ラルフ・ブライアント

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ラルフ・ブライアント1961年5月20日 - )は、アメリカ合衆国出身のプロ野球選手。近鉄バファローズで活躍し、その経歴・実績はあのイチローと比較しても遜色ないものだった。

来歴[編集]

1981年ロサンゼルス・ドジャーズに入団。1985年にメジャーデビューを果たすものの、その後もマイナーリーグとの往復が続いた。その後、1988年愛知県を本拠地とする中日ドラゴンズに移籍した。しかし中日にはすでに郭源治ゲーリー・レーシッチで外国人登録枠2名を使いきっており、ブライアントは二軍で燻っていた。そこに目を付けた近鉄バファローズが中日に獲得を打診し、同年6月に近鉄に移籍した[1]

なお、イチローも愛知県の名門高校出身だったが、甲子園では初戦敗退に終わっており、全国的に目立った活躍はしていない。1992年にオリックス・ブルーウェーブに入団し、ジュニアオールスターでMVPを獲得するなど二軍では活躍するものの、2年間は一軍に定着できなかった。愛知県に縁があり、二軍でしばらく燻っており、関西を本拠地とするパ・リーグの球団で開花するなど、ブライアントとイチローの共通点は多い。

近鉄に移籍すると、いきなりとんでもない大活躍を見せる。出場試合74試合、わずか267打数ながら、34本塁打を記録。ちなみにこの年のセ・リーグの本塁打王は33本なので、ブライアントは規定打席未満ながらセ・リーグの本塁打王以上にホームランを打っていたことになる[2]。この点も、1994年にいきなり打率.385、210安打の大活躍を見せたイチローと共通点がある。

1989年は途中極度のスランプに陥るが、それでもシーズン3度の1試合3本塁打を記録するなど持ち直し、終わってみれば49本塁打、OPSは2年続けて1.0を超える好成績だった。イチローも2年目は年初に阪神淡路大震災で被災するが、それでもタイトルにあと3本と迫る本塁打を放つなど活躍し、2年連続のMVPに輝いている。二人とも「2年目のジンクス」とは全く無縁であった。

ブライアントは1995年まで近鉄でプレーした。1991年には右膝半月板を損傷するが、1992年にはカムバックして38本塁打を放っている。結局、最終年の1995年を除けば極度の不振に陥ることはなく、近鉄に大いに貢献した。イチローも1999年2000年と故障により出場試合がやや減るが、2001年以降はメジャーリーグで大活躍しているのは周知のとおりである。

1999年には近鉄球団創設50周年記念のOB戦で、ライトスタンドの看板にあわや直撃という大ホームランを放つなど、38歳ながらそのパワーを見せつけた。さらに2005年には43歳ながら、セ・パ交流戦のイベントとして行われたホームラン競争で3本のホームランを放ち、観客を驚かせた。イチローも38歳で迎えた2012年シーズンもチームの主力として活躍するなど、40間近でも衰えを見せていない。

近鉄の選手らしく、大阪のおっちゃん達に交じって飲んでいても違和感のない存在だった。のちのジェレミー・パウエルタフィ・ローズと同じく、焼き鳥屋でビールをぐびぐび飲んでいる姿がよく目撃されている。……と言いたいところだが、ブライアントは全くの下戸で、いつもコーラ乾杯していた。しかしビールのCMに起用されたことがあり、このことからも当時の彼の人気の程が窺い知れる。ちなみにイチローもビールと、そしてコーラのCMに出演したことがある。

記録[編集]

ブライアントにはどれほどの実力があったのか、記録から比較してみよう。そこで、世界最高の安打製造機イチロー、ミスタープロ野球長嶋茂雄、ミートの達人若松勉、史上最強の助っ人ランディ・バースと比較を行った。ここに示したのは、各人がとくに好成績を挙げた3シーズンのシーズン成績である。

選手 年度 試合 打数 二・三塁打 本塁打 打点 四球
(除敬遠
OPS ゴロ・フライ
アウト
ゴロ・フライ
アウト率
ブライアント 1989 129 494 23 49 121 51 1.004 167 .338
1993 127 497 21 42 107 42 0.869 168 .338
1994 105 437 24 35 106 34 0.942 156 .357
イチロー 1994 130 546 46 13 54 43 0.994 283 .518
1995 130 524 27 25 80 51 0.976 293 .559
1996 130 542 28 16 84 43 0.926 292 .539
長嶋茂雄 1959 124 526 38 27 82 53 1.038 259 .577
1961 130 543 41 28 86 53 1.108 256 .571
1963 134 577 34 37 112 68 1.094 285 .596
若松勉 1976 127 542 24 17 70 38 0.906 293 .604
1977 122 503 35 20 70 43 1.008 269 .610
1980 116 474 37 15 63 28 0.959 246 .576
バース 1985 126 497 21 54 134 62 1.146 262 .527
1986 126 453 33 47 109 64 1.258 207 .457
1987 123 453 17 37 79 47 1.011 238 .525

あのイチローや打率3割以上12回を記録した若松勉と比較しても、OPSで同レベル、打点や本塁打数で分があるだけブライアントのほうが優秀と言える。また、本邦で半ば伝説化されている長嶋茂雄と比較しても、OPSでは劣るものの本塁打数や打点ではブライアントにまだ若干の分があり、総合的にその実力は同程度と言える。

ではなぜ今日、ブライアントはイチローや長嶋と同列(またはそれ以上)に扱われることがほとんどないのか?そこにはランディ・バースの存在がある。バースと比較すると、さすがのブライアントもOPS、本塁打数では劣り、打点でも勝っているとは言えない。バースが特に活躍したのは1985年から87年であり、ブライアントが活躍を始める直前と言っても良い。バースの大活躍がまだファンの記憶にあるうちだったので、ブライアントの活躍が目立たなかっただけなのだ。バースさえいなければ、ブライアントは「長嶋以来の強打者」くらいの称号を授けられていてもおかしくなかったわけである。

