リンゴ・スター

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
移動: 案内検索

リンゴ・スター(Ringo Starr MBE[1]1940年7月7日 - )は、イギリス出身の俳優ミュージシャンタコの庭の管理人そしてカブトムシたちの中で二番目に人気な(自称)ドラマー。本名はリチャード・スターキー(Richard Starkey)。

実はスターキー家はスコットランド系の父方の祖母の姓であり、父方の祖父の姓は東欧からイギリスに移住したユダヤ系のバーキン家(Birkin)であり、祖父がスターキー家の娘と恋して、その婿養子になり、父およびリンゴ・スターの代にいたったのである。

来歴[編集]

ビートルズ加入まで[編集]

リンゴ・スターことビリー・シアーズは1940年7月7日、大英帝国の田舎町で生まれた。病院をハシゴするほど病弱で、罹った病気は花粉症インフルエンザ黄熱病エイズ黒死病A型肝炎BおよびCSARS新型インフルエンザヘルペス天然痘狂牛病、ビートルマニアなど多岐にわたる。。それでも生きているなんて大したものだ。おかげで勉強がちっともアタマに入らず、しょっちゅう文法を間違える癖がついてしまう。その代わりドラムに夢中になり、一生ドラムで食えるほどの才能を身に付ける。学校卒業後、職を転々とし、最終的にバンドのドラマーとなる。芸名の由来はロード・オブ・ザ・リングから。

ビートルズ加入[編集]

1962年、元々他のバンドで活動していたリンゴは、ジョン・レノンにより拉致され、クビになったピート・ベストの後釜となる。ここでマンガとかドラマならば「こうしてビートルズは産声をあげた・・・」とナレーションが入るだろうが、その実力を怪しんだプロデューサー、ジョージ・マーティンによりある屈辱的な仕打ちを受ける。本人は最近まで根に持っていた。(てゆうかたぶん今も持ってる)そのお詫びかどうかは知らないが、映画では主役的待遇を受けており、前述のように「ビートルズのNO.2」と自負するほどの人気を得る。

サイケデリック・イヤーズ[編集]

ライブでは盤石の地位だったリンゴも、レノン&マッカートニーの「そうだ、ライブやめよう」の思いつきによりNO.2の座から転落する。それからというもの、グループのリズムマシーン的な扱いを受ける。[2]そのあいだ彼は黄色い潜水艦で住み込みで働いたり、本名を使って胡椒軍曹の傷心倶楽部楽団のコンサートに出演したり、ナイトクラブ・スラッガーのショウにデニス・オーベルとして出演したりして、何とか食いつなぐ。なかなか苦労人だ。しかしグループでの扱いは、さらにひどくなっていくばかりであった。

一時的脱退、そしてビートルズ解散[編集]

1968年、一時的なマハリシ熱に罹ったビートルズは、薬の副作用でインドに行ってしまう。しかしリンゴだけはインドカレーでマハリシ熱が治り、早めにイギリスへ帰った。それに残りのメンバーがブチ切れ、リンゴを取り囲みボッコボコのギッタギタのメッタメタボッコボコのギッタギタのメッタメタボッコボコのギッタギタのメッタメタボッコボコのギッタギタのメッタメタ ボッコボコのギッタギタのメッタメタボッコボコのギッタギタのメッタメタ ボッコボコのギッタギタのメッタメタボッコボコのギッタギタのメッタメタ……にした。全治2週間と診断され、静養のためタコの庭でリフレッシュする。この間あまりにもリンゴのメディアへの露出が少なかったため、一時死亡説が流れた。[3]ほとぼりが冷めて許してもらったが、その後すぐビートルズは解散したのであまり意味がなかった。

ビートルズ解散から現在まで[編集]

70年代、最も売れっ子になったビートルズメンバーはリンゴといっても過言ではない。元々それなりに人気はあったが、それはそれは人気が急上昇、自ら「俺は偉大だ」と言いきってしまうほどのものであった。しかし80年代になるとTHE ALFEEファンであることが判明し、ソドー島の療養所に入れられ人気はまた急下降する。 現在は細々とドラムをたたいているという。


映画俳優として[編集]

なんとこのリンゴスター、俳優としての一面も併せ持っているという。でも筆者もそれまではよく知らないので、ここには詳しく書かない。

出演作品[編集]

  • 『ライム・ライト』
  • 『オズの魔法使』
  • 『踊る大紐育』
  • 『ピンクの豹』
  • 『やっぱり猫が好き』
  • 『タイタニック』
  • 『インディ・ジョーンズ』
  • 『アバター』

・・・えっ?全然違うって?


使用ドラムセット[編集]

ラディッツのドラムセットを使用している。しょせんきさまらは…ただの虫ケラにすぎんのだ…

脚注[編集]

  1. ^ Mister Brian Epsteinの略。
  2. ^ その間彼は驚異的なチェスの才能を身に付けた。その腕前はあのボナンザをも凌駕する強さである。あれれー?でもボナンザって将棋じゃなかったっけー?
  3. ^ あまりにも有名な話であるが、巨匠阿久悠はこのエピソードにインスピレーションをうけ「リンゴ殺人事件」を作詞した。

関連項目[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「リンゴ・スター」の項目を執筆しています。
このリンゴ・スターにはまだまだマージービートが足りていません。
早くノリのいいビートを加えて、キャバーン・クラブに出演させてやってください。 (Portal:スタブ)