リビア

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3、2、1、ボンバー!この国は爆破されました。もうこの国は影も形もありません。
この国はもう無いのです。あなたがこの現実をどう受けるかは自由ですが、確か戦友であったこの国に態度だけでも敬意を称してやってください。
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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディアの専門家気取りたちが「リビア共和国」の項目を執筆しています。
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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディアの専門家気取りたちが「リビア」の項目を執筆しています。

大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国、通称リビアは北アフリカにある国旗緑一色であることだけで有名な国である。

またグーグル八分を食らっているため、国民のほとんどはリビアが共産主義であることも知らない。そして2011年10月20日にカダフィ大佐はイスラム主義者の手で裁判なく処刑され、新しい指導者が誕生したが、その者の名は誰も気にしない

目次

[編集] 国旗が緑一色な理由

小学生に世界にはいろんな国旗があることを教えるのにぴったりの教材である。

頭の固い連中もこの国の国旗に関してはユーモアを取り入れてみたようだ。なんとその昔、リビアは仲の良かったエジプトと同じ国旗だったがそのエジプトと一緒に嫌っていたイスラエルをエジプトが受け入れたため、リビアのカダフィ大佐なる国家元首がぶち切れ、「そんなエジプトの国旗と一緒でたまるか!明日新しい国旗を発表するから今晩中に考えろ!」と命令しできたのが緑一色の国旗である。

対照的に緑の欠片もないリビアの国土。

と、頭の固い連中らしくなく出来すぎた話を書いているが、しかし頭の固い連中、緑色になった理由を緑はイスラム教の神聖な色だからといっているが実際はそうではない、単にカダフィ大佐が緑色が好きなだけだ。事実、緑の書という本を執筆しておりカダフィ大佐の緑に対する気持ちが現れている。またサハラ砂漠の砂が特産品と呼ばれるリビアが緑でいっぱいになるようにとカダフィ大佐が思ったからという説やアンサイクロペディアンの一人からは緑は目にいいからとする説も浮上してきおり、実際のところは定かではない。


[編集] リビアの歴史

ヘタリアに負けたリビア

古代、リビアにはベルベル人が住んでいた。日本では有名なベルベル人として沢尻エリカの母が知られている。ベルベル人は「わけわからんこと言うやっちゃ」を意味するバルバロイに由来するとも言われている。しかし、ベルベル人は決定的に弱く、その歴史は侵略者との戦いと敗北の連続である。

ギリシャ人やフェニキア人による侵略をうけ、その後、プトレマイオス朝エジプトによって支配された。ポエニ戦争によって紀元前146年にカルタゴが滅亡すると、現在の首都であるトリポリはローマ共和国のアフリカ属州に組み込まれた。その時にキリスト教を広めある程度流行ったが、その後、7世紀にアラブ人が征服するとイスラム教が大流行した。

リビアは第二次世界大戦時、激戦地となりただ唯一イタリア軍に負けた国であることで有名だ。このことはドイツの首相がリビアを訪れたときにカダフィ大佐がリビア経済が不安定なのは「ドイツ軍のロンメル将軍が敷設した地雷のせいだから賠償金をよこせ! 」といちゃもんつけていたほど後をひきずっている。

[編集] カダフィ大佐(故人)の武勇伝

カダフィ大佐(故人)は社会主義国家の元首としてありがちな数々の武勇伝を持っている。

カダフィ大佐(故人)
  • 数々の極端で奇怪な言動から「砂漠の狂犬」「アラブの暴れん坊」とも呼ばれる。
  • 国家元首なのにずっと大佐というニックネームで呼ばれている。ムスカ大佐がいつまでも大佐なのと同じである。
  • 日本のラブホテルで使用しているのと同じ回転ベッドを日本より輸入し使用している。
  • 阪神淡路大震災が起きたときに「経済力で悪魔(アメリカ)に奉仕してきた日本人に天罰がくだった」と国営ジャマーヒリーヤ通信を通じて声明を出す。
  • 1988年3月3日、何を思ったのか、「刑務所の囚人に恩赦を与える」と突然宣言し、エクストリーム・強行突破を開催し、トリポリにある刑務所の壁を自らブルドーザーを運転して破壊、囚人400人を解放する。
  • 1990年、国際会議で「エイズ同性愛者のみが感染する疾病だ」と発言し会場の失笑を買う。
  • イスラエルとパレスチナを一つにした「イスラティナ」という国家を作ろうと提案したが相手にされない
  • トルコの訪問客に肘鉄を喰らわせた。
  • 2008年カダフィの五男がスイスレイプの容疑がかかり、実際は根も葉もないガセだったのでカダフィは激怒しスイスへの石油供給を停止する報復措置をとった。
  • 2009年11月、国連サミットでアフリカの国々が貧しさのアピールとして各国のお偉いさんがたが「断食」のパフォーマンスを尻目に500人のイタリア美女を集めたパーティを開催した。
  • 2011年10月20日、民主主義を名乗るイスラム主義者により裁判なく処刑された。
  • 2012年9月22日、このイスラム主義者たちもまた、カダフィ大佐を懐かしむ市民たちにより追放された。良識あるリビア市民は、「カダフィ大佐の中のユーモア的部分」を必死に探し、学ぼうとしている。

[編集] 派手な衣装

1970~1980年代までは陸軍軍服姿や質素なベスト姿が多かったカダフィだが、20年ほど前からさまざまな民族衣装や独特の服装を好んで着るようになっている。あるときは白や黒の陸軍士官制服姿だったり、ベレー帽に野戦戦闘服姿だったり、アフリカの過去の著名な指導者の姿がプリントされたサファリルックだったりする。

スーツの場合は純白のものを好んで着る。民族衣装も茶色、紫色、紺色、深紅色、青色などさまざまな色彩のものを着て登場する。また、サングラスを着用していることが多い。アラブの指導者のなかではめずらしく長いことひげをたくわえない人物であったが、いつ頃からか口やあごに食べカスをつけるようになった。

[編集] アラブの春

カダフィ大佐はそれほど悪くない人物だったが、独裁型体制を敷いたツケで、周りに奸臣が蔓延るようになった。奸臣たちは2011年アラブの春をみると、これぞ新時代の始まりとばかりに先頭に立って裏切り、ベンガジなどで蜂起を援助し、自分たちのやっていた腐敗行為の責任をすべてカダフィ大佐と寝返らなかった真面目君になすりつけた。そして、内戦に勝利し、密かにイスラム過激派組織を呼んで、大佐を処刑した。

その後、民主主義の大義を手にしたいじめ集団が親カダフィのレッテル張りを各所で行ったので、国は内乱状態になった。国民たちはカダフィ大佐のユーモアセンスを民主主義の新時代に蘇らすことで、国民和解することを心より望んでいる。

[編集] 典型的な指導階級の行状

カダフィ時代
お前達は偉大なるカダフィ大佐の下僕だ。大佐のために戦って死んでこい!聖なる緑の書も一言一句残らず暗記せよ!言い間違えたら1発殴ってやるからな
アラブの春後
先生は大佐のために戦って死ぬよう教えろと命じられていたんだ。これからは民主主義の時代だ!緑の書など炭塗るまでもなく灰にしてやる。んっ、文句あるのか?先生の命令に従わないのなら、これからは5発殴ってやる。

上の内容はもちろん、天下の転向者たる朝日新聞の記事に基づき作成されました。

[編集] 関連国家


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