ところでひとつ、表の右端に記した「ゴロ・フライアウト率」が気になる。これは、ゴロアウトとフライアウトの数(犠打犠飛は含まない)を打数で割ったものを示している。ゴロアウトが多いと併殺打の機会も増えるし、フライアウトでは進塁もできないので、こうしたアウトは無いに越したことはない。この率は小さければ小さいほど良いわけだ。さて各人の数字を見ると、イチローでさえその数字は5割を超える。バースも5割前後だ。そのような中、ブライアントだけ3割台前半を記録している。彼が類まれなバットコントロールの持ち主だったことを示す証拠ではないだろうか[3]

プレースタイル[編集]

エディ・マーフィに似ていると言われていたが、たしかに外国人パワーヒッターとしては体は細い方だった。しかしその体から数々の伝説的なホームランを打った。なかでも有名なのが1990年6月6日の対日本ハムファイターズ戦であろう。東京ドームの天井スピーカーを直撃する打球を放ち、同ドーム史上初の認定ホームランとなった(推定飛距離160m)。一方で小技もできる選手で、同年のオールスターゲームでは左中間スタンド最上段の広告を直撃する特大ホームランを放ったあと、次打席では振り逃げを決めている。こうした派手で印象的なプレーを残したあたり、イチローよりも新庄剛志に似ているかもしれない。

一方で守備では強肩で知られ、しばしば外野からランナーを刺していた。この点はイチローのレーザービームのやや劣化版とも言える。

そして特筆すべきは、大事なゲームに強いということであろう。1988年に優勝を賭けてロッテと戦った10.19でもダブルヘッダー第2試合に勝ち越しホームランを放っている(試合は引き分けで優勝を逃す)。そして翌年の10.12では、ダブルヘッダー第1試合で3本のホームランを決めた。この試合は6-5で西武を破ったが、全打点を稼いだことになる。さらに第2試合も2-2の均衡を破る勝ち越しホームランを放ち、そのまま西武を押し切った。この10.19と10.12は、近鉄ファンにとって特別印象的な試合であり、そこでホームランを打ちまくったブライアントは、その後「神様、仏様、ブライアント様」と崇められることとなった。この10.12のダブルヘッダーにおける4打席連続ホームランは、大阪府民のあいだで、バックスクリーン3連発北川博敏の代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームランと並ぶ印象的なホームランとなっている。大事なところで大活躍する様は、満塁打率6割を記録したこともあり、第2回ワールドベースボールクラシックの決勝戦で決勝タイムリーを放ったイチローとも相通じる。

プロ意識も非常に高かった。1988年の秋(10.19の頃)には父親が危篤だったにもかかわらず、チームの優勝争いを優先して日本に留まった。家族を第一に考えることが多いアメリカ人としてはかなり珍しいことである。さらに、1995年には、チームを解雇されたにもかかわらず、オフのファン感謝デーにわざわざ参加するなど、最後までファンを楽しませた。ここまでファンを大切にする姿勢も、やはりイチローを含め真の一流選手に共通する特徴である。

評価[編集]

このように記録にも記憶にも残る活躍を見せたブライアントであるが、不当に低い評価を受けている。

たとえばサッカーデビッド・ベッカムが持て囃された頃、関東のテレビ局ではコメンテーターが「ベッカム様とみんな言いますが、スポーツ選手に様をつけて呼ぶなんて、『神様、仏様、稲尾様』以来ですね」と発言している。ブライアント様は完全に無視されてしまった。

史上最強の外国人助っ人は誰かという議論でも、俎上に上ることはほとんどない。たしかにランディ・バースのほうがブライアントよりも若干上手であったが、その次に名前が挙がるのもウォーレン・クロマティタフィ・ローズアレックス・カブレラタイロン・ウッズなどであり、いつまで経ってもブライアントの名前が出てこないのである。

対戦チームからの評価も意外なほどに低い。OPSが1.0前後もあり、本塁打王も獲得する強打者であったにもかかわらず、敬遠されたことがあまり無かった。普通、や長嶋、落合博満から、バース、T・ローズ、カブレラまで、強打者は執拗に敬遠される運命にある。対するブライアントはいつも見くびられ勝負を挑まれていたわけだが、ならばと特大ホームランを打ちまくった彼は、もう少し評価されても良かったはずである。

脚注[編集]

  1. ^ のちに中日が後悔したのは言うまでもない。とくにブライアントのここ一番での強さがあれば、中日と巨人が互いに優勝を賭けて激突した1994年10.8決戦の結果も変わっていたかもしれない。
  2. ^ ちなみに、メジャーリーグ史上最強のホームランバッターバリー・ボンズは、あまりに打ち過ぎるので2004年に敬遠数のメジャー記録を作ったことが知られているが(同時にOPS記録も更新)、この年のボンズの本塁打率(数字が小さいほど優秀)は8.289だった。やはり日本プロ野球での敬遠記録とOPS記録を作った1974年の王貞治は本塁打率7.857。1988年のブライアントの本塁打率は7.853なので、この年のブライアントは、掛け値なしで世界最強のホームランバッターであった。
  3. ^ ゴロアウトやフライアウトが少なかったとくれば、大振りが多かっただけだという指摘もあるかもしれない。だが一般に、選球眼の良い選手は、四球が多いとされる。そこで四球の数を比べてみると、ブライアントは長嶋やバースよりは若干その数が少ないが、イチローと同程度である。ゆえにブライアントはイチロー並みの選球眼を持っていたと言っても良いだろう。つまり大振りが多かったとは考えにくい。