die Musik in Geschichte und Gegenwart(旧) 通称エムゲーゲー。知らない奴は全部モグリで、所有すると自慢できる。一家に1セット。
  • Die Musik in Geschichte und Gegenwart(新) 同上。ウエイトトレーニング用や即席の椅子・ベッドとしても重宝。これが本当の家具の音楽
  • 禁則事項です先生の著作  本人に会うと激しく幻滅する。こんな方が(以下略)
  • 禁則事項です先生の著作  本当に会うと激しく幻滅する。こんな野郎が(以下略)


  ドイツ
地理: ドイツ - フランクフルト - ベルリン - ハンブルク - ブレーメン - ミュンヘン - ハノーファー - ドレスデン
人々: ドイツ人 - ゲッベルス - カント - ゲーテ - ヘーゲル - アインシュタイン - ルター - エック - ベネディクト16世 - ハイデッガー - マルクス - ニーチェ - シューマッハ - ベッケンバウアー - エンデ - ケーラー - メルケル - キーボードクラッシャー
軍事: ルーデル - ハルトマン - ヴィットマン - カリウス - ヘッツェナウアー - シュライネン - マルセイユ - ビスマルク - ヒトラー - ヒンデンブルク - タイガー重戦車
言語: ドイツ語 - バイエルン・オーストリア語 - ウムラウト - エニグマ暗号
音楽: バッハ - ベートーヴェン - ブラームス - ワーグナー - ヘンデル - ノミ
歴史: 第二次世界大戦 - ナチス - ホロコースト - ベルリンの壁 - チェックポイント・チャーリー
その他: ビール - ウインナー - ドイツ無政府主義ポゴ党 - ヴェルタース オリジナル - ミュンヘンオリンピック
個人用ツール
View and edit namespaces data

変種
操作
案内
編集者向け
姉妹プロジェクト
ツールボックス
他の言